011 ほかくとティッシュ
「千賀さん、大丈夫でしたか?」
部屋に帰って開口一番、海堂女史にそう聞かれた。
「大丈夫……かは分かりませんが、少し休んだら来ると思います」
タン、と床を打つ音に目を向ければ、手で押さえていた傷口から床に血が落ちた音だった。
「山村くん! 怪我してるんですか?!」
海堂女史が慌てて席を立った。
「あ、はい、ちょっと切っちゃいまして」
「別に大したことないですよ」と続けるも、「これ結構ざっくりいきましたね」と海堂女史は傷口を見て冷静に判断、俺に傷口を水で洗うように伝えてから、自分は救急箱からガーゼとテープを取り出して俺を待っていた。
何とも手際良く手当をしてくれる様子をぼぅっと眺めていると、
「最近、千賀さんって調子悪そうですが、山村くんは何か知ってますよね」
海堂女史はそんなことを聞いてくる。
彼女には嘘を吐きたくないが、そうも言ってられない。どうしたものか。
「無理に言わなくても大丈夫です。二人のことですから。でも、山村くんだって自分のこともあるでしょうから、決して無理はしないで、大変な時は頼って下さいね」
「あ、はい」
「はい、できました。今日はお風呂入っても傷口は濡らさないようにして下さいね」
海堂女史はなんてできた女性なんだろう。
千賀と同じ大人とは思えないほど、落ち着いて魅力的な女性だという認識を新たにした。
それに比べて千賀ときたら。
千賀は無言で部屋に帰ってくると、大きく目を見開いて、
「実験室にいます」
とだけ告げて踵を返して行ってしまった。
そういえば、まだ床に落ちた血を片付けていなかったことを思い出し、悪いことしたなと苦笑しながら雑巾で床を掃除した。
特に指示はなかったがとりあえず罠を見回り、餌を補充して研究室に戻り、自動撮影カメラの内容のチェックをした。
「おー、入ってる入ってる」
カメラには、罠を仕掛ける予定の場所までシカが立ち入って餌を食べている様子が記録されていた。
これはすぐに罠にかかってもおかしくはない。
「郵便でーす」
千賀宛に来た郵便物の送り元は、ここの市役所。
もしかすると、と思い、「実験室に行って来ます」と告げて千賀の下へ向かった。
「山村か」
「はい」
何かこの扉越しのやり取り映画で見たなと思いながら、千賀に扉を開けてもらう。
「あ、これ郵便です。もしかしてアレですか?」
千賀は無言で郵便物を受け取り、中を開いた。
「そうだ、これで捕獲ができるな」
千賀は明らかにほっとしている。
「よかったですね」
「本当にな」
はぁーと息を吐きながら椅子に座り込む千賀、それが癖になっていそうだ。
「それと、罠は1番、2番、4番にシカが来ています」
俺は説明しながらノートパソコンの画面を千賀に見せた。千賀は眩しげに目を細めつつ、
「これならすぐに捕まりそうだな」
と満足げに微笑んだ。
「そういえば、千賀先生」
俺は気になったことを聞いてみることとした。
「俺の血の染み込んだティッシュ、どうしたんですか?」
これを聞いたのは単純な興味からだったが、聞いてからデリカシーがなかったかと後悔するも後の祭り。
千賀は「あー……」と言いながら目を泳がせている。
「い、いや何でもないです」
俺は聞くのが怖くなって途中で止めたが、千賀は聞かれたことを律儀に答えようと口をもにょもにょさせている。
「……た……食べた」
「は?」
有名な山羊の童謡と、セルロース、食物繊維という単語が頭を過った。
俺は、とりあえず聞かなかったことにしたかった。
千賀も変な空気にした自覚があるのか、恐らく顔を最大限赤くしながらぷるぷると震えて俯いている。
「そ、そういえば! 罠はどうしますか?」
俺はこの空気を打破しようと、急な話題転換をした。
「そうだな! これから仕掛けに行こうか」
そういうこととなった。
相変わらず千賀は荷物を持つと言って聞かなかったが、今回はさすがに荷物は折半した。
幸い最も陽の高い時間も過ぎ、森は西日がちらちらと入るくらいの過ごしやすい気温となっていた。
千賀はやはりかなり辛そうではあるが、山歩き自体に支障はなさそうだ。
「山村、ここに罠を仕掛けるとしたらどうする?」
千賀が突然そんな抽象的なことを聞いて来た。
振られると思ってなかった俺は、
「えぇと、ここにこんな感じで仕掛ける……でもワイヤーが大分余りますね」
「そう、ワイヤーを隠す位置も考える必要がある。小林式というのは聞いたことがあるか?」
「一応は」
「それを応用して……ここに足跡があるな。それならば、ここに枝を置く。そして、罠を仕掛ける前後に目印にもなる小枝を置き、ワイヤーはこのように敢えて最短を通らずに罠を半周させる形で仕掛けるんだ」
「ほぉー」
確かに千賀の言う方法なら、自動撮影カメラに映っていたシカがすんなり罠に引っかかりそうな感じがする。
俺は少しだけ千賀を見直した。
「とりあえず、今日は三基だけで良いか」
千賀は驚くほどの速さで土を掘り、枝を運び、罠を設置しては埋めて落ち葉で綺麗に隠した。
俺に一つくらいやらせるのかと思いきや、そんなこともなかった。
「早く帰るぞ」
千賀は持って来た荷物を手早くまとめ、さっさと立ち去ろうとした。
俺は置いていかれまいとそれに着いていく。
「何急いでいるんですか」
千賀はその声にくるりとこちらを向き、
「忘れていた、ダニチェックをしていない」
と言う。そういえばと俺もズボンを伸ばしながら見るが、とりあえず今回はダニは付いてなさそうである。
ふと顔を上げると、千賀と視線が合った。
「ダニも私に反応しない」
だから、代わりに俺のチェックをしてくれているらしい。
「べ、便利です……ね?」
俺はとりあえずそう相槌を打っておいた。
倉庫に荷物を下ろして、研究室に帰る頃には終業時刻となっていた。
ティッシュ食ったとか面白すぎんだろ。
後で散々山村に擦られます。




