036 とうさんと政府
私は結構山村の本音が好きですね。
人間って感じがするから。
車も来ない道路を一人、歩き続ける。
少しずつ暗くなる森に、カラスの声が木霊して、否応にも一人であることを痛感させられる。
俺は一歩一歩、着実に踏み込んでいく。
千賀との関係もそうだった。
最初、自分の身体の変化に戸惑っていた千賀は、自縛して床に涎の池を作っていてキモかった。
あれ自分で掃除しててどう思ったのだろうか。
血をもらえると分かった途端に嬉しそうにいそいそと準備を始めたのも引いた。
ちょっとは遠慮してほしかった。
突然廊下で抱きつこうとしてきた時もあった。
あれはセクハラだった。
その後なんか腕をありがたいものかのように握られて、普通に困惑した。
それで、俺は奴の膝に座って血を舐めさせたが、あれはちょっと甘やかし過ぎたかとも思ってる。
だから次に採血される時、奴は調子に乗ったから俺はシメた。いま思えばなんであんなキモいことをすぐに口に出せるのか理解に苦しむ。
ただ、その次の時はちゃんと「お願い」できたので聞いてやった。
ここまで思い返してみて思った。
俺は奴の調教師か何かか?
そもそも、貴志が来てから色々とおかしくなった。あいつ千賀に執着するし、デリカシーなさ過ぎ。なんだあいつ。
その貴志に、海堂女史はさすがの対応だった。
そして千賀は無意識にポカをした。あのバカ。実験室は自分の縄張りだとでも言うのか。
それと、荷物受け取りに来たあいつ、絶対貴志の家族じゃないだろ。宗教関係の何かだろ。
そして、氏家と神保。
氏家は今度刑事告訴してやろうか。冗談だ、既に傷は消えているし、訴えるのなら既にやっている。ただ、この前ゲームした時に少し手の痺れで操作が鈍っていたのであいつはギルティ。有罪!
神保は身体も心も大きな男だった。きっと、俺がいなくなったことを気づきつつも、来ない教授を待ち続けるのだろう。神保がどんな気持ちで千賀を見ているのかは、俺には計り知れない。
会田は何なんだ。奴の元カレかよ。世話になってる手前あんまり悪口は言えないが、シンプルに怖いしキモい。だが、千賀について語り合える数少ない人間ではある。
星は、ある程度は信頼できるだろう。ただ人間とは違うので、そこだけは気をつけなければならない。きっと、あの種族の中では一等優しくて親切でとっつきやすい存在ではあるのだろう。そうでなければ、あれだけ人と関わる仕事は難しいだろう。
そして、千賀。
あいつは、俺と会ってどうしたいのだろうか。
俺はあいつを連れ戻したいが、あいつがどう思っているかは確認したい。
あいつがそれで教授の横を選んだのなら。
俺は、千賀の選択を尊重すべきだと思う。
ただ、俺は、俺は……。
靴の底と砂利が触れ合って、不協和音を奏でた。
違う。
俺が、俺のために、千賀を説得する。
千賀が教授の元に残る理由を、俺が全部否定してやる。
だから、俺の元に帰って来てくれよ、千賀……。
俺と奴は友人ではない。
家族、でもない。
俺たちは、『共犯者』なのか。
いや、違う。
俺にとって、千賀は……。
バタンと車のドアが閉まる音で我に返った。
手元のスマホを見ると、すぐ近くに目的地があった。
「お待たせしました、では始めましょうか」
政府の役人だろうか、スーツの男は暗がりにそう声を掛けた。
「そうだな」
これは、教授の声だ。
その時、一陣の風が俺の背後から吹いた。
「ッ! 山村ッ!」
千賀がそう声を上げ、俺の方に近づいてきた。
俺は逃げられないと悟り、その場で立っていた。
一瞬車のライトで照らされた千賀は、ワインレッドのシャツにチェックのスラックスを穿いていた。嫌になるくらいに似合っている。
「山村? ああお前の餌者か」
教授は動かない。動く必要もないのだろう。
「山村、山村! 俺、俺は……」
「睦月。さっさと済ませて帰るぞ」
千賀はバッと振り返って、教授の方に帰ろうとしたのだろう。
しかし、俺の手を掴んで離さなかったため、俺はそのまま引き摺られるようにして千賀と一緒に教授の方へと歩いて行った。
「痛い」
俺がそう言ったことで、千賀ははじめて俺の手を掴んで離せなかったことに気づいたようだ。
「父さん」
「その辺に置いて来なさい」
教授は俺をまるで物のように扱うが、千賀はその言葉に更に俺の腕を掴む力が増した。
普通に痛い。
「餌者の方でしたら、同席いただいても大丈夫ですよ」
