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きもちと欲求

これデミグラスソースです。

 千賀の気持ちの欄には[血、お腹空いた、山村がいい匂い、山村を抱きしめたい、山村の温かさ、山村を襲いたい、山村を俺のものにしたい、山村を舐めたい、山村に長生きして欲しい]とあった。

 ちなみに、欲求と気持ちは分けられていない。

 山村の気持ちの欄には[食べ頃、疲れている、お腹いっぱい、千賀が大事]とだけあった。

 どちらも無駄に達筆なのが憎たらしい。


「別にお前の気持ちはいいよ、何思っていても実行に移さなきゃセーフだから。俺が言いたいのは二つ。これは俺の気持ちじゃなくて俺の状態ってことと、お前は身体の欲求とお前の気持ちを分けて書けって言っただろ。やり直し! とは言ってもどうせ同じもの書くんだろ?」


 千賀は「うん」と言った。

 うんじゃねーよ。


「わーったよ、俺も手伝ってやる。そこ座れ」


 俺は飛び出してきた千賀を一度机の前に座らせた。


「いいか、まずは欲求と気持ちを分ける。ここで言う欲求ってのは、お前の身体が求めていることだ。気持ちというのは、お前の感情の声だ。ここまでは分かったか?」


「いまいちピンと来ません」


「よし分かった。じゃあお前の書いたものを使うが、血は論外」


 俺はピッと赤ペンで血という字を消した。

 千賀は眉を顰めている。

 自分が一番求めているものだったからだろう。


「あのな、血ってそんな物理的なものを書くな。せめてお腹空いたにしてくれ。そんでこれは身体の欲求な」


 俺は[お腹空いた]にBと書いた。

 BodyのBだ。


「ただな、お腹空いたのは身体の欲求だが、一部感情が混ざることがある。お前は、俺のところに食べ頃とか書きやがったな。これはアウト。人を単なる食べ物扱いすんじゃない。失礼だぞ」


