030 ネズミと友達
新キャラ登場。
そして旧キャラのネズミも登場。
やっと退院した俺を職場で待ち受けていたのは、不在時に溜まった大量のカメラデータだった。
気が効くことに、罠は俺が入院したという一報を受けた時点で、海堂女史が全て踏んで回ってくれたそうだ。
確かに罠場のカメラには、不案内に動き回る海堂女史の姿が撮影されていた。
俺の机には、千賀のメモが二つ貼ってある。
「期待して、いいんだよな」
俺は千賀の空っぽの席に向かって、そう独り言ちた。
そういえば、千賀の飼っていたネズミも海堂女史が世話をしてくれていたそうだ。
「片方のケースのネズミちゃん達だけが丸くなってますよね」
千賀のいなくなった今、俺が予想するに、このネズミ達で千賀は唾液の効果を検証していたのではないか。
きっと奴は、自分が一番信用できなかった。
だから、もし自分が人を噛みついた時に、適切な処置をできるよう、自分の唾液がどんな効果を齎すのかを確認したかったのではないだろうか。
俺はスマホで「多血症 症状」と調べてみる。
頭痛、めまい、倦怠感、それと様々な症状がずらりと出て来た。
ネズミを眺めてみると、確かに太ったネズミたちの動きは何となく鈍い。
そういえば、海堂女史は言っていなかっただろうか。
太ったネズミが一匹死んだのだ、と。
俺も、千賀に血を吸われ続けないと体調を崩して、このネズミたちのようになってしまうのだろうか。
どうにも、ぞっとしない話だった。
いやしかし、素人の推測だけで判断するのはよくない。
このネズミたちが、今どんな状況に陥っているのか。
それを突き止めたい。
そういえば、千賀はネズミに関して何か言っていなかっただろうか。
千賀の机の上に、名刺ケースがあった。
パラパラと捲ると、「会田 至門」という名刺が目に止まった。
確か千賀が言い訳の時に口走っていた名前である。
試しに職場のパソコンから、その人物に連絡を取ってみることとした。
俺の机の電話に着信があった。
「会田さんという方からお電話がありましたが、心当たりはありますか?」
「はい、取り次いでください」
「……もしもし、会田と言います。君がむーちゃんのところの山村くん?」
「むーちゃん?」
「ああ千賀のこと。それで、僕の送ったネズミの病理検査をしてほしいって話だけど、もちろんやらせて欲しい。そのために送ったんだからね!」
「話が早い」
「早い方がいいだろう? それで、いつ行けばいい? 明日とかどう?」
「明日は土曜日なので研究所は閉まっています」
「それなら月曜日の午後、そっちに行くからよろしくね、じゃ」
電話は一方的にがちゃんと切られた。
会田は千賀の昔の友達だと言うが、何だか千賀が一般人のように思えて来た。
月曜日の朝。
日曜日まで感じていた身体の火照りが治ったと思えば、首筋の傷がまた新しくなっていた。
奴が来たのだろう。
いま、俺と奴を繋ぐのはこの傷跡だけだと思うと、途端に何か大事なもののように思えてきた。
だが、よくよく考えると千賀のやっていることはでかい蚊とかと同じなので、何だかなぁという気持ちにもなる。
どうして俺の家が分かったのかという疑問には、一度俺を家まで送り届けてもらったという記憶が答えた。
冷蔵庫にあった、俺が入院中に腐った食べ物は既に処分し、冷凍食品もそろそろ底がつく。
土日の間に買い物に行けばよかったのだが、いまいち気分が乗らずに家でゴロゴロしてしまった。
また、平日に買い物に行けばいい。
髭を剃り、身支度を整えてから誰の気配もない部屋を後にした。
今日は午後から会田が来る話だったので、ネズミの様子を見に行った。
太ったネズミのケースの中に、動かないネズミがいる。
死んでいるのかと思ったが、呼吸はしているようだ。
今の設備で自分ができることはないため、とりあえず会田が来るまで置いておくことしかできない。
俺は、採血の時によく座っていた席を眺めてから、実験室の扉を閉めた。
「むーちゃん休職してんの!」
昼ご飯を食べ終わったかどうかというタイミングで会田が訪ねて来た。
ボサボサの髪にしま◯らで買ったようなよれた服を着ている。典型的な研究者という感じだ。
「はい、千賀先生は休職しています」
「お見舞い行った方がいい?」
会田は心配そうだ。
「いや、休職はそういうものではないので」
「そうなんだ。じゃあ早速ネズミ見せてよね」
切り替えが早い。
情緒どうなってるんだこの人は。
俺は、会田に気になったことを聞いてみた。
「千賀先生とはどんな関係だったんですか?」
「うーんと、同じゼミだったんだよね。あ、研究室とは違うよ? 槍先生が特別に開いてくれていたやつで、先生に選ばれた人だけがそこで薫陶を受けられたって感じかな」
俺は会田の口から自然に槍の話が出て来たからすごく驚いた。
普通に大学で教鞭取ってたんかあの人外は。
「槍先生の授業は楽しかったなぁ。何でも詳しいからさ。実学主義っていうのかな、自分の体験が下地にあるっていうような話でさ」
「へ、へぇー」
化け物として長い間生きていればそうもなるのかもしれない。確か、神保は槍を『教授』と呼んでいたことを思い出した。
「で、どうしてむーちゃんは休職したんだい?」
会田は突然振り返って俺にそう尋ねて来た。
「知りませんよ。本人に聞いたらどうですか」
「それがね、連絡通じないんだよね。電源がとか電波が届かないとか何とか言われてさ」
そういえば俺は独自の千賀生存確認をしていたせいで忘れていたが、普通に連絡先も交換していたんだった。
返信が来ないとは思うが、いつか奴が見た時用に何かメッセージでも入れておいてやるか。
「君なら何か知ってると思ったんだけど、本当に何も知らないの?」
これは、会田は俺にカマかけているのか?
