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051 えものと記憶

本日三話目です。

「また今度は酒でも飲みながら話そうぜ」


 苅野は俺たちに手を振って去っていった。

 俺は軽く頭を下げて見送った。


「お前、俺に苅野が同族かどうか確認しなかったな。自分でもわかるのか」


「あぁ。同族はどうしても甘くて血の匂いがするからな」


「じゃ、俺はお役御免ってわけだ」


 俺が冗談めかしてそう言うと、


「そんなことはない、山村。君が俺の親戚になったらと思ったら、とても嬉しかった」


 千賀はそう優しく俺に話した。


「あれは忘れてくれ」


 俺は照れ臭くなってそう言うが、


「ずっと覚えているよ、俺の大事な従兄弟」


 千賀は俺の頭を撫でた。

 髪がくしゃくしゃになるからやめて欲しい。


「さて、行くか」


「あぁ。行こうか」


 俺と千賀は、足並みを揃えて歩き出した。

 千賀は俺に日傘の影を貸してくれたが、俺は「いらん」と断った。


「帰ったら」


 甘やかしてやるよ、と言いかけて、俺は何を言おうとしたんだと我に返った。

 甘やかしちゃダメだ。歯止めが効かなくなる。


「覚悟しとけよな」


 だからこれでいい。


「えっ?」


 千賀は突然の俺の宣言にビビってる。

 俺はバシンと千賀を叩いて、「行くぞ」と覚悟を決めた。


 8号館は随分と古びた建物だった。

 入口は開いており、電気はついている。

 まだ使われている部屋もあるのだろう。


 埃が舞う階段を一段ずつ上がっていく。

 触れた手摺(てすり)は冷たく()びている。

 床は黒い汚れがこびりついて、落ちそうにない。


 千賀は何かに導かれるように階段を上っていく。

 俺は千賀の手を掴んで、置いていかれないようにするのがやっとだ。

 4階が最上階だったようで、千賀は突き当たりを左へと曲がった。

 連続する窓に、千賀の黒い髪が照らされては陰る。


「ここだ」


 千賀は躊躇いなく扉に手をかけた。


 パチンと電気がついた。

 本棚には古びた本が並び、床は硬質なタイルで覆われている。

 左手、部屋の奥には一つの机と椅子が置かれていた。

 そして、これは……。


「うぅぅ……」


 千賀は頭を押さえて蹲った。

 とても苦しそうだ。


 机の下の絨毯には、落としきれない血の滲みが広がっていた。

 しかもそこからは、千賀の匂いがした。


 今の千賀の匂いではない。

 懐かしい、人間だった頃の千賀の匂いだ。


 血の滲みの広がりから見て、千賀はここで、死んでもおかしくないほどの血を流したのだろう。


 一体なぜ?


 千賀の(うめ)き声は次第に(うな)り声に変わっていった。

 地面に両手と膝を着く千賀の顔はいつにも増して蒼白で、いまも一滴、何かが床に落ちていった。


 (よだれ)だ。


 マスクを濡らし、マスクでは受け止めきれなかったそれが、少しずつ床に垂れていく。


 いま、俺は非常に危険な状況に置かれていた。

 恐らく俺が動いた瞬間、千賀は俺を認識する。

 あの人間離れした筋力を振るわれるかもしれないし、それよりも確率が高いのは、俺が失血死で死ぬことだ。


 何がきっかけかは分からないが、千賀はいま、飢餓(きが)の炎で(あぶ)られている。

 状況は刻一刻(こくいっこく)と悪くなるばかりだ。


 俺が、千賀を救ってやらねば。


 俺はふと、千賀と一緒に観た映画のラストシーンを思い出した。

 吸血鬼に身を(ささ)げた乙女の犠牲で、吸血鬼は日に焼かれて滅び、街には平和が訪れるのだ。


 俺は走って部屋のカーテンを開けた。

 まだ眩しく、夕日になりきれない陽光が部屋いっぱいに差し込んできた。


「千賀」


 既に深々と刺さった牙はそのまま、俺は千賀の頭を撫でてやった。


「目、覚めたか?」


 千賀は血を飲み込む合間にずっと嗚咽を漏らしていた。


「落ち着け。大丈夫、大丈夫」


 俺が撫でる度に泣き崩れるかのように千賀の身体は震えた。それでも涙一滴流せない化け物に、俺は心底同情していた。


 俺は冷めていく身体に怯えつつも、千賀が落ち着くのを待った。

 一度食事を始めると、必要最低限は摂らないと千賀は離れない。

 それでも我慢して、俺のために頻度も減らして、他のものも摂取して、いつも空腹すれすれで何とか頑張っているのは知っていた。


 きっと、餌者(えもの)は一人では足らない。


 だが、俺の下でやっと少しずつ安定してきた千賀が、他の誰かを同じように受け入れられるとも思えない。


 どうしたらいいのだろう。


「千賀」


 そろそろ俺は限界に近い。

 だが、千賀が止まる気配はない。


 このまま病院送りになるのは困る。

 千賀はまた不安定になるし、人間の側に繋ぎ止めておくのが難しくなる。

 だからといって、俺が病院にかからないと死ぬ可能性がある。

 だから、本当は自宅療養が望ましい。


 知り合いで、医療従事者で、おまけに千賀のために動いてくれる人間に、俺は一人だけ心当たりがあった。


 だが、その人間に、千賀の秘密を握らせてもいいのか。危険ではないのか。


 段々と意識が朦朧(もうろう)としてくる。

 手段を選んでいる場合ではない。


 俺は、(つい)ぞ使わないだろうと思っていた番号に電話をかけた。


「もしもし、会田(あいだ)ですけど」


「山村だ……千賀の抑えが効かなくなった。あんたの、母校まで、迎えに来てくれ。俺たちの秘密を、話す」


「分かった、今行くよ」


 電話はそこで切れた。


「千賀、聞こえていたな。会田を、頼れ」


 俺は終ぞ言うことのないと思っていた言葉を吐き、首から牙がずるりと抜かれる感覚で、意識を失った。

山村襲われ過ぎてるだろ!

お前がヒロインか。

そんでマジ二つ返事な会田マジで異常者。

普通に肩に蛇の死体巻いていそう(偏見)。

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