023 あくまと招待
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ここまで読んでくれたあなたに、決して後悔はさせません。
決して。
※後悔されても時間は返却されませんのであしからず
次の日。
「昨日の彼女……貴志さんね。明日、ここに家の方が荷物の回収と謝罪に来るって連絡が来ました」
「明日? 今日ではなくて?」
俺は海堂女史に聞き返した。
「都合がつかなかったんじゃないかな」
「なるほど」
俺は例の荷物に目を向けた。
鞄につけられた黄色のお守りが陽の光を受けている。
少しだけ、よくないものが入っていないか確認したい気にもなったが、それは犯罪だと自分を戒めた。
「午後から半休をいただいている」
千賀はそう言ってサングラスをかけて帰ってしまった。カーテンを開けて見ていると、強い日差しの中、ふらふらと自分の車に向かう奴の姿があった。
明日あたり、採血するのだろう。
もしかすると、千賀はこうして日中無理に動いているのも、色々よくないのかもしれない。
だが、大体の仕事は日中行われる。
人間が昼行性の動物だからな。
奴もきっと、夜勤にすれば無理がないのかもしれないが、この研究所ではそれも難しいのかもしれない。
実際、この前会った同族も夜の仕事をしていそうな風貌だった。
どうしたものか。
千賀に言われていた仕事が終わった頃、丁度就業の時間となった。
次の日。
予定表を見たら、海堂女史は午後から出張の予定が入っていた。
「申し訳ありませんが、もし午前中に来なかったら、彼女のご家族の対応をお願いしても大丈夫でしょうか」
急に海堂女史でないと対応できない案件が出たらしい。
海堂女史はギリギリまで研究室にいる予定で、「本当は自分が対応すべきなのですが」と話している。
「任せてください、荷物渡して帰ってもらえばいいんすよね。大丈夫っす」
海堂女史にはいつも世話になっている。
こういう時はお互い助け合いだろう。
この発言がフラグになるとは、俺はこの時露ほども思わなかった。
残念ながら、午前中に、貴志の荷物を受け取りに来る者はいなかった。
海堂女史は何度も「お手数をおかけしますが」と俺たちに言ってから出かけていった。
コンコンコンと、研究室の扉が叩かれた。
俺が「どうぞ」と声をかけると、「失礼します」とドアが開けられた。
あの独特な線香の匂いがする。
喪服のような真っ黒のスーツで身を包み、手には紙袋を持った壮年の男は、右手を胸に置いて綺麗なお辞儀をした。
「この度はうちの貴志が失礼しました。こちら、つまらないものですがお詫びです」
紙袋をごそごそと漁ると、にんにくチップスと書かれたパッケージの袋が現れた。
「私の実家の方のお土産で、にんにくをそのまま揚げたお菓子です。お口に合えば良いのですが」
「ありがとうございます」
俺は苦手だが、千賀が食べるだろう。
千賀がダメでも、海堂女史が食べるだろう。
「荷物はここにあります」
俺は何だか嫌な感じがしたので、早く帰ってほしいという思いを込めて男に貴志の残していった荷物を指し示した。
「ありがとうございます。この度は何とお詫びを言って良いのやら。差し支え無ければ、ここでの貴志の様子を教えてもらっても良いでしょうか。実はあの子が言っていることが要領を得なくて」
「いいですよ」
千賀は何も疾しいことはないと言うかのように、男を座らせて、自分も話をするために椅子に座った。
俺は内心静かに焦りつつも、千賀の指示でお茶を汲みに行った。