 俺は[食べ頃]を消した。

 千賀は残念そうに見ている。


「じゃあ聞くが、お前は今の俺、海堂さん、会田、お店の血、これを食べたい……飲みたい……なんだ……摂取したい順番に並べてみろ」


「えぇと、山村、海堂さん、お店、会田の順番かな」


 哀れ会田、いつも選ばれない比較対象として使って悪いな。


「それはどうしてだ?」


「やっぱり、美味しいものを食べたいから」


「それがお前の感情だ。ここにそう書いておけ」


 千賀は頷いて、[美味しい山村の血を啜りたい]と書いた。

 俺はそこに眉を顰めながらもEと書いた。

 EmotionのEである。

 間違っていないので言いたいことはあったがスルーすることとする。


「次にこれだ。いい匂いというのは、食べ物か? それとも、違う理由か?」


「美味しそう」


「よし分かった」


 俺は残念に思いながらも、[いい匂い]にBとつけた。


「問題はこの後だ。お前にとって、温かいと抱きしめたいというのは、接触してエナジードレインすること以外に何の目的があるんだ」


「うーん……まず、山村が冷蔵庫から物を出すとレンジで温めるのと似ている。温かい方が美味しいね」


「なるほどな。他には?」


「山村が腕の中にいて嬉しい」


「その嬉しさはどこから来ている。俺を所有しているからか、それとも、他のことなのか」


 千賀はそこまで深掘りされると思っていなかったらしく、悩んでいる。


「俺のものになっているのが嬉しいし、山村が生きている事も嬉しいし、山村が俺に身を預けてくれている事も嬉しい」


 これは大分複雑に欲求と感情が混ざっていて分け辛いが、俺のビフォーとアフターの感情の配管工としての腕の振るいどころだと思って、頭を回転させた。


「その、生きていることが嬉しいってなんだ。お前の食糧が持続可能だからなのか、それとも、また別になんかあるんか」


「食糧もそうだが、それ以上に、俺が失ってしまったものを得たような、何と言うのか、もう一度心臓が動いているかのような錯覚がある」


「はぁ? はぁ。言いたいことは分かったが、俺にはない感覚だな」


「山村は生きているからね」


 千賀は俺に手を伸ばして「撫でて良い?」と聞いて、俺は頷いて千賀の手を受け入れた。


「おし分かった。身体の欲求の方には、『接触によるエナジードレイン』『所有欲』『生者への羨望』とでも書いておけ」


 千賀は頷いて[接触エナジードレイン][山村を所有][心臓羨ましい]と書いた。

 お前がそれでいいならいい、もう何も言うまい。


「そんで、感情の方には『信頼が嬉しい』とおまけに『俺がいてくれて嬉しい』とでも書いとけ」


「分かった」


 千賀は[山村の気持ちが嬉しい][山村の存在が尊い]と書いた。

 尊いってなんだ、俺は推しか。


「後は……一応聞いてやるが、俺を襲いたいってのは、お前の食欲と、狩猟本能と、所有欲以外になんかあんのか」


「うーん……やはりそれも、特に山村だから襲いたい。何故だろうな」


「俺はそこを聞いているんだよ。俺と海堂さんを比べて、どうして俺じゃないといけないのか考えてみろ」


「うーん……」


「あんまり悩んでいると俺が湯冷めするからな」


「あぁっ!」


 千賀は慌てて立ち上がり、俺の上から布団をかけた。


「分かった。山村は俺をちゃんと叱ってくれるからだ。山村は境界線をすごくしっかりと引く。そんな山村だからこそ、俺だけのものにしたいし、俺だけのものにできているという実感が心地良いんだ、多分」


「うわ……引くわ」


「何故? 山村……」


 千賀は悲しそうな声を出した。


「まずそれは、所有欲だ。しかも、大分歪んだもので、相手を貶めて自分と同じ場所まで引き摺り下ろしたいっていう、よく性欲とごっちゃにされる征服欲、って奴だ。それはな、人に向けてはいけない類の感情だってことを覚えておけ。感じるな、とは言わない。それは無理だからな。だが、それは俺の尊厳を砕いて俺を虚仮にして踏み躙る感情だということはよく肝に銘じておけ」


「征服欲……」


 千賀は分かっているような、分かっていないような顔をしている。

 俺は仕方がないので説明してやることにした。


「俺は今、お前と対等に話をしたいから、お前の感情の整理を手伝ってる。だが、俺がお前を台無しにしたいと思ったらそんなことはしない。俺の血を垂らしたまま待てをさせて、涎だらだらの姿を見て嗤ったり、太陽の下で苦しむお前を馬鹿にしたりするだろう」


「山村はそんな事しない」


「俺はもちろんそんなことはしたくない。だが、これがお前の尊厳を破壊するってことだ。お前が俺を襲いたいっていう欲求の中には、そうして俺を踏み躙るものがあるってことだ。だから、人間を襲うなんて考えるな。分かったか?」


「分かった。人は襲わない」


 千賀はしっかり頷いたが、気を抜くとまた何をしでかすか分からない。


「俺はお前に理由なく本能的に人を襲うことをしてほしくない。それをやった瞬間、俺はお前を見限ることを覚悟しておけ。指切りするぞ」


 俺は千賀に指切りをさせた。

 千賀は俺がすごいことを言うからか怯えているようだった。


「ちなみに、お前が言ったことの方が暴力的なことを忘れんなよ、食人鬼」


 千賀は泣きそうな顔で何度も頷いた。


「ただ、お前が襲われそうになったり、何か理由があって人を襲うかもしれないが、そん時は別に相手を貶めようなんて思っちゃいないだろうからケースバイケースだ。俺は人間に無抵抗で殺されろとは言わない。それはお前の生きる権利を侵害するからな」


