022 にんげんと暗示
なんだなんだ。
山村は温めてくれるのかな?
↓
「だが、折角来てくれたからには、もう少し話をしてから考えても良いのでは?」
だが千賀はそんなことを言う。
バカーッ!
俺は、あんたのために、彼女を遠ざけたいんだぞ!
「千賀先生、体調悪いんじゃないですか? ちょっと実験室の方で休みませんか?」
意訳、おらてめぇ話があっから顔出しな。
しかし千賀には伝わらなかったようで、
「そうだな、ネズミの様子でも見に行こうか」
少し足音を弾ませながら、千賀は俺に続いて研究室を出た。
千賀はガチャリと鍵をかけ、椅子に腰掛けて俺に「おいで」と言う。
俺は千賀の誘いに乗ってやってるふりをして近づき、
「ちーがーうーだーろー!」
と、千賀の両頬を引っ張った。
千賀はどうして膝の上に来てくれないんだという顔をしているが、頬を引っ張られているせいで締まりがない。
歯が見えるが、牙は大して伸びていない。
今はそういう気分ではないらしい。
「お前なぁ、人に死ねって言われたら死ぬのか?」
「……あぁ、そうだ。私は人間の敵だから……」
「バカー!!」
俺は思い切り千賀の耳元で叫んでやった。
千賀は耳がキーンとしてるのか、叫ばれた方の耳を押さえて下を向いた。
「あんたが死んだら、高嶋教授はどう思う。藤山先生は? 海堂さんは?」
俺は卑怯者だ。せっかく俺のために会わせてくれた恩師たちをダシにしている。
「悲しむ……が、真相を知れば納得するだろう」
「仮定をよくそんなに話せるなぁ。本当にそう言い切れるのか? あぁ?」
「……本当のところは、分からないが。だが私と言う人間は、既に死んでいる」
千賀は自分の動かない胸に手を当てた。
「ならば、俺が見てきたあんたは何なんだ? 必死に人を襲わないように努力して、わざわざ俺から採血して、無味乾燥な注射器から血を啜る情けないあんたは何なんだ! 俺を抱きしめたくて堪らないのに、俺の腕を握って暖をとっている惨めったらしいあんたは何なんだ!」
「み、惨めとかいうな……」
千賀はもう穴があったら入るんでそのまま埋葬してほしいとでも言いそうな勢いだ。
だが、俺がそれをさせない。
「社会という制約の中で、自分のしたいことを、したいようにする……それが人間なんじゃないのか?」
「や、山村は……俺のような化け物でも、人間と呼んでくれるのか?」
千賀は縋るような目で俺を見ている。
まだ、人として生きて良いのかと、俺に問うている。
だが、それを決めるのは俺じゃない。
千賀自身だ。
「あんたは既に化け物だ」
だから、俺は突き放す。
その上で、
「だが、あんたは、下手な人間より人間らしいよ……」
俺が、あんたを認めてやるからさ。
「死ぬなんて……軽々しく言わないでくれ。他の誰よりも、今のあんたを知っている、俺が悲しい」
千賀は肩を震わせて嗚咽を漏らした。
きっと、泣いているのだろう。
俺の頬を一筋の涙が伝い、千賀に落ちた。
「俺は、どうしたら良い?」
千賀はまるで迷子だった。
「自分で決めろ。人間らしく生きるか、それとも、化け物としてここを去るか」
「……」
千賀はまた俯いた。だから、俺が助け舟を出してやる。
「あんたはどうしたいんだ?」
「……このままここにいたい。君と、一緒に」
「本当にそれでいいんだな」
「ああ」
「だったら、あんたは人間だ。少なくとも、人間の心を持っている化け物だ」
俺は千賀の手首を掴んで引き寄せた。
千賀は躊躇いながらも、俺の手を掴み返した。
「それにあんた、日本国籍と住民票持ってんだろ? それありゃ、普通に政府が憲法で基本的人権認めてくれてっから」
「そ、そうだったな。ははは」
俺は元も子もないことを言うと、千賀は脱力したように笑った。
「山村、君の体温を感じていたい。頼む。俺の膝に座っていてくれないか?」
「いいですよ。合格です」
俺は千賀の膝に体重を預けた。
千賀はしばらく、俺のことを包み込んでいた。
「来た」
千賀が俺に囁く。
俺は服を正して千賀の膝から立ち上がった。
ドンドン
