041 いえとお稲荷さん
千賀は陽の下に出ると、明らかに消耗する。
それは、以前よりももっと強い消耗だ。
「俺は、何度も殺された」
千賀は俺の視線に気づくと、説明し始めた。
「その度に、再生して復活した。以前はもっと人間の部分が多かったが、今では殆ど残っていないのだろう」
「そうか」
意外と重い理由に、俺はそれ以上の返事ができなかった。
「お前はそれでよかったのか?」
聞いてみて、また後悔しそうになって、やめた。
俺は千賀のことを知っていたい。
千賀の答えは予想外のものだった。
「どうなのかな、分からない」
「分からないのか」
「俺だってこうなりたくは無かった。だが、山村とこんな関係になれたのは、この身体になったからだ」
「それは……そうかもしれないな」
きっと、千賀が人間のままだったら。
千賀はずっと俺にとってお高く止まった優秀な研究者で、千賀にとって俺は少し扱いにくい助手のままだったのだろう。
「塞翁が馬だな」
「そうだな」
何がよかったか、何がダメだったかなんてのは、結果論でしかない。
俺たちは、手探りで望ましい未来を探していくしかないんだ。
「少し休みたい」
千賀は俺の手を引いて公園のベンチを指差した。
「もう少し頑張れ」
俺は千賀の手を引いて先を急いだ。
ここでは、落ち着けるものも落ち着けないからな。
「後は道が分からんからついていく」
「分かった。こっちだ」
千賀の家がこの辺りということは知っていたが、細かい道までは分からない。
俺は冷たい手に引かれながら、千賀の私生活について思いを馳せた。
千賀の家はこぢんまりとした恐らくは単身者用のマンションだった。
築年数も浅く、しかし少し駅まで距離があるため、車前提なのだろう。
千賀は扉を開いて「どうぞ」と俺を招き入れた。
千賀の部屋は、何もなかった。
カーテンはなく、雨戸が固く閉められていた。
冷蔵庫、洗濯機、箒とちりとり、組み立て式銀ラックには最低限の食器と布巾が掛けられていた。
千賀はごそごそと押入れから大きな山用のザックを取り出し、そこに荷物を詰め込んでいく。
俺は座る場所もなく持て余していたら、「ベッドに座っていてくれ」と言われたのでそのようにしておいた。
しばらく座ってから気がついた。
千賀の匂いのするベッドに腰かけるって、なかなかアブノーマルな状況じゃないか?
慌てて立ち上がって部屋の隅に座る俺を、千賀は不思議そうに眺めていた。
「待たせたな」
「いいよ」
俺は千賀の声に立ち上がった。
千賀は大きなザックといつもの仕事用鞄の二つをひょいと持ち上げて部屋を出ようとした。
「大丈夫なのか?」
「何が?」
「こうさ、俺の手を握ったりだとか……」
いつもやっていることなのに、いざ口に出すと恥ずかしい行為をしていることを意識させられる。
「ここでは、落ち着かない」
「自分の部屋なのに?」
「自分の部屋だが、ここは俺の縄張りではない」
何だか知らんがそういう認識らしい。
よく分からないが俺は頷き、荷物を持った千賀と共に車へと乗り込んだ。
「着いた」
千賀は俺を和食チェーン店に連れてきた。
俺も確かに腹が減っていたので、千賀に続いて店に入った。
「何頼んでもいいぞ」
「じゃあ、ランチ大盛りで」
「私には生卵を」
幸い、人数で注文数を定められる店ではなかったらしく、俺一人分だけの飯でも注文ができた。
「生卵は食べられるのか?」
「有精卵なら」
そこは何がどう違うのか不思議だが、そういうものらしい。
俺がガツガツ飯を食っている横で、千賀は優雅に生卵を食べている。
よくよく見ると、微妙な表情をしていた。
「無精卵だったか」
千賀は頷いた。
「食べられないものを食べるとどうなるんだ?」
「途中で吐くか、形容し難い物質が排泄されるか、どちらかだ」
「形容し難い物質」
千賀は頷くと黙った。
それ以上説明したくないらしい。
俺も生物学的には気になったが、そこはプライバシーが問題になる。
「こんなこと聞くもんじゃないんだが、つまりは普段は排泄……されない……?」
千賀は俺から視線を逸らしながら、重々しく頷いた。排泄、ないらしい。本当に生き物か?
