015 シカと解体
今日、200pv獲得おめでとう追加の話です。
解体の話です。
グロ注意。
車で研究室のある棟まで戻り、倉庫の裏手の空き地にやってきた。
ここでシカを解体するらしい。
ちなみに屠体は既に山に処理するための穴をいくつか掘ってもらっている。
その都度埋めていく予定である。
まずは、個体の撮影から。
頭が左向きになるようにシカを置き、スプレーで胴体に番号を記入、写真を撮影する。
次に体重の計測。
シカを落ちないように業務用の量りに乗せると、針は52kgを指した。
「メスにしては割と重いな」
これまでの記録を漁っても、50kgを超えるメスは稀であるのでこの言葉は正しいのだが、やはり千賀は時と場合が違うととんでもない勘違いをされそうなことを言う。
その後は解体となるのだが、慣れた手つきでシカのアキレス腱を切らぬように切れ込みを入れ、そこに鉄の太いハンガーを差し込んだ。
「これって途中で腱が切れたりしないんですか?」
「ないな」
そして梁から下げられたフックにハンガーをかけるため、ハンガーとフックにロープを通し、ウィンチを引っ張り出してきてキコキコとシカを少しずつ上げていった。
最後、うまくハンガーがフックに引っかからなかったのを、千賀が柱に登って片腕でひょいとかけているのは見なかったことにした。
筋力ゴリラかよ。
これで無事シカが吊れた訳であるが、千賀は何やらマスクを外してニコニコしながらシカの首を見ている。
「まさかとは思うが、そのまま噛みつく気じゃないよな」
千賀の動きがピシリと固まった。
こちらを向いてまずいという顔をした。
図星かよ。
「誰が見てるか分からんところでやるんじゃない」
俺の言葉に千賀ははっと何かを思い出したようで、どこからともなく新品のバケツを持ってきた。
中には白い粉が入っている。
「これは血液凝固を抑制するための薬品だ。言ってみれば血液サラサラの薬だな」
千賀は聞いてもいないのにそんなことを言い始める。やはり変に準備が良い。
そのバケツをシカの鼻の下に置き、千賀は躊躇いなくシカの喉笛を掻き切った。
「あれ、ナイフは?」
「あっ」
ドクドクと流れ出る血液と、千賀の血に濡れた長く伸びた爪が陽に照らされる。
「おい」
「まずった」
長い爪はすぐに引っ込んだ。どんな仕組みになってんだそれ。
「はい」
俺は用意してあった千賀のナイフを渡した。
千賀は素直に受け取った。
「人にもよるが、私はまず頭から外す」
そう言いながら、千賀はシカの首の後ろを突き始めた。
「脊椎動物は大体そうだが、ここに首と頭骨の付け根の関節がある。ここにナイフを差し込む」
ベリベリと小気味良い音がして、首の丸い関節が顕になる。
「後は首の肉を切っておいて、腕をハンドル代わりにしながら頭を回転させる」
ぐりんと頭を捻ると、皮一枚残して頭が首から外れた。千賀はナイフで皮を切ると、バケツの位置を調節し、俺にシカの頭を差し出した。
「君が欲しがっていた頭だ」
頭を神様にお返しする系のアニメ映画を思い出した。
「肉削いでから水に浸すんで、端に置いといて下さい」
「分かった」
「次だ。内臓を取り出す。大体乳房の上辺り、臍がある付近から刃を入れる」
千賀はすーっと撫でるようにナイフを上から下へと滑らせると、ぱっくりと肉が割れて白いものが見えた。
「腹は毛皮、薄い筋肉、腹膜、そしてこの腹膜の中に内臓が入っている。下手に腹を刺すと内臓が破れて惨事になるから注意だ」
「あ、はい。そんでその薄い肉がカルビなんすよね」
「確かそうだ。それと、内臓を取り出す際は脚の付け根まで斜めに切り込むと後々楽だ」
すっ、すっとナイフを入れると肉が裂ける。
余程切れ味の良いナイフなのだろう。