分からないが、正直に答えることはできない。
「知りません。千賀先生とはそんな関係じゃなかったので」
「へーぇ、そうなんだぁ。まぁ、むーちゃんも気難しいところがあるからねぇ」
俺は口に出して言ってしまってから、しまったと思った。もし、この言葉を槍が聞いていて、千賀に伝えてしまったら、千賀はどう思うだろうか。
千賀には後でちゃんと俺の気持ちを伝えておこう。
「あと、道分かんないからやっぱ先行ってよ」
会田は俺の後ろに回り込んで来た。
じゃあどうして先に歩いて行ったんだよ。
「ここです」
俺が扉を開けると、会田はするりと中に入っていった。
そして、色々と物色しながらもネズミに辿り着く。
「一匹死んじゃったのと、今朝から一匹、動かないんですよ」
「ねぇ、このネズミに何やってたの?」
急に会田の雰囲気が変わった。
一切のコンタミを許さない、厳しい研究者の顔だ。
「水と餌は同じものを、後は分かりません」
「ふーん」
会田は実験室を歩き回る。
そして、乾燥機の中にある大小のシリンジに目をつけた。
小さなものは何に使ったかは知らないが、大きなものは俺の採血に使っていたものだ。
「液体を注射してたのかな。こっちはネズミには大きすぎるから、別の用途かな」
俺はドキリとした。
会田に何か情報を渡すと危ない気がする。
だが、既にこのネズミを引き渡す話をしてしまった。
まずいのではないか、という考えが頭を過ぎるも、今から断るのはあまりに不自然だ。
まだ会田が全体像を知るには、パズルのピースが足らさ過ぎるはずだ。
「あっ!」
ガシャンという音と共に、会田が転んだ。
今ガラスの音がしなかったかと思えば、机の上にあったフラスコを引っ掛けながら転んでしまったらしい。
知らない場所で彷徨くからこうなるんだ。
「大丈夫ですか」
俺は右手で雑巾を持ち、左手を転んでいる会田に差し伸べた。
会田は「ごめんね、ありがとね」と言いながら俺の手にずっしり体重をかけながら立ち上がった。
「あれ君、結構採血されてるね。献血好きなの?」
俺の左腕を見ながら会田はそう言った。
もう大分前から採血されていないそこは、確かに不自然に血管が少し膨れていた。
「そうですね。会田さんは怪我ないですか?」
「大丈夫だった!」
「じゃ、俺片付けるんで、そこどいてください」
俺はパサリと割れたガラスの上に雑巾を置くと、掃除用具入れの方へと向かった。
「悪いんだけどさ、トイレ貸してもらってもいいかな?」
「どうぞ、出てすぐ左の突き当たりを右です」
姿勢を変えると尿意が分かることって確かにあるなと思いながら、俺は部屋から出ていく会田を見送った。
会田はなかなか帰って来なかった。
もしかすると大の方だったのかもしれない。
「お待たせ、割った上で片付けてもらっちゃって悪いねぇ」
会田はタオルハンカチで手を拭きながら帰ってきた。
「別にいいですよ、よくあることです」
「ネズミなんだけど、両方持ち帰るね」
「はい」
恐らくこのネズミは対照実験をされていた。
病理でも何でも、個体の状態を知るには比較が最も分かりやすい。
一人では持ち切れないので、俺は会田の車に一緒にネズミのケースを運んでいった。
会田の車は、黒いクロスビーだった。
服はよれよれなのに、悪くない車である。
「ここに乗せて」
会田はごちゃついた荷物を乱暴に床に落とすと、ネズミを後部座席に座らせた。
車の汚さは辺りは研究者っぽいな。
「君の連絡先教えてくれる? このネズミについて何か分かったら連絡するからさ」
「はい、お願いします」
そういえば、千賀は恐らくこのネズミの病状から自分の唾液の効果を検証していたが、その時には会田に何も言っていなかったのだろう。
今更ながらに後悔するが、もう遅い。
千賀がいなくなった今、俺は俺自身のために前を向いて進むしかない。
エンジン音を響かせて去る車の、「10-06」というナンバーが嫌に記憶に残った。
クロスビーいいなって思います。
ジムニーも捨てがたいです。
こう、アウトドア系の荷物が積めるあんまり大きくない車がいいなと思います。
買う気はありません。




