ふりかえりと成長
「山村。俺は以前とどこが違うのか」
「以前? それはいつからだ」
「お前の部屋に住むようになってからだ」
「うーん……」
俺は千賀との記憶を掘り起こした。
「まずは、全体的に俺への接触が増えたことだろ、段々と寝る時間が長くなったことだろ、犬の玩具で遊ぶようになったことに、後は自分自身に素直になったことかな」
「えっ?」
千賀は戸惑っている。
きっと俺の言葉ではなく、教授の言葉にだろう。
「その、自分自身に素直になったというところを詳しく聞きたいと父さんは言っている」
「話したいのは山々だが、そろそろ飯を食わないとだからまた後でな」
俺はふくさをポケットへ仕舞って、研究室にお昼ご飯を食べに行った。
「最近の千賀さんは機嫌が良さそうですね」
昼飯中、海堂女史にそう話しかけられた。
「ほんとですね。なかなか研究室に来ないけど」
千賀は最近実験室に荷物を持ち込んでそちらで仕事をしている。
何だかんだ言って近くに人間がいると集中力が削がれるのかもしれない。
「そうですね。中々お話できなくて残念です。山村さんは、いつも千賀さんとどんなお話をしているんですか?」
「俺ですか? 飯のことだったり、これからのことだったり、いつもの生活のことだったりですかね」
「平和ですね」
「本当にそうですね、だから千賀先生がいつか家に帰ってしまわないかと不安です」
俺はいい機会なので、教授のことをぼかして海堂女史に相談してみた。
「そうですね……ただ千賀さんはここで働いていますし、山村さんの側を離れたがらないと思うんですよね。だから、もしご実家に帰るとしても、二拠点生活のような、そんな生活になるんじゃないかと思います」
「二拠点生活、ですか」
「ええ。別に完全にどちらかを選ぶ必要はないですから」
「なるほど……」
俺はもしかしたら、教授と千賀との関係に、一つの答えを得たのかもしれない。
時計を見ると、もう時間ギリギリだ。
俺は弁当をかき込んで、「行ってきます」と海堂女史に告げて研究室を飛び出した。
そしてすぐに、思い出して研究室に戻り、
「海堂さん、ありがとうございます。俺行ってきます」
そう挨拶して、外へと繰り出した。
「おまたせ、千賀」
「待っていたよ」
千賀はマスクとサングラスの奥で微笑んだ。
「悪いな、ついてきてもらって」
「山村一人で行かせる方が嫌だ」
「そうか、ありがとな」
俺はそう言って、千賀の手を取って歩き始めた。
「今日は特に暑い、早く帰ろう」
俺はそう千賀に話しかけると、千賀は頷いた。
「あと、何だっけ、お前が自分自身に素直になったって話だけどさ」
きっと、教授もふくさを通じてポケットの中から聞いているだろう。
「最初お前ってさ、自分がしたいことも分かっていなかっただろ。欲求を押さえつけるために自縛までしていたんで俺は変態の邪魔しちゃったなと帰ろうと思ったのをよく覚えているよ」
「そう、だったな」
千賀にしては思い出したくない過去かもしれないが、俺たちの今の関係はその辺りから始まったからな。
「そんで、俺に襲いかかって、で、何とか耐えて採血したよな。そんで『まずい』って言われて、俺は採血までさせておいて何だこの野郎と思ったわ」
「ごめん……」
千賀は小さく俺に謝った。
「別にいいよ。で、その次はこいつ俺に抱きつきかけて『耐え難い』とか言い出したからな。マジ何言ってんだって思ったわ。未だに意味分からんからな」
「そう、か……」
「俺はいつもその意味分からん行為に付き合ってやってるんだから、感謝してくれよな」
「ありがとう、山村」
千賀は俺の手を握る手にぎゅっと力を込めた。
「その後は何か俺を膝に座らせるようになったり何だりして、シカ捕まって妙に充実したような顔をしてたりしたよな」