「あのー、ここ実験室で合ってますか? 千賀先生いらっしゃいますか?」
「何の用だ」
俺は扉越しに問いかけた。
貴志は「ここなんですね!」と喜色を顕にした。
「海堂先生が千賀先生を呼んでいます! 一緒に来てください」
これは……恐らく嘘だ。
海堂女史が千賀を呼ぶとしたら、まずは内線で電話する。そっちのが楽だからな。次に自分が呼びに来る。こんなぽっと出の不案内な学生を敷地内でうろつかせることは、ない。
「帰れ」
俺はにべもなくそう言った。
こいつとは関わらないのが吉だ。
「そういう訳にはいきません! 山村くんだって中にいるじゃないですか。私だって千賀先生と一緒に実験したいですぅ」
「何言ってんだ、帰れ」
「帰りません!」
貴志には理屈が通用しない。
なぜこのタイプの人間が広義の自然科学であるこの分野にいるのか、理解に苦しむ。
「山村」
千賀が俺の隣に来ていた。
「私に任せてくれないか」
俺は怪訝な顔をして千賀を見た。
千賀をここで出したら貴志がさらにヒートアップしそうではないか。
ただ、先ほど千賀の自由意志を認めた手前、ダメとは言いづらい雰囲気である。
俺はしぶしぶ千賀と場所を代わった。
千賀は躊躇いなく鍵を開け、扉を開いた。
「千賀先生! やっぱりマスクをしてない方がイケメンですね」
貴志は満面の笑みで千賀の登場を喜んだ。
俺は神経を逆撫でされて苛ついたが、千賀は俺を手で制した。
「帰りなさい」
不意に千賀の甘い匂いが一段と強くなった。
「え?」
「帰りなさい」
千賀は念を押すようにもう一度言った。
「はい」
不思議なことに、貴志は何も言わずに踵を返して去った。
千賀が扉の鍵を閉めるのを待ってから、俺は堪らず千賀に尋ねた。
「なぁ、あんた今何やった?」
「何の話だ?」
自覚なし、か。
「いま、明らかに貴志の様子がおかしかった。あそこで食い下がらないってことは、あんたが何かやったんだろ」
「私はただ、彼女に帰って欲しいと強く言っただけだ」
「一瞬、あんたの匂いが強くなった」
俺の指摘に、千賀は自分の服の匂いを嗅いだ。
変化は分からなかったようで、首を傾げている。
内線がかかってきた。
俺の方が近かったので、受話器を取った。
「もしもし、山村です」
「もしもし海堂です、そちらに貴志さんは行ってませんか?」
「さっき来ました」
「ありがとうございます、お手洗いに行くと言ってからいなくなっちゃって……今行きますね」
「あっ、」
ガチャリと電話が切られてしまった。
「千賀先生、彼女、どこに行ったと思いますか?」
「帰ったのではないか? 家に」
「家に」
つまり、千賀は貴志に「家に帰れ」というつもりで声をかけたと。
少しすると、慌てた様子の海堂女史がやってきた。
「貴志さん、帰っちゃったんですか?!」
事の顛末を聞いた海堂女史は驚いている。
「まだ彼女の荷物が研究室にあるから、てっきりここにいるのかと思ってました」
「荷物置いてってどうやって帰ったんすかね? あぁ、スマホと一緒に交通系ICカード入れてたのか」
「でもまだ、話の途中だったんだけどね」
海堂女史は困惑している。
こんなケースは初めてなんだろう。
俺もあんな人間に会ったのは久しぶりだった。
「まぁ、彼女に連絡して、後日取りに来てもらうしかなさそっすね」
「そうね。私も母校の方に何があったかは話しておかないと。お二人には迷惑をかけました」
海堂女史は軽く頭を下げた。
全く、できた大人である。
「海堂さんが謝ることないっすよ」
「別に迷惑など被ってはいない」
俺は、貴志が定期的に通ってくる話にならなくて安堵した。
千賀は普通に失礼なことを言われていた自覚を持て。
この日はそのまま、何事もなく終わった。
誰も使っていない机の上に置かれた貴志の荷物だけが、異物としてそこにあるだけだった。
風もないのに、黄色のお守りがサラリと揺れた。
海堂さんマジで大人。
私もこんな大人になりたいですけど、
毎日一万字執筆創作狂い異常人間には難しい話かもしれませんね。




