050 ぼこうと先輩
本日二話目。
少し早めの昼ご飯を食べると、ぐずぐずしている千賀を急かしながら出かける準備をする。
やはり日の光がとても嫌らしい。
風が出てきて薄曇りとなってはきているが、入念に紫外線対策をしている。
「いいか、山村。曇りでもちゃんと紫外線は降り注いでくる。対策を怠ってはならない」
「お前にとって太陽は敵か」
「そうだ。我々にとっては忌々しくとも、多くの生命に恵みを齎す大事な存在だ」
「まぁそうだな。太陽がないと植物は育たないし、肉も食べれなくなるし、俺も生きられなくなるから、お前だって間接的に太陽に生かされてるもんな」
「そうだ。そこを忘れてはならないと思う」
そう言いながら、千賀は太陽光から身を守る装備を整えていた。
「こうして改めて見ると、マジで昼間に動こうとする吸血鬼だな」
上から、日傘、帽子、サングラス、マスク、腕のカバー、黒い長袖の服、長袖のズボン、革靴。
今日日暑すぎてこんな男性はいない。
「実際そうなのだから仕方がない。山村、行くなら早く行って帰って来よう」
「しっかりと調査するのが目的だからな」
家から出る前に家に帰りたがっている千賀に、俺はそう釘を刺した。
早速歩いて駅まで行き、電車で人に揉まれ、千賀の母校の最寄駅まで来た。
千賀は既に大半の体力を使い切ったような顔をしているが、まだ何も始まっていない。
「へぇー、ここが千賀の学生時代に過ごした場所か」
「……先輩があのインド料理屋でたまにご飯を食べて踊っていた」
千賀が一軒のインド料理屋を指差した。
「踊って、いたのか」
「あぁ」
「愉快な先輩だったんだな」
「あぁ、本当にな」
千賀のその言葉には、しみじみとした懐かしさと温かさが滲んでいた。
「ここは昔ペットショップだった場所に中華料理店が入ったから、皆敬遠していた」
「その気持ちは分かる」
「あそこのタイ料理屋でよく打ち上げをしていた……」
「何か言いたいことがあるのか?」
千賀は俺の方に振り返った。
「俺はもう、普通に飯を食べられないんだな」
「そうだな、だが普通に加齢でトンカツが食えなくなったり、アレルギーで大好きなものが食べれなくなることもあるから、いま食べられるもんを大事にするしかないんじゃないか?」
俺はそう言って、しまったと思った。
千賀の主食は俺であった。
「分かった。山村を大事にする」
千賀はとんでもなく甘い声で俺にそう言った。
隣で歩いていたサラリーマンが信じられないという顔で俺たちの顔を見比べていた。
「恥ずかしいからやめろ、バカ」
俺は千賀をちょっと強めに小突いたが、奴の歩みは崩れない。体幹が強い。
千賀の母校に到着した。
「すみません、ちょっと待ってください」
案の定、千賀が不審者過ぎて入口で止められた。
千賀は止められたことに驚いているが、当たり前である。いまの奴は不審者だ。
「私は、ここの卒業生です。大学の研究室に用事がありまして」
千賀は財布をごそごそすると、昔使っていただろう古い学生証を警備の人に見せた。
「マスクかサングラスを外してもらえますか?」
「すみません、この人持病があって」
「大丈夫だ、山村」
千賀は大人しくマスクを外した。
警備の人は古い写真と見比べている。
「どうぞ、お通り下さい」
千賀はすぐにマスクを戻した。
「まずは、私の研究室に行こうか。今は昔と別の棟になっているという話だったな」
俺たちは真新しい建物に入り、建物に入って目的の研究室を探し始めた。
「私の古巣、◯◯研究室は今、苅野という俺の先輩が准教授をしている」
「お前とはいくつ離れてるんだ?」
「うーん、んんん? 100?」
自分で答えておいて千賀は何か違うなという顔をしている。何か違うどころではない。それでは、明治時代の人間ではないか。
明治時代……なのか?