「そうだ。山村で言うと、畑で野菜を収穫して料理して食べる一連の流れを体験したような感じだと思う」
「おぉ、ちゃんと言語化できるようになった。すごいな千賀」
千賀は俺から真っ直ぐに褒められて照れている。
「で、ゴールデンウィークよ。お前この頃から『私は……化け物だから死なねばならないんだ!』的な厨二病みたいなことを言い出したよな」
「あれは忘れてくれ」
千賀は顔を背けてそう吐き捨てた。
だが、俺はバッチリ覚えておいてやるよ。
「ちゃんと覚えているよぉ千賀クぅン。まぁ今は逆にお前が俺に死ぬなと言われてるがな」
「そうだぞ山村。俺を置いて死ぬな」
千賀は一歩前に踏み出して俺をリードし出した。
俺は笑って誤魔化した。
これから先で、何かいい方法が見つかることを祈って。
「で、貴志とかいう奴が現れて、お前は無意識で催眠使ったよな。基本お前のせいだからな」
俺が空いている手で指差すと、千賀は片手を開いて手を振った。
「あれは無意識だったんだ。山村との時間を邪魔されたのに少し腹が立った」
そんなことだろうと思ったが、いざ言葉にされると何だか嬉しいものだな、自分との時間のために怒ってくれる相手がいるということは。
「俺はお前がひどい扱いをされている方が気になったよ。あの時、山で俺、献血は悪って言われて、お前のことを思い出してヒヤヒヤしっぱなしだったんだぞ」
「……山村のことを思い出したらお腹空いてきた」
千賀は日光を遮るための不審者の装いで危ないことを言い始めた。
「今の文脈のどこにそんな要素あったよ」
「血」
「お前との過去大体血なんだが。家に帰るまで耐えてください」
俺は千賀の先に一歩出てリードした。
「で、お前のせいで貴志が荷物を忘れて、変な奴が取りに来たんだよな。あいつマジいけすかない。あいつがいなきゃお前は何度も撃たれる目に遭わなくて済んだのに。今度神保に苦情入れとこ」
「そうだね、あぁ、うん……あの人間、少し仕置きが必要かもね」
俺はこんなに暑いのに、背筋が寒くなった。
俺が手を繋いでいるのは、人間を食べるタイプの人外であった。
「あいつ、本当に見事にお前を招かなかったよな。あれ絶対わざとだろ」
「彼は保険をかけていたのだろうけど、それで我々を止められると思うのは、可愛いものだ」
千賀が変なモードに入っており、先ほどから物騒な話ばかりするので、「怖いから手解くぞ」と言うと「分かった、分かったから」と言ってくれた。
「それで、お前は招かれていないあの施設で、初めて氏家と神保と出会ったんだよな」
「山村はあの時、どうしてお茶に薬が入ってるのが分かったんだ?」
「言ったろ、俺は鼻が効くんだ。薬臭かったんだよ」
「成程」
千賀は納得してくれたようだ。
今になっては、千賀の鼻の良さには敵わないとは思うが、俺はきっと人間一般よりは鼻がいいのだろう。
「千賀がいなければ俺は襲われなかったが、千賀がいたから俺は助かったんだと思ってるよ」
「あの時は本当に必死だった。まだ何が可能かも分からない中で、飢餓状態のまま良い匂いの山村を抱えて逃げなければならなかったからね」
「そうだったよな、本当にあの時は大変だった」
俺と千賀はしみじみと頷き合った。
「俺はあの遊具の中で、はじめてお前を怖いと思ったんだよ。俺動けなくなるし、お前歯止め効かなそうだし。しかもその後普通に善意のタクシーで施設まで送り返されるしで、散々だった」
「あれは、その……」
千賀は言い淀んでいる。
「謝らなくていい。お前も限界だったんだから。ただお姫様抱っこ公開処刑は許さん。おんぶとかあっただろ普通に」
「それはごめんなさい」
「いいぞ。お前なりