014 シカと橇
一日休んだからといって全快する訳ではないが、少しはマシになるのはまだ身体の若さ故か。
顔色が悪いのがデフォルトになった千賀に挨拶もそこそこ、張り切って朝の罠の見回りに出た。
「あっ!」
何か罠の周辺が荒らされていると思えば、シカが一頭捕獲されていた。
千賀の狙い通り、左前脚にくくり罠が引っかかっている。
とりあえず他の場所も見て回ったが、捕まっているのはその一ヶ所だけだった。
こういうのは一ヶ所かかると後は警戒してかからなくなるとも言うし、人手が少ない今だと何匹も同時に捕獲は難しいから、一頭でありがたかった。
そう考えると、千賀は同時に三頭かかっても何とかする自信があったと言うのか。
なかなかの欲張りさんだな。
「捕まっていたか」
喜色を隠し切れない千賀は、いそいそといつものとは違うレインウェアを着込み始めた。
準備のできた千賀と共に、捕獲用の道具を準備し始めた。
まずは、道具を全て載せるための橇。電殺用のバッテリーと二本の棒に、感電防止用のゴム手袋。
バッテリーはこの前充電したばかりだから大丈夫だろう。
ロープは予備も入れて三本、後はこの前千賀を捕らえ切れなかった足錠。
千賀は不安があったのか、足錠を持ってひょいと固定して自分の腕にかけてみて、そして力尽くで無理やり外した。
「……」
「あの、壊れるんでやめてください」
「……すまん」
その足錠を先端につけるための竿に、この前千賀が一本引きちぎったゴムの帯。
「切れていても使えるからな」
「それ、俺に言ってますか?」
「……」
後は、シカの目隠しをするための布。
いよいよこれからとなって、俺は少し尻込みしていた。
千賀が運転する社用車(軽トラ)の荷台に荷物を積み込み、バタンとドアを閉めた。
現場では、シカは大人しく座り込んで罠の餌を反芻していた。太々しいシカである。
見た目からして成獣メス、きっと捕まらなければ6月には子どもを産んでいただろうと思うと、今捕獲できたことが幸運なのか、母子共々であることが悲運なのか。
「良いメスだ」
千賀は時と場が違えば勘違いされそうなことを言いつつ、てきぱきと準備を進める。
まずは軽々と足錠を開き、ストッパーをかける。足錠の根本に竿を差し込み、伸びたワイヤーの先にはロープをくくりつけた。
「良いか、最初は私がシカの右後脚に足錠をかける。そうしたら、そうだな、あの木にロープを引っ張りながら巻きつけてくれ。慌てなくて良いからな」
「はい」
「次は、固定されたシカに近づいて目隠しをして、左右の脚を一緒にしてゴムで縛る。とりあえず外れなければ良い」
「はい」
「そして、金属部分に触れていないかの確認の後に電殺をする。山村は時間を測っていてくれ」
「分かりました」
「準備は良いか?」
千賀は準備が万端だが、俺はまだ心の整理がついていなかった。
久々の止め刺し作業の、非日常の空気が肺を刺す。
千賀はそんな俺の様子に気づいたようで、心配そうに俺を眺めていた。
以前、俺はふざけて罠に捕まったと千賀に言ったことがあった。
もしかすると、何かが違えば、あそこに捕らえられていたのは俺だったのかもしれない。
もしかすると、千賀に捕らえられ、あの冷たい手が首元にかかっているのは、俺なのかもしれない。
「無理するな。帰るか?」
千賀は俺の顔を覗き込んでそう言った。
気がつくと俺は肩を大きく上下させて喘いでいた。
思ったよりも、千賀と共にいるのがストレスになっていたのかもしれない。
そりゃそうだろう。
どんな小鳥だって隣に猛禽がいたら落ち着けるものも落ち着けない。
「いや……大丈夫です」
ただ俺は、千賀の隣にいることを自分で選んだ。
千賀も俺を無理に襲おうとはしない。
今はそれでいいじゃないか。
不意に、千賀に傷つけられた手が痛んだ。
千賀は頷くと、早速足錠のついた竿を構えた。
よく考えなくとも、この作業はかなり原始的である。どうにかならないものか。
千賀とシカとの距離がじりじりと縮まっていく。
シカはようやっと立ち上がってこちらを見ている。
このシカはなかなかの大物である。
「とった! 引け!」
千賀の動きが早すぎて一瞬フリーズしてしまったが、俺は急いでイメージトレーニングした通りにロープと共に木を周り、最後はテンションをかけて適当に縛りつけた。
千賀は身動きの取れなくなったシカにゆらりと近づく。
シカはこの後に及んでとうとう「メェー!」と鳴き始めた。
だが、その声もすぐ止まる。
千賀がシカに目隠しをしたのだ。
千賀は地面からゴム帯を拾い、シカの後脚をあっという間に縛り上げた。
俺もシカに近づいて前脚にゴムを通して縛った。
シカの脚は人間よりも温かかった。
次はとうとう電殺である。
俺の身体にも緊張が走った。
千賀はバッテリーのコンセントにプラグを入れ、設定を確認しながら動作確認をしている。
準備は整ったようだ。
「準備は良いか?」
俺の方もスマホのストップウォッチを出しており、準備万端だ。
無言で頷くと、千賀もサングラスの奥で目を伏せたのが分かった。
「いくぞ……」
二本の棒の先端の針は、心臓を挟むようにして置かれている。
「スタート!」
千賀は勢いよく針を突き刺した。俺もストップウォッチの計測を開始した。
シカはまず、不自然に硬直した。脚をピンと伸ばし、筋肉は強張っているように見える。
次第に尾蝶と呼ばれるお尻の白い毛が広がっていった。
時間が引き延ばされたような感触、しかし、意外にもすぐに30秒は過ぎ去った。
「30秒です」
その言葉に、千賀は手元の通電ボタンを離したようだ。シカの硬直が解け、大きく息を吐くように身体が落ち着いていく。
千賀は棒を抜き取ると、俺に「もういいぞ」と声をかけてシカを見た。
「まだ心音はするが、もうじき止まるだろう」
なんと千賀はこの距離でも心音が分かるらしい。もしかすると、いつも俺の心音は盗聴されているのかもしれないと思うと、空恐ろしくなる。
千賀は静かに両手を合わせると、小さく「悪いな」と呟いた。
既に心臓の止まった死者のような存在が、冷たい両手を合わせて他の命を奪う姿に、俺は何だか背徳的なものを感じた。
「これからのこともあるから」と、千賀はシカの横に橇をつけて、俺に手伝うよう促した。
「せーの」と背中を軸として脚を橇の側に倒すと、うまい具合にシカが橇に乗った。
千賀はひょいひょいと橇に使った道具を載せていく。俺も使わなかったロープなどをシカの横に置いた。
「一緒に曵こうか」
千賀は橇を引っ張るロープの片側を俺に渡した。
俺はそれを肩にかけて踏ん張る。
橇が少しだけ進んだ。
次に千賀がロープを軽く引っ張った。
勢い余ってシカが跳ねそうになった。
千賀はマスクの奥で苦笑し、俺に足並みを揃える形で一歩ずつ山道を進んでいった。
とりあえず最初の投稿はここまでですわ。
これから、書けている分をまた余裕がある時にまとめて投稿するんで、よろしくお願いしますね。




