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052 かいごと研究

本日四話目な気がします。

「……ら」


 誰だろう。


「……ま……」


 声が聞こえる。


「山……」


 仕事に行かなくちゃ。


「……村」


 身体が動かない。


「山村、山村」


 誰かに呼ばれている。

 返事をしたいのに、口が動かない。

 男の声だ。

 聞き慣れた愛おしい声だ。


「山村……」


 なんだか悲しそうだ。

 慰めてやりたかった。

 お前のせいだと言ってもやりたかった。


 いつまで経っても、その甘い匂いはずっと隣にあった。

 ずっと、ずっと。

 寝ていても、起きても、揺らいでも、薄らいでも。

 そこはかとなく危険な匂いだったが、どこか心地よかった。


 段々と目の焦点が合ってきた。

 見慣れた家の天井だ。

 だが、覚えのない薬臭い匂いがする。

 鼻の頭が(かゆ)くなったので、右手で掻こうとしたら動かない。

 固定されているようだ。

 左腕は動いたので、鼻の頭を擦った。


「山村?」


 隣にあった塊が動いた。

 顔が整っているが、非常に血色の悪い男だ。

 家にどうして俺以外の男がいる?


 そこで思い出した。

 こいつは千賀だ。

 俺の……大事な人だ。


「せんが」


 随分と声を出していなかったからか、スカスカな声が口から発された。


「山村? 山村?」


 千賀は俺の目を覗き込んだり、俺の左腕を揉んだり、反対側に回り込んでみたり、動きが(うるさ)い。


「うるさい」


 俺はのろのろと左腕を上げ、差し出された千賀の頭にぽんと下ろした。


「山村〜」


 千賀はとても嬉しそうに、自分の頭の上にある俺の左手を触っている。

 俺は長くため息を吐き、そのまま寝た。




「山村? 起きた?」


 俺が目覚めるのと同時に千賀に話しかけられた。

 どうして起きることが分かるんだ。

 怖い。


「おきたぞ」


 千賀が俺の左手を揉むので、俺も左手を動かして応えた。


「山村が動いてる……」


 千賀は感動している。

 俺はお前のせいでこうなっているんだという怒りも、(だる)さの前ではすぐに萎んでいく。


 今日は少しだけ首を起こしてみた。

 右腕は固定されて、何やら針が刺されて管が繋がっている。

 その先は、液体の入ったパックが吊るされていた。

 俺は病人かよ。

 俺は少し笑って、()せた。


「これは、どうしたんだ?」


「会田がやってくれたよ」


「会田はいまどこだ?」


「仕事だそうだ」


「そうか」


 俺は天井を見上げた。

 まだ、意識がふわふわする。


「もう少しねる」


 俺は流れるままに意識を手放した。




 腕の違和感で目を覚ました。


「あれ、起きた? まだ寝てていいよ」


 俺の右側でカチャカチャと何かをしているのは会田か。俺の部屋にこの男がいるのは何だか抵抗がある。


「そういうわけにもいかないだろ」


 俺はひょろひょろと頼りない身体を起こそうとして、右腕が動かなくて失敗した。


「無理しないで。山村くんに何かあるとむーちゃんがどうなるか分からない」


「どうにもならない」


「なってるよ」


 会田は俺に注がれている液体がなくなったので、新しいパックに取り替えたようだった。


「そろそろいけるかなと思って、栄養点滴はやめてみたんだ。今、君のためにむーちゃんが! あのむーちゃんが、買い物に行ってくれている! 僕は君が(うらや)ましいよ」


「こうなってもか?」


「そうなってもね」


 俺が右腕を見ながら言うと、会田は大きく頷いて肯定した。

 マジでか。


「今帰った」


「おかえり、山村くん起きたよ」


 千賀がものすごい速さで俺の隣に来た。

 風が遅れてやってきた。

 千賀は俺を心配そうに覗き込む。


「山村、大丈夫なのか?」


「お前のせいで大丈夫じゃない。これで二回目だ」


 俺は怒りを込めようとしたが、呆れの方が(まさ)ってしまった。


「ごめんなさい」


「ごめんで済むなら警察はいらない。それに、よくよく会田に感謝しとけ。俺がいま生きているのは会田のおかげだ」


