そうなんと海堂さん
この話をから海堂さん編です。
次の朝。
俺が起きると、やはり首の付け根に冷たいものがある。ふわふわの毛としっとりとした膜が指先に触れたので、ふくさだろう。
すっかりここが定位置になってしまった。
俺は既に千賀によって寝返りを制限されてるからいいものの、そうでなくとも手で退けてしまったりする可能性もあるので、就寝中に小さな生き物が側にいるのはとかく心臓に悪い。
「ふくさ、おはよう」
俺は安全な枕元にふくさを置き、抱きつく千賀を蹴飛ばすようにして足を引っこ抜いて起き上がった。
「おはよう、やまむら」
「おはよう、千賀」
朝の挨拶をし、準備をして車へ乗り込み職場へ。
日曜日を過ぎたら、月曜日からはこのルーティンがなくなってしまうのだろうか。
それは少し、寂しい。
「千賀はもう、月曜日から仕事に来なくなってしまうのか?」
俺は堪えきれずに千賀にそう聞いた。
「俺は……どうなんだろうな。分からない。その事情を探りに行くのが日曜日なのだろう。俺自身はこのまま山村と何事もなく日常を暮らしていきたいが、父さんが許してくれるかは分からない」
「そうか」
そこで、俺は海堂女史が言っていた二拠点生活の話を思い出した。
「なぁ、千賀。別にさ、俺と教授、どちらかだけを選ぶ必要はないんじゃないか?」
「へ?」
「忙しくなるかもしれないが、一週間は七日もあるんだ。お前の時間なんだから、お前が使いたいように使えばいいさ」
「山村、それはどういう事だ?」
千賀はあまりピンと来なかったらしい。
「言葉通りの意味だよ。ほら職場着いたぞ」
俺は千賀より先に車から飛び出して、海堂女史へと挨拶に行った。
「おはようございます、海堂さん」
「おはよう、山村さん。千賀さんは?」
「もう来ると……来たな」
「おはようございます、海堂さん」
千賀の爽やかな挨拶は、マスクとサングラスに阻まれて胡散臭いものに変換されていた。
「千賀さん、何かありましたか?」
海堂女史は千賀の細やかな変化にまで気づく。
「特には。ただ……そうですね。海堂さん、いつもありがとうございます」
千賀はそう言って頭を下げた。
「千賀さん」
海堂女史は千賀の近くまで来た。
「本当にどうされたんですか? 今度また、どこかへ行ってしまうんですか?」
海堂女史は本当に素晴らしい女性だ。
俺たちが話せないことを抱えていてもなお、何も聞かずに付き合ってくれる。
「それは……分からないです。ただ、俺はこの職場を気に入っていますから、辞めたくはないと思っています」
「分かりました。気をつけて行ってきて下さいね」
海堂女史はそれだけ言うと、席に戻って行った。
「海堂さんが何を考えているか分からない」
「はぁ?」
千賀は実験室でそんなことを言ってきた。
「俺は海堂さんじゃないから直接聞けばいいだろ」
「山村の考えを教えて欲しい」
千賀は俺に判断基準を置き過ぎだと思ったので、俺は、
「分かんないよ。お前が知りたければある程度お前の事情を話せばいいだろ。俺もついていてやるから、聞いてみるか?」
千賀はうんと頷いた。
そういうことになった。
しかし、都合悪く海堂女史は外での調査に出ていた。
事務の方に確認すると、海堂女史は一人で出かけて行ったらしい。
既に日は傾いており、そろそろ終業時間だというのに海堂女史は帰ってきていない。
「千賀、海堂さんを追えるか?」
千賀は海堂女史の椅子の座面に顔を近づけた。
シンプルに変質者でキモいな。
「いけそうだ」
「じゃあ頼む。一緒に海堂さんを探したい」
「勿論だ。行こう」
俺と千賀は準備を整えてから、山に海堂女史を探しに行った。
段々と日が暮れて来て、俺は暗いばかりの林内で蛍光色の上着を見つけることも難しくなってきた。
夜の森は人間の居場所ではない。
俺は千賀を見上げた。
これからは、千賀たちの時間だ。
「こっちだ」
千賀が進むのは、俺たちが罠を仕掛けていた場所へと続く道である。
何だか嫌な予感がしてきた。
「山村、持ち上げるぞ」
千賀は俺を背負って走り出した。
「どうした」
「血の匂いがする」
お前はサメかとも思わなくはないが、今は茶化している場合ではない。
海堂女史が出血している、怪我をしているということだから。
罠場のすぐ横にはちょっとした薮と斜面がある。
以前海堂女史と山を回った時、そこの奥も調査対象種がいると言っていたことを思い出した。
罠場の少し先に、何かが置かれている。
千賀は俺を降ろすと、躊躇いなく藪に突っ込んでいった。
「海堂さん!」
千賀が怒鳴った。
「千賀さん?」
海堂女史の返事があった。
海堂女史本人は千賀に任せて、俺は置かれていた海堂女史の荷物を回収した。
「よっと」
千賀は海堂女史を背負って、軽々と跳躍して戻ってきた。
「海堂さん、大丈夫ですか?」
「ちょっと足を挫いてしまって……携帯も鞄に入れっぱなしだったので、どうしようかと思っていたところでした」
「海堂さん、とにかく帰りましょう。千賀、頼んだぞ」
「分かっている」
千賀は海堂女史に負担にならないよう、お姫様抱っこに切り替えた。
「えっ、えっ、あわわわわ」
海堂女史は驚いているが、大人しく千賀の腕の中にいる。
「千賀、俺はもう暗くて見えないから、お前が頼りだからな」
「あぁ」
千賀はそのまま、遅くもなく速くもないスピードで夜の森を静かに歩いて行った。




