048 おもちゃと握手
「俺が、お前のことを知りたいからだ」
「山村が……?」
千賀はしばらく考えた後、ある可能性に思い当たったように照れ始めた。
「山村が、俺を……山村が俺のことを……」
「別に変な意味じゃない。お前、最近よく分からんことを口走るじゃないか。ここで一度、『千賀睦月』について、知っておきたいと思ったんだ」
「あっ! そうだよな……」
「今は大丈夫なのか?」
「あぁ、『私』はここにいる」
千賀は自分の胸を指した。
そこには、動かない心臓が眠っているはずだ。
「それは千賀、お前のことか?」
「……俺は今、何か言っていたか?」
俺は隣にいる千賀と話しているはずなのに、別の人間が返事をするなんて、何だか気持ちが悪かった。
帰って、飯食べて、風呂入って。
風呂から出たら、千賀は俺のベッドにもたれかかって骨ガムを噛んでいた。それ気に入ったんだな。
よく見ると大分ふやけてガタガタになっている。
店員さん、あなたのチョイスしたものを、うちの奴はなかなか気に入ってくれましたよ。
「山村、お腹空いた」
「俺は飯じゃない」
「俺は山村が主食だよ?」
「…………そうだな」
大変悔しいことに、俺は何も否定できなかった。
「ほら」
「俺に血を下さい」
「いいぞ」
俺は千賀に腕を差し出した。
千賀はこれじゃないという顔をしている。
「どうして腕からじゃダメなんだ? 採血は腕からだろうに」
「首筋からの方が美味しいから」
「別に同じ血だろうが」
「閉鎖空間とオーシャンビューくらい違う」
「さいですか」
主に気分の問題らしい。
「山村、俺の上に座って血を下さい」
「はいはい」
俺は風呂上がりの身体を千賀に寄り掛からせる。冷たくてひんやりして気持ちがいい。
千賀はまずは俺の匂いと温かさを堪能している。
「……何だかいけないことをしている様な気になってくる」
「そうだが?」
千賀は「ち、違う、違うんだ山村」と慌て始めたので、
「普通に人の血を啜るとか、化け物の所業だろ」
俺は何慌ててんだこいつという目で千賀を横目で見た。
千賀は「そうか、そうだよな」と一人納得している。
「で、では、い……行くぞ」
「何照れてんだよ、時間かかるんだから早くしろ」
千賀はこの前と同じ、俺の鎖骨の間を舐め始めた。
「……Lord Jesus be our guest. Let these gifts, to us be blessed」
「は?」
皮膚が破れる痛みがしたが、それもすぐに収まった。
俺は、千賀が食事を終えるまで、しばらく『私』のことを考えていた。
『私』は人間。
男性機能で人を測らず、女性と付き合うこともできなかった。
私の存在はオカルトで、完熟が好き。
キリスト教信者らしい。
いつぞやか歌っていたのは讃美歌だろうし、いま言ったのは食前の祈りだろう。いただきますみたいなもんだ。
そして、ケイゴとカヅキ、何かに突き動かされるように夜中に出歩くこと……。
忘れかけていたが、あの時教授と何か話してはいなかったか。
確か、茅の原の約束か何とか。
あの時から、千賀の中に『私』はいたのか。
俺は、千賀ではない『私』が何なのか突き止めたい。
もし、千賀が『私』に侵食されていき、千賀がいなくなってしまったら、俺はどうする?
俺は途端に不安になって、俺を拘束する千賀の腕を抱きしめた。
千賀は興奮したのか、俺の首筋に牙を立ててきたのですぐさま手を叩いておいた。
「これからのことを決めたい」
俺は千賀を俺の前に座らせた。
千賀はうんうんと頷いている。
「まずは、現状の把握だ。千賀お前はいま、精神的な侵食を受けている状態にある」
「うん? ……あぁ」
「何か言いたいことがあんのか」
俺は千賀を覗き込むと、千賀は人間とは違う目を瞬いて、首を捻っている。
「侵食、ではない気がする。俺にとって、これは別に嫌な感じはしない」
「そっちの方が危ないんじゃないか? 相手を気持ちよくさせて食い尽くすとか、よく寄生生物がやるような手段だぞ」
「うーん……何か違う気がするが、何とも説明がつかない」
千賀は俺の言い分に納得できない様子だが、それも説明できないらしい。
「その違和感を探るためにも、俺たちは知る必要がある」
「そうだな」
千賀は頷いた。
調査は必要だと思ってくれているらしい。
「お前、まだ吸血鬼になった時のこと、思い出せてないんだろ?」
「あぁ」
「それも調査しなくちゃな」
俺は三本、指を立てた。
「一つ、『私』の調査。二つ、お前の調査。三つ、お前がどうして教授に選ばれたのかの調査。これがこれからの目標だ」
「具体的にはどうするつもりだ?」
「一つ目は、教授を探して『私』について問い正す。二つ目は、俺がお前の実家に行く。三つ目は、教授とお前の過去を辿るため、お前の母校で情報収集だ」
「何故私の母校が?」
「言ってただろ、お前の異変が始まったのが、お前が母校を訪ねた時からだってな。教授の手がかりもそこにあるかもしれない」
「確かに、そうだったな」
「会田の話では、槍教授のゼミにはまだ何人か所属していたんだろ? 教授はそこでお前に目をつけたのは確実としても、どうしてお前を選んだのかが不明なままなんだよ」
「それは……考えてなかった」
千賀は俺の言い分に頷いた。
千賀がこうなって以来、こいつは自分のことで精一杯だったのだろう。
「今までよく頑張ったな」
「……あぁ」
「これからも何が起きるか分からんから、気を抜くなよ」
「あぁ!」
千賀は俺の伸ばした手に、力強く握手を返した。
「で、いつ離してくれるんだ?」
握手がなかなか解けないので、俺は千賀に催促した。
「もうちょっとだけ……」
「わーったよ、ほら20、19、18……」
俺はもう一方の手で千賀の手を握り込み、ぎゅっと力をかけた。
千賀は俺の手と自分の握られた手を凝視している。
「0。はい終わり」
俺はパッと両手を離した。
俺の手で千賀の手は僅かながら温まった。
千賀は、しみじみと幸せを噛み締めているような顔をした。