 俺は会田を見上げた。

 ここで話が自分に来るとは思っていなかった会田は「えっ?」と戸惑っている。


「ありがとう会田。俺の山村を助けてくれて」


 千賀の言葉には温度があった。

 会田の目は段々と見開かれていき、遂には俺に対して、


「聞きました奥さん。むーちゃんが俺に向かって『ありがとう』って微笑みましたよ、これは夢なのかな?」


「現実だ。俺からも言っておきたい。ありがとう会田。俺と千賀を助けてくれて」


 会田は俺と千賀を見比べてから、


「ふふっ、どういたしまして」


 と、どこか照れ臭そうに礼を受け取った。


「そこで、この自宅療養にかかった金額なんだが、千賀に請求してくれ。無茶通してもらってる自覚はある。ちゃんとその辺りもきっちり計上してほしい」


「えー、でもさ、一応これは僕の研究にもなるから、そっちである程度は経費で落とせるんだよね」


 会田は予想外のことを言い出した。

 研究?


「おい待て、研究って何のことだ」


「むーちゃんの、だ・え・きの研究さ!」


 会田は目線をバッチリ決めた。


「それ、まずくね?」


 俺は反射的にそう言った。

 千賀の種族が公になると困る存在はたくさんいる。

 会田が下手したら殺されることだってある。


「バレなきゃへーきへーき」


 会田はそんな危険性についてもどこ吹く風である。


「いやね、ちゃんと考えているから大丈夫」


「どこが大丈夫なんだ」


 俺には不安しかないが、会田はそんなことないらしい。


「まずね、僕のこの研究は科研費とか使わずに研究所の課題としてこなしている研究なんだ。まぁ、科研費で買った道具とかちょろまかしているから大声では言えないんだけどね。君から預かったネズミに投与した液体を、治験で人体でも試してみて、効果を確認したってわけ。もちろん君のデータだよ。それで、僕はこの論文を持って、千賀が会ったという政府の役人に僕を雇ってもらうように直談判に行くんだ。千賀の同族だって、唾液が商売になる可能性もあるし、三方良しでウィンウィンさ!」


「そううまくいくものか」


「こればっかりはやってみないと。政府に断られても、人外の存在を喧伝する論文を研究所で実績として発表しなきゃ駄目なんですーって言えば、嫌でも引き抜きをしてくれるかなって」


「完全なる脅しじゃねーか」


 やはり、会田は敵に回してはいけない人間だと改めて思った。


 そこで、チーンという電子レンジの音がした。


「山村、ご飯だよ」


 千賀が手に持っていたのは、以前百均で買った野菜蒸し器とマヨネーズと皿。

 野菜蒸し器から、まずは人参を取り出し、皿に入れてフォークで……いま何した?


「はい、あーん」


 千賀は俺の上半身を抱き起こして、皿の中身を口元まで持って来た。

 俺は途端にお腹が空いていることを思い出し、されるがままに口の中に招き入れた。

 それは、人参をすり潰したものだった。

 自然な甘さと少しの繊維を感じながら、なかなか唾液が出ないのでもちゃもちゃと咀嚼(そしゃく)の試運転をする。

 そして、何とか喉の奥に持っていき、嚥下(えんげ)をした。

 大分どこもかしこも弱っており、辿々(たどたど)しい。

 少しずつまたやっていくしかない。


 千賀は俺が飲み込んだのを見届けてから、次の一口を口元に持ってきた。

 その繰り返しを何度かすると、人参がなくなった。

 次に千賀が取り出したのはブロッコリーで、これも……いま何した?

 一瞬でブロッコリーのミンチができあがった。

 怖。

 千賀はマヨネーズを混ぜてから、俺の口元に持ってきた。

 これもまた、いまの俺に丁度良いものだった。

 千賀は次は何を取り出すかと思えば、魚のすり身団子だった。

 これを細かく刻み、少しずつ俺の口元に持ってくる。

 俺も少しずつ、時間をかけて食べ切った。


 この間、会田は何をしているのかと思えば、(おが)んでいた。


「尊い……」


 触れないでおこうと思った。


山村君ってなんか最近調子悪そうで病気がちだよね。


千賀、お前のせいでな!!

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