037 ストーカーと大事な人
わちゃわちゃ回です。
ここで俺が口を開いた。
「千賀は、俺の大事な人です」
やっと、言えた。
千賀は信じられないものを見るような目で俺を見た。
「信じられないようなら、何度でも言ってやる。千賀は俺の大事な人だ」
「俺にそんな資格はない」
「お前が俺の気持ちを否定するな。俺にとって、お前はかけがえのない人なんだ」
「俺はもう人じゃない」
千賀は俺を否定しながらも、俺の腕は離せない。
「そういう意味じゃないし、お前まだ日本国籍持ってんだろうが」
「あと何十年かしたらなくなる」
「それでも、俺にとって、お前は大事なんだよ」
俺は両手を開いて千賀を迎えた。
だが、千賀の肩に置かれた教授の手がそれを許さなかった。
「お前は今、安定している。私の側にいるからだ。お前は恐れている。山村葉一を殺してしまうことを。それでも、私の側を離れると言うのか?」
千賀はすぐに返事ができなくなっていた。
千賀はそんなことを恐れていたのか。
「あんたは俺を、殺せない」
俺はそう言った。
「大体な、お前はいつでも俺を殺せたはずなんだよ。でもな、ずっと続けたのは俺への採血と、俺をぬいぐるみか何かのように扱うばかりでさ。やっと何かすると思ったら、手首少し切ったくらいでよ、これじゃ紙の方が危ないくらいだわ」
俺はそう嘯いて、千賀の顔を覗き込んだ。
「あんたはそんなに弱いのか? そうじゃないだろ。千賀、お前は自分で自分を飼い慣らせる。ずっとそうしてきたじゃないか」
千賀は俺の顔を見上げた。
葡萄茶色の目の瞳孔はキュっと細くなっており、きっとこの薄暗い照明でも大分眩しいのだろう。
「山村葉一を選ぶということは、怪物であるお前自身を否定する事に他ならない。私を選べ。私はお前の全てを肯定する」
千賀と同じ目をした化け物は、千賀を掴んで離さない。
「それに、今ここで後顧の憂いを断つのも一つの手か。人間はすぐ死ぬ。それが遅いか早いかは些細な差だろう」
いつの間にか手袋を脱いでいた教授は、爪を長く伸ばして俺へと向けた。
「やらせない」
千賀は俺を庇うようにして、教授の爪から守ろうとした。
「ここで暴れるのはやめてください!」
今まで空気に徹していてくれた政府の男の悲痛な叫びに、全員が振り返った。
「頼むから! 俺の気持ちを考えてください!」
「ごめんなさい」
まず千賀が謝った。
俺も、「申し訳ないな」と男に声をかけると、「全くです」という返事が返って来た。
俺、この人嫌いじゃないかもしれない。
対する教授はずっと無言であり、それが不気味だった。
「……睦月。お前は必ず私の下に帰って来る」
教授はそう言い残すと、音もなく部屋から立ち去った。
教授が見えなくなるまで、俺の気は全く休まらなかった。
すぐそこの暗がりに、扉の陰にから、教授が出てきてもおかしくはない。
俺たちが重そうな鞄を持った政府の男に続いて診療所を出ると、丁度車がもう一台来たところであった。
黒のクロスビー、ナンバーは「10-06」。
「むーちゃん! むーちゃんだ!」
中からすごい速さで会田が飛び出してきた。
千賀は突進してくる会田をひょいと避けた。
反転してくる会田もひょいと避けた。
新手のマタドールかな?
遅れて、車から降りて来る二つの影。
「教授はいないな」
「もう終わってもうた? これじゃ、わしらが道化みたいとちがうか?」
「そうだな」
神保と氏家だ。
手には武器を持っていたが、用がないと悟るとすぐに仕舞った。
「神保……」
「一宮。久しいな」
政府の男は神保と面識があるようだったが、何も言わずにすぐさま車の助手席に乗って去っていった。
つまり、車にはもう一人がずっと乗っていたようだ。
「僕がGPSを一個だけ仕掛けるわけがないじゃない」
あまりにも動きが止まらなかったからか、千賀に頭をアイアンクローされている会田は、にこにこと俺の疑問に答えた。
「それに、GPS機能だけじゃもったないからね。君たちの会話も聞かせてもらって、それで、神保さんたちと知り合ったんだ」
「犯罪です」
「えー、でもここから帰るのに困ってたんじゃない?」
それは本当だったので何も言えなかった。
それにしても、会田の行動力はすごかった。
「なんや、シンデレラはお家に帰る気になったんや。おもんないわぁ」
俺の隣に立つ千賀を見ながら、氏家はそんなことを言う。
「俺の大事な千賀を、あんたらの棺桶にゴールインさせるわけにはいかないからな」
「いつでも死にとうなったら言いなはれ。葬式の準備はバッチリやさかいね」
これはもしかしたら、氏家なりの許可なのかもしれない。なんて、素直じゃないんだろう。
「知っています」
俺も、そんな風に答えた。
「俺はまだ少しだけ政府に顔が効く。困ったら頼れ」
「どうして神保さんはそんなに気にかけてくれるんですか?」
「化け物を増やさないためだ」
神保は千賀に目を向けた。
そうか、神保にとって千賀はまだ「化け物」じゃないんだ。
「ありがとうございます。遠慮なく頼らせていただきます」
俺は一人で千賀を抱え切れると思い上がってはいない。人間だって、一人の人間にだけ依存する関係は健全じゃない。いくつものコミュニティを掛け持ちして、それぞれに少しずつ依存すればいい。それが、社会性というものではないのか。
「化け物? いま化け物って言った?!」
千賀の手の中にある会田が暴れ始めた。
「え、なになに? もしかして僕だけなんか知らされてなかったりする?」
俺が説明してないのかという顔で神保を見ると、顔を逸らされた。説明していないらしい。
その時、もう一台の車が走ってきた。
神保の車だ。
「氏家さんの車は路駐でレッカーされました」
「はぁっ?!」
神保の車に乗ってきた男は到着早々そんなことを言い始めた。
俺は面白くって腹を抱えて笑い出した。
千賀もつられて笑い出した。
神保は思わず吹き出した。
会田は千賀をじっと見つめている。
氏家は、頭を抱えていた。
「ではな」
神保はぶつぶつと何かを呟く氏家を助手席に乗せて車で去っていった。
「じゃあ、よろしくお願いします」
俺たちは会田の車で送ってもらうこととなった。
そんな風に適当に駐車するからレッカーされんだよ!
ざまぁ!