「彼女はここに来てから、まずそこの山村と一緒に森の見回りに行きました。普通のスニーカーだったので貸し出し用長靴を使わせましたが、少し大きかったのか、歩き辛そうでした」
「実は貴志は、昔から何もないところでよく転ぶ子でしたから」
「そうなんですね」
俺はぶぶ漬けがあったら出していると思いながら、二人分のお茶を机に置いた。
「私はお茶は大丈夫ですよ、それよりも先生に」
「いえ、私はそちらで飲んでいるので大丈夫です」
千賀が指した自分の机には、カモフラージュなのかマグカップが置かれていた。
男が固辞したお茶は、結局誰もいない席の前に置かれた。
「そういえば、先生のお名前を伺えますか?」
「千賀です」
「千賀って、あの千賀先生ですか? この前の◯◯学会のシンポジウムで発表していましたか?」
「はい、そうですね」
男は突然立ち上がった。
「実は私、千賀先生のファンなんです! 良かったら握手してもらえませんか?」
男はそう言うと右手を差し出してきた。
これはまずい。
千賀の手は、死人のように冷たいからだ。
「……すみません、今手にインクが付いていまして」
千賀はぎゅっと左手で右手を握り込んだ。
「私は気にしませんよ?」
「私が気になります」
男は千賀の顔を覗き込み、千賀は男から顔を背けた。
この男、どこかおかしい。
俺は、この男を早々に返そうと口を挟んだ。
「貴志さんですが、俺の仕事中に宗教勧誘をしてきました。正直迷惑でした」
「それは申し訳なかった。貴志によく伝えておきます」
男は柔和に微笑んだ。
おかしいと一度感じたからか、その笑みが上っ面なものではないかと思ってしまう。
「それで、千賀先生にひどく執着してきました。そこで、帰れと伝えたところ、荷物を置いて帰ってしまったという感じです。以上です」
「帰れ、と言ったんですね?」
男は念を押すようにそう確認してきた。
千賀が口を開こうとしたので、俺は鋭い視線で黙らせた。
「そうです。用のない実験室まで追いかけて来たので、研究室に帰るよう促したところ、意味を取り違えたのかそのまま帰ってしまったんです」
「そうですか……いや、貴志は普段はそんな子ではないので、不自然に思っていたのですよ。貴志は何か言っていましたか?」
「いいえ? 何も」
「そうですか、ありがとうございます」
男は深々と頭を下げた。
俺もつられて頭を下げた。
それがいけなかった。
「あっ」
男が千賀の組まれた手に手を伸ばした。
千賀は驚いて身を捩ってその手を避けた。
「……何ですか」
「今蚊がいたと思ったのですが、違いました。手のインクだったのかもしれませんね」
男は何がおかしいのか、ハハハと声を上げて笑うと、急に黙った。
「少しお手洗いをお借りしても良いでしょうか」
「分かりました、ご案内します」
千賀を手で制して、俺は男を連れて部屋を出た。
「あなたも『エロヒムの救済』の方ですよね」
俺は部屋から十分に離れたところで、気になっていることを聞いた。
「何だ、ご存知でしたか」
「彼女と同じ匂いがしますから」
男は正体を見破られたというのに、痛い腹はないと言うかのように飄々としていた。
「あなたの言う匂いが何なのかは分かりませんが、私たちの家ではいつも特別な蝋燭が燃えています」
「はぁ」
「あなたもこちらに来れば、安全を保証します」
「は?」
俺はあまりに訳の分からないことを言われたので、つい振り返ってしまった。
「まだ確証は持てませんが、千賀先生。あの人は、『悪魔憑き』です」
心臓を鷲掴みにされた気がした。
俺はいま、どんな表情をしている?