政府の男がそう助け舟を出すと、千賀はようやく落ち着いたようで、俺の手をしぶしぶ離した。
俺は暗がりでも分かる程度に赤くなっている手を摩りながら、千賀の後をついて歩いた。
千賀は時々俺の方を振り返って、俺のことを見ている。恐らく俺が動いているのが嬉しいのと、俺の匂いを嗅いでいたいのだろう。俺依存症かよ。
政府の男が明かりをつけたのは、小さな古い診療室だった。
「教授が子を作るのも、我々と関わるのも、珍しいことですね」
「不愉快だ」
教授は男と一切話す気がないようだ。
そういえば星が、教授は政府を嫌っていると言っていたか。
政府の男は手に持った大きな鞄から、黒くて分厚い古めかしい装丁の本を取り出した。
その独特な匂いは、羊皮紙の匂いだけではあるまい。
「ではこれを読んでから、ここにサインと血判を」
羊皮紙にはずらりと文字が並んでいる。
俺は少し離れた場所に立っていたので、内容までは読み取れなかった。
文字を熟読した千賀は、「分かりました」と返事をしてペンを受け取り、他の名前の下に自分の名前を書き込んだ。
そして、人差し指の爪を親指に刺して血を出し、親指を羊皮紙に押しつけた。
すると男が何やら呟き、嗅いだことのない匂いがしたと思えば何かが終わったらしい。
「終了です」
「これで安心だ」
教授が座っている千賀に近づき、頭を撫で始めた。千賀はまるで懐いた猫が頭を擦り付けるように、リラックスして身を委ねている。
俺はそれを見てモヤモヤし、すぐに嫉妬だと気づいた。しかも教授は、俺にそれを見せつけている。
俺も負けじと千賀の腕を取った。
「少しだけ説明したいのですが」
男は困惑している。
教授に頭を撫でられながら、俺の手を揉み揉みとする千賀は、不思議そうに「どうぞ?」と答えた。
男は咳払いを一つすると、話し始めた。
「これで千賀睦月さんは、我々の『鬼籍』に登録されました。日本国籍の方は今の年齢から男性の平均寿命までお使いいただけます。ここまでは宜しいでしょうか」
千賀は「はい」と答えて頷くと、頭に乗っていた教授の手が滑り落ちた。ざまぁ!
それと、意外と政府の化け物への扱いが穏当で驚いた。
普通に即死亡即化け物扱いでも仕方ないのにな。
「はい。次に、この名簿にある皆様は全員、私たち国家公安委員会警察庁警備局特殊事件部の担当官である我々に嘘がつけなくなります。絶対服従などの契約でないことはご留意いただきたい。また、担当官は職務中は必ずこの腕輪の着用が義務化されておりまして、何か異変があればすぐに対応されます」
千賀は俺の手を離した。
俺の手を揉むことが問題だと思ったらしい。
そんなことはないと俺は千賀に握り直させると、千賀は遠慮がちに揉み始めた。
政府の男の言っていることはこうだ。
目の前の男に手を出せば、政府が敵に回るぞ、と。
これも化け物に対しては妥当だ。
「他は、もし国外に行かれる場合は担当官にお伝えの上、行き先の国においても登録をお願いいたします」
千賀の動きがピシリと固まった。
もしかすると、何も言わずに外国に行っていたのかもしれない。
「しかし強制力はないな」
教授が千賀に助け舟を出した。
千賀はしかし、ふるふると頭を振って教授の手を振り落とした。
「くれぐれもお願いします」
男はそれ以上は言えないのだろう。
俺はすこし男が労しく思えてきた。
「最後にこれは希望制なのですが、我々はあなた方の雇用口を用意しております。雇用条件と連絡先はこちらです」
「いらん」
教授は真っ先に断ったものの、千賀は俺の手を置いておずおずと男からクリアファイルに入った書類を受け取った。
「捨てなさい」
教授はそう言うも、千賀は迷って結局なぜか俺に渡してきた。
俺は何か使うこともあるだろうからと背負っていたリュックに仕舞い込んだ。
「私の仕事は以上となりますが、まだここで話していかれますか?」
「いやいい。行くぞ」
しかし千賀は立ち上がろうとしない。
俺の腕も握ったままだ。
「嫌だ」
「我儘を言うな」
教授は千賀のもう一方の腕を引っ張って千賀を立たせた。
「睦月。お前は私の『子』だ。それはお前もよく分かっているだろう」
「……ッ!」
力が抜けて滑り落ちた俺の腕を、千賀は何とか掴み直した。
千賀かわいいな。
何だよこのおっさん、強すぎるわ。
私の負けでいいよ。
2026/6/13 要望によりルビ追加