「鳩尾の軟骨まで縦に切れ目を入れたら、そこから内臓を取り出すのだが、その前に、肛門を抉り取る」
千賀は俺にシカを少し下げさせると、短い尾を上げて肛門を顕にした。
「内臓は口から肛門まで繋がる一本の管だ。だからこうして肉ごとここを抉れば良い。終着点の接続部位はここだけだからな。ただ、非常に大腸は柔らかいので、ナイフで傷つけてしまわぬように気をつけてくれ」
「さっきから誰向けに話してんすか」
「もちろん君だ。知っているならおさらいとでも思ってくれ」
千賀は肛門の横にナイフを入れると、宣言通りにくるりと外してみせた。かなり手慣れている。
「ならば、この後は分かるか?」
「大腸を締めて糞が漏れないようにする」
「その通りだ」
千賀はうまく糞を体内側に寄せると、抉り取った大腸の先端にさらりと結び目を作った。
「これでよし」
「せんせー、真似できる気がしないんですが」
「その場合はインシュロックでも何でも使ってみてくれ」
千賀は大腸から手を離すと、シカの腹に手を突っ込んだ。
一般の人が見てたらギョッとするだろうなとふと思ったが、既にドン引き案件がゴロゴロなので今更だろう。
「君の位置からは見えないだろうが、ここに横隔膜がある。しゃっくりの時に痙攣している場所だ。内臓を取り出すのには邪魔になるため、これは引き裂く」
千賀は事もなげにそう宣い、そのまま腕を動かすと、キュ、やボコっという音が聞こえた。
「いや無理ですって」
「そんなことはない。昔の私でもこの程度のメスならば素手で穴を開けるくらいは余裕だった」
「えー、怖」
「ナイフで臓器を傷つけた方が面倒だからな。よし、横隔膜を何とかしたら、もう一気に内臓が抜ける。だが、今回は」
千賀は血の滴る首の切れ目を見る。既に少しだけ緑の未消化物が赤黒い血の中に混じっている。
「血はもういいな」
千賀は血が入ったバケツを横にどけた。
「このまま首元まで腕を突っ込んで、食道と気道を引きちぎる」
「なんで毎度そんな素手で物騒なことするんすか。ナイフ使って下さいよ」
「……分かった」
千賀は渋々ナイフを使い、腹から手を入れてごそごそしている。
「山村、橇を持ってきてくれ」
俺は先ほどシカを乗せていた橇を持ってきた。既に荷物は洗うものとそのままのもので分けて、そのままのものは倉庫に戻してある。
橇をシカに横付けすると、千賀は「よいせ」と内臓を一気に橇の上にぶちまけた。
当然、俺の服にも血が飛んだ。
「汚い」
「おっと、悪かった」
千賀は中くらいの袋を持ってきて、「これで良いのか?」とか言いながらインシュロックで両端を摘んだ第一胃を袋に詰めた。
そういえば何か研究するのに送るとか言っていたっけな。
「第一胃から、ミノ、ハチノス、センマイ、ギアラでしたよね」
「よく覚えているな」
「この前食べましたからね。あんたの奢りで」
「そうだったな」
千賀はもう一つの袋に、心臓と肝臓を入れた。
空になったシカの腹を見つめて、千賀が唾を飲み込んだ。
俺も気になって覗くと、腹腔に湯気立ち上る血のプールができていた。
千賀はサングラスの奥で食い入るように見つめているのだろう。
「ステイ。傾けてバケツに入れればいい」
千賀はすぐさまバケツを手に取り、右腕で首を掴みながらシカの背を反らし、左手でバケツを持って血を注ぎ込んだ。
相変わらず筋力がおかしい。なんで片腕でシカ持てるんだ。
右に傾け、左に傾け、どうやらうまく注ぎ込めたようだ。
「よかったっすね」
「ああ!」
千賀、ここ一番の笑み。もし俺が女だったら、これが血をうまく注げたことに対するものでなかったら、ドキリとしていたかもしれない。
しかし、残念ながらこれは解体おじさんの血塗られた微笑みである。別の意味でドキドキするね!