「大丈夫、安心して下さい。まだ、あなたは間に合います」
「なにが」
「あなたはまだ、信者になる資格がある」
男は優しげに俺に語りかけた。
「なる訳ないだろうが」
俺は男の言葉を一蹴した。
俺が、千賀よりもこの訳分からん男を信じる理由がない。
「そうですか、残念です」
男は全く残念そうな表情をしていない。
むしろ、どこか愉悦に浸っているような、よくない笑みを口の端で押し留めているような顔をしている。
「では、彼が『悪魔祓い』を受けるまで、私たちは千賀さんを『悪魔憑き』として排斥します」
「は?」
男は意味のわからないことを言い始めた。
一つの宗教団体から排斥されることが、どうなると言うんだ。
「おやご存知無い? 我々がどれだけの信者を抱えているかを。我々はどこにでもいます。駅にも、店にも、勿論政治にも。『悪魔憑き』は、周囲を汚染する悪しき存在です。差別対象であることは勿論、ある種害獣の様に駆除対象とする教義もあります」
「そんなことが許される訳」
男は俺の言葉に被せるように言う。
「神の名の下に許されます。一部の人間は、常に攻撃対象を探しています。飢えた魚の群れに餌を放り込めば、どうなるか分かりますか?」
これは脅しだ。
俺は男に詰め寄った。
「……くそっ! なんで千賀なんだ!」
「じゃあ聞きますが、千賀さんがおかしいと思ったことはありませんか?」
「……」
不意にティッシュを食べたという千賀の顔を思い出した。
心当たりがありすぎて何も言えなかった。
「そういうことです」
男は機嫌良さそうに研究室へと戻って行く。
トイレはいいんかと益体もなく思った。
男について研究室まで歩く。
「名前を教えて下さい」
「山村」
「今週の日曜日、◯◯支部で14時から定例の『聖餐会』があります。そこに、千賀さんを連れて来なさい。貴方に拒否権はありません」
「俺が行かなかったら? または千賀を連れて来なかったら?」
「千賀さんの名前が『悪魔名簿』に記されます」
男は涼しい顔でそんなことを言う。
「……お前らが悪魔って言われないか?」
「私たちは神に選ばれた子です。そんなひどいことを言う方が悪魔だと思いませんか?」
男の言葉に、貴志の信仰の根幹を見た気がした。
「お帰りなさい」
千賀がふわりと出迎えた。
「すみません、お手洗いまでお借りしてしまって。お仕事のお邪魔するのは申し訳ないので、そろそろお暇します」
男は先ほどまでの柔らかな仮面を被り直して、にこにこと微笑んでいる。
「それと、この山村君が私たちに興味を持ってくれたそうで、日曜日に会う約束をしました。お待ちしておりますね」
男はそう言い残し、最後まで名乗ることもなく「失礼しました」と荷物を持って去って行った。
「山村」
千賀は立ち上がってこちらに来た。
何だか不安そうだ。
「千賀先生、奴が言っていた『宗教に興味を持った』というのは嘘だ。ただ、あんたを連れて『エロヒムの救済』の連中に会いに行くこととなった」
「何故?」
千賀は警戒しつつも不思議そうに尋ねた。
「連中、あんたを『悪魔憑き』として教敵にすると脅して来やがった。止めてほしければ日曜日に◯◯支部に来いって話だ」
「教敵になるとどうなる?」
「奴は信者はどこにでもいると話していた。もし、あんたの公開されている顔写真と名前が信者に共有されれば、何をされるか分かったもんじゃない」
俺は言わなかったが、投稿論文の邪魔をされるのはもちろん、この研究室にクレームの電話がかかってきたり、政治家からの圧力がかかったりして、この研究室で働けなくなる可能性もあると考えている。
千賀もその可能性に思い至ったようで、難しい顔をしている。
「だが、私も行っていいものなのか。私自身は直接招かれていないのだが」
「あの男は俺に『千賀と一緒に来い』と言った上で、『千賀を連れて来なければ教敵扱いする』とまで言ってきたから、実質名指しで呼ばれたようなもんだろ」
「確かにそうだが……直接招かれていないのに出向くのは何か嫌な気がする。行きたくない」
千賀はそんなことを言い始めた。
ここで、俺は以前買った本の内容を思い出した。
確か、招かれなければ家に入れない、という性質があることがあるという話だったか。
「嫌でもなんでも行くしかないだろうが。仕事は入っているのか?」
「予定は空いているが、日中か……」
千賀は気が重そうだ。
「俺がついている」
俺にはそれしか言えなかった。
いや名乗れよな。マジで。
まぁ、名乗らない理由はあったのですが。
こいつの名前未だに決める必要がないから決めてないんだわ。