 千賀はまたピンと来ていなさそうな顔をしたが、俺は「これは覚えているだけでいいよ」と頭を撫でた。

 そして、[山村を襲いたい][俺のものにしたい]は赤ペンで塗り潰して抹消した。


「ここら辺は所有欲に入れとくからな」


 千賀は頷いた。


「そんで? お前シカを狩ってた時楽しんでただろ。それと、俺と牛革の紐で遊んでいる時、楽しそうだったよな。あれは何だ、狩猟本能?」


「そうだ。ただ、山村の言う征服欲……シカを冷たくすることで、俺と同じ存在に貶めようとか、もう手に入らないのならばいっそのこと壊してしまおうだとか、そんな気持ちがある気がする」


「めっちゃ危ないな。ただまぁ、それもまた欲求だな。別に人間の時はそんなこと全く思ってなかったんだろ?」


 千賀は少し考えて「あまり覚えていない」と答えた。

 それは多分身体の記憶で、感情としては残っていそうだと思ったので、俺は重ねて聞いてみた。


「お前は以前、殺されるシカをどう思っていた? シカは確かに害獣だが、一方的に殺されるべき存在とまでは思ってないだろ?」


「それは今もそうだ。シカを害獣として扱っているのは人間のエゴで、命を奪うことは俺達が生きることと衝突した時のみ正当化されるのだと思っている」


「ただ、それとシカを追いかけて殺したいって気持ちは別物なんだな」


 千賀は頷いた。

 こいつも、まだその辺は整理し切れていないのだろう。


「欲求のとこに[狩猟本能][死者の本能]とでも書いとけ。ファンタジーでアンデットが人を襲うってのはよく聞くけど、本当に本人からそれを聞いたのは初めてだな」


 千賀は[狩猟本能][死者の本能]と書いた。

 そこは変に捻らないんだな。


「そして、舐めたいって何だ。やめろよな。これ大体食欲だろ」


「大体は食欲だが、俺は山村に痛いと思ってほしくないから、麻酔の成分もある唾液をよく馴染ませてから噛みつきたい」


「なるほど。それはお前の気持ちだな。なんだ、[気遣い]とでも書いとけ」


 俺は[舐めたい]を一本線で消し、千賀は[山村が大事]と感情の欄に書いた。


「大事だけじゃ分からんから、大事にしたいとでも書いとけ」


「成程」


 千賀は[大事にしたい]と書き直した。


「最後に残ったこの『長生きして欲しい』は、多分俺を大事にしたいのと、食欲と所有欲と、お前の未来を大事にしたいという気持ちがあるのかと思ったがどうなんだ?」


「そう……だと思う」


 千賀は自分から気持ちのところに[山村との未来]と書いた。

 俺はついでに[お腹空いた]の上に[食欲]と書き、千賀も頷いた。


「いい匂いも食欲な」


「そうだ」


 俺は[いい匂い]も一本線で消した。


「今のところ出たものは整理したが、これ見てどう思う?」


「身体の欲求ばかりだ」


 千賀の身体の欲求は[食欲][所有欲][接触エナジードレイン][山村を所有][心臓羨ましい][狩猟本能][死者の本能]である。

 対して感情は、[美味しい山村の血を啜りたい][山村の気持ちが嬉しい][山村の存在が尊い]である。

 明らかに欲求の方が多い。


「言っておくが、今のところお前の身体の欲求は全て、俺への加害性がある」


 俺は欲求を囲んで[加害性]と書いた。


「つまるところ、お前が欲求をちゃんと管理しないと、俺が削られるってことだ。努努(ゆめゆめ)忘れぬように」


「山村が少なくなる……」


「そうだ。山村は有限だから。株式じゃないから、他から足したりはできないんだ」


「分かった。山村を大事にする」


 この文脈でこの言葉は正しいので、俺は「宜しい」と満足して千賀の頭を撫でた。


「今挙げた中では、お前の感情が少なかったが、お前は別にいつも何も考えていない訳じゃないからな。喜怒哀楽はあるし、嫉妬だってする。単にこれは欲求に結びついた感情だってだけだから気にすんな」


「そうなのか、そう思うことにする」


 千賀は納得してくれたようだ。

山村の面目躍如。

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