「な訳ないだろ……って、あれか。千賀とはいくつ離れているんだ?」
「俺の5つくらい上ではないかな」
「そうか……少しずつわかってきたぞ、あんたのことがな」
俺は千賀の胸の辺りを指差してそう言った。
「それは俺のことか?」
「お前じゃないお前のことだ。名前は知らん。なんだ、千賀Mk.2とでも呼ぶか?」
「それは嫌だな」
「じゃあ何と呼べばいい」
千賀は少しの間考えていた。
「……分からない。結局自分の事だからな」
「そうか、だが俺は不安だよ、千賀が消えてしまいそうで」
俺はここぞとばかりに千賀に訴えた。
「それは……」
そんなことを話している内に、目的の研究室の前に着いた。
「お前、せめて部屋入る前にサングラスかマスクかどっちか外せよな」
千賀は俺の言葉に頷き、鍔広の帽子を脱いでサングラスを外した。
マスクじゃないんかい。
「失礼します、◯◯期の千賀と申します。苅野先輩はご在室ですか?」
「あっ、卒業生の方ですか? 先生いらっしゃいますよ」
カップ麺を食べていた在学生が、箸を置いて俺たちを苅野の部屋まで案内してくれた。
「苅野先輩」
「ん? お前……千賀か?」
「はい、お久しぶりです先輩」
「千賀! 久しぶりだなぁ、ほらこっち来て座れ、いや飯でも行くか」
苅野はやや細身で無精髭の生えた研究者然とした人物だった。
「でも先輩、俺……」
「分かってるよ千賀。お前は揚げ物は好かんもんなぁ。今日は俺もあんま時間ないから学食で済ませようや」
「……分かりました」
千賀は折れた。
俺は千賀の意外な対応に関心を持ちつつも、先に飯食っておけばよかったなと後悔した。
「何がいい? 奢ってやるよ」
「いや、実はもう……」
と千賀は言いかけて俺を見て止まった。
俺はまだ飯食ってないからな。
「いや、あの……大丈夫です」
千賀はそれ以上何かを言おうとは思ってやめを繰り返し、結局牛乳を持って会計へと進んだ。
俺は期間限定の台湾まぜそばに温泉卵をトッピングした。
「そんで、この子は学生さん?」
とろ卵チーズカツ丼を目の前にしながら、苅野は俺に尋ねた。
「俺は山村と言います。◯◯研究所で千賀先生と一緒に働いています」
俺はまた千賀が不用意なことを言う前に先手を打った。
「ほーん。千賀、お前もっと飯食えよ。顔色悪いぞ?」
「はい、その……」
珍しく千賀が言葉を詰まらせているので、俺が助け舟を出した。
「千賀先生は俺と合流する前に早めの昼ご飯をとったみたいで、俺も飯食べ損ねていたところなんですよ。学食って超懐かしいですね」
「山村君はどこ大?」
「◯△大学です」
「じゃ、剣持とか知ってる? 確か、クマ研究班にいた気がすんだよな」
「剣持先輩ですか、よく知ってます。ご交流が?」
「この前会社の元同期で酒飲んだんだよ」
「へぇー、剣持先輩って今◯◯社に勤めているんですか」
俺と苅野はテンポよく会話を進めていく。
苅野は同業者で先生未満先輩以上という感じで俺は話しやすい。
千賀は黙って俺と苅野の話を聞いていた。
「この前会田も来たんだがな、お前のことを心配していたぞ? ちゃんと連絡取ってやってるか?」
なんと、会田は大学の研究室まで千賀を探しに来ていたらしい。恐らく千賀が教授と共にいた頃の話だろう。
「会田とはちゃんと連絡が取れます」
「そうじゃなくてだな、お前がちゃんと連絡してやれよ。まぁ、あいつがうっとおしいってなら仕方ないがな!」
はっはっはと笑う苅野に、俺は千賀が無口になった理由の一端を掴んだ気がした。
苅野は、善意で以て千賀の領域を侵すんだ。
「あっ、友達から連絡来てました」
俺は自分のスマホを取り出して、
[千賀お前トイレ行って来い、後は俺が聞いておいてやるから]
千賀にそう連絡した。
千賀のスマホがブルっと震える。
千賀は自分のスマホを手に取り、メッセージを読むと、タタタッと何やら打って返信してきた。
[これは俺の事だ。俺が先輩に聞く。山村は隣にいて欲しい]
[わかった。でも助け舟はいつでも出すからな]
俺はそう返信して、スマホを置いた。
「苅野先輩」
千賀は静かに語りかけた。
「何だ? 何か聞きたいことがあんのか?」
「はい。4月◯日の事です」
千賀は覚悟をもって切り出した。
「あー、あの日な。俺外出てて会えなくて悪かったな」
「何ですか、何でですか?」
千賀は身を乗り出さんばかりの勢いである。
「ん? あー、お前が俺にも会いに来たって言ってたからさ、何か今日も用があんのかって思ったんだ」
「俺にも?」
俺がそこで口を挟んだ。
「槍教授だよ」
苅野は何でもないことのように答えた。
「槍教授が大学に物を引き取りに来るってもんで、お前はそこに合わせて会いに行ったって聞いたぞ。確か場所は……今はあんまり使ってない8号館のリファレンスルームとか言ってたかな」
「千賀!」
俺は駆け出しそうな千賀を呼び止めた。
「俺がまだ飯を食ってるでしょうが!」
俺の前には、半分くらいになって卵が絡んだまぜそばが残っていた。
千賀は、俺の声に気がついて動きを止め、辺りを見回してから自分の席に帰ってまた牛乳を啜り始めた。
まだお前の牛乳も残ってんだろうが!
「さっきから思ってたんだが、お前、本当に千賀とはただの仕事仲間なのか?」
苅野が鋭い質問をしてきた。
千賀は固まってしまって動けない。
だが、千賀の前でこの言葉を肯定すると、後々拗れるような予感がする。
「俺は……実は、一回り歳の離れた千賀の従兄弟なんですよ」
千賀悪い、突然俺がお前の四親等に生えてきて。
千賀はまるであり得ないものを見るかの目で俺のことを見てくるが、俺は一度口に出してしまった以上後には引けない。
「そうかそうか! 仲の良い従兄弟関係なんだなぁ! 揃って研究職とか、親御さんも喜んでいるんじゃねぇか?」
千賀はどうしてという目で俺を見てくるが、俺は何とかこの場を乗り切れそうなので油断せずに会話の綱引きの綱を握った。
「千賀ってなまじ優秀なのに、色々と抜けているところがありましてね。俺がこうしてサポートしてるってわけです」
「そうなんだよなぁ。千賀には何とかしてやんねぇとと思わせるような危うい感じがある。何でも卒なくこなしているのにな」
苅野は俺に握手を求めてきた。
俺は右手を差し出して苅野と握手をした。
意外とがっしりとして温かくて大きな手だった。
「千賀のことをよろしくな、山村君」
「任せてください」
俺はしっかり頷いた。
「千賀も、山村君を大事にするんだぞ」
「勿論です」
千賀も静かに頷いた。
こういう先輩いるよね、いるいる!
でも、誰も千賀を救ってはくれなかったし、
千賀も鍍金が剥がれないまま、ここまで来てしまったんだね。
悲しいなぁ。