「父さんが言うには、我々は化学的な消化方法を取るらしい。君はいつか、私が甘い匂いがすると言っていたな。それはケトン体の匂いだそうだ。つまりは、我々はよく燃える。もう燃やされるのは御免だ」
「ほぇー」
吸血鬼って不思議。
本当に人間とは別の生理をした生き物(?)なんだなぁ。
遂に登場した千賀の財布により、俺の財布のダメージは肩代わりされた。
次に千賀が寄ったのは、千賀の家の近くにあるスーパーマーケット。
「何か食べたい物はあるか?」
「うーん……」
「好きな食べ物は?」
「お稲荷さん」
「分かった」
千賀は俺の買わないようなものも籠に入れていく。
しかも、油揚げから買っていた。
調味料の酒も忘れない。
家に味醂しかないのを見ていたな。
一人分でいいというのに、結構たくさん買い込んでいた。
「カードのポイント全部使ってください」
その言葉に、千賀はもうここに来る気はないのだと悟った。
家に帰る頃には、夕方になっていた。
手分けして荷物を運び入れると、千賀はまず、荷物の片付けから入った。
「籠を借りても良いか」
「どうぞ」
千賀は部屋の端に口の広い籠を置き、綺麗に服を並べた。
見る見る内に、部屋の一角が千賀に乗っ取られた。
ついでに千賀は俺の物も片付け始めた。
千賀は俺の脱ぎ散らかした服をまとめて洗濯機に入れに行った。
俺はベッドの中に紛れていたパジャマも一緒に洗おうと、洗濯機の前を目指した。
「あっ」
千賀が服を全部脱いでいた。
俺はすぐさま立ち去り、少し距離を取ってから後ろに話しかけた。
「服を脱ぐのは脱衣所……がないから、風呂かトイレにしてくれ」
「悪い」
全然悪びれていない千賀に俺はお灸を据えたくなった。
「お前全然悪いと思ってないだろ」
「あぁ。別に内臓を晒している訳でもないからな」
「俺は気にするからやめてくれ」
「分かった」
ついこの前までは人間だったはずなのに、千賀は人間の感覚をどこかの戦場に置いてきてしまったらしい。
俺は、生活指導も行わないといけないのか。
つい、聞きたくなったことがあって、好奇心が抑えられずに聞いてしまった。
「毛、生えるんだな」
「毛は生える。ただ、皮膚の再生の一環で生えるらしいから、毎日髭剃りしたければ肌ごと剃り落とすしかないな」
「痛い話も、やめてくれ」
「……分かった」
千賀はややあって俺に返事をした。
その含みを、俺は見逃さない。
「痛みは、その、どう感じるんだ」
「痛い……というのは分かる。その大きさもな。ただ、差し迫ったものではなく、半ば情報のように受け止めているような気がする」
「よく分からないな」
「自分ではなく、自分が操作している身体から痛みのフィードバックがあるという感覚に近いかな」
「なるほど」
つまり、千賀はリアルワールドの没入型アバターの痛みのフィードバックを半分くらい切っている状態なのかもしれない。
便利なのか何なのかはよく分からないが。
千賀が作ったお稲荷さんは美味しかった。
「美味しいか?」
「うまいな」
俺はついつい食べ過ぎてしまうが、千賀は静かにレバニラ炒めの皿を俺の方に寄せてきた。
食べろということらしい。
ちなみに千賀は白い皿に生のレバーを乗せ、フォークとナイフで上品に切り分けて食べている。
レ◯ター博士かよ。
「日本のレバーはとにかく新鮮だから食べられる」
「それはよかったな」
俺はあんまり好きではないレバニラ炒めをそっと返した。
千賀はもう一度俺の方に寄せてきた。
俺は根負けしてレバニラ炒めを口に運んだ。
「……おいしい」
「それはよかった」
千賀は花が咲くように微笑んだ。
やっと気づいたが、もしかしたら千賀は、俺にも同じものを食べてもらいたかったのかもしれない。それは決して、悪い気分ではなかった。
あったかいね。
いちゃつきやがって。
超ウケるわ。
これが同時に来る。