「後は、脚を外していくのだが……その前に皮を剥ぐか。皮は、お尻や性器周りを除き、脚は適当に切ってしまえば良い。まだ温かく新鮮な内は、指を入れて服を脱がすように皮が剥げる」
言うが早いか千賀は全ての脚の周りをナイフで切れ目を入れ、お尻と下腹部にも切れ目を入れ、お尻側から頭側へ、ぐいぐいと皮を引っ張っていくと、驚くほどすんなり剥げた。
「それで、毛がつく前に肉を取る。シカで一番良い肉はここだ」
「背ロースですね」
「そうだ。自分で剥いでみるか?」
「そうですね、そうします」
俺は千賀からナイフを借りると、背骨と肋骨に沿わせてナイフを入れていく。
千賀が持っていた時ほどスパスパと切れないが、それでもよく研がれているナイフと思う。
お尻と背中の境目から、鬱血している首元を除いて長くロースを取り、俺は二本とも用意していた袋に突っ込んだ。
「後は吊るしている間に取れるだけの肉を取っておこう」
千賀は雑に後脚の骨から肉の塊を切り出していった。そういえばと時計を見ると既に14時を回っている。今日はお昼はもういいやという気分になってきた。
「知っていると思うが、前脚は筋肉、後脚は球体の関節で繋がっている。後脚は既に肉を取ったので見やすいはずだ。先に前脚から外していく。コツは、脇の間から肩甲骨ごと腕を取る感じだ」
千賀がすっとナイフを動かすと、いつの間にか腕が取れていた。前脚の蹄と握手しながら、うまい具合に肩肉を取り、袋に詰める。
もう一方も同様にした。
「あ、それフィレ肉ですよね」
「そうだ」
俺は両前脚を取り去った骨ばかりのシカの腹の内側を指し示した。内ロース(フィレ)は平面の解体図では大変分かりづらい描き方をされるが、実際には背ロースの反対側についている、とても柔らかく脂肪分の少ない部位である。
千賀は丁寧にそれを剥ぎ、心臓と肝臓の入った袋に入れた。
後脚の付け根、球体関節部分をすっとナイフで撫でるとガタンとシカの成れの果てが落ちた。
脚を捥がれ、僅かばかりの皮と肉と内臓を残す他は骨が顕になったそれの背骨にナイフを入れ、折りたたんでいった。
千賀が大腿骨をトントンとナイフの背で叩くと、骨が割れて骨髄が出てきた。
「骨髄は白いバター状だな」
「つまり?」
「とても良い栄養状態ということだな」
千賀は骨髄を別の小さな袋に入れた。
「では片付けに行こうか」
軽トラの荷台に骨と内臓を乗せる時、シカだったものが随分と軽くなったことに驚いた。
車で林道を行くと、シカを埋めるための穴がある場所に着いた。
穴は意外と深く、俺が縦に入ってもそのまま埋めることができそうなくらいある。
軽トラの荷台に回って橇を覗くと、
「あっ……」
シカの胎児だった。
ようやっとシカの形になったくらいの、奪われた命がそこにあった。
千賀は何も言わずに橇の中身を土の下に捨てた。
しばらく黙祷した後、持ってきたシャベルで盛られた土を崩して軽く埋めた。
シカの肉は俺たちに食われ、土壌動物に食われ、土となり、また命は巡る。
狩猟ではいつも、命を奪うという行為にこれだけの側面があるのかと思い知らされる気がした。
「これならクマも掘れないとは思うが」
千賀が考えているのは別のことだった。
クマが罠場まで来たり、このシカの死体に餌付いたりしたら問題になる。
シカは植物を食べてなくす。
イノシシやクマは死体を掘り起こして食べる。
イノシシは近隣の畑を荒らす。
クマは放置された果樹に登る。
今の時代、あまりにも人と獣との距離が近過ぎる。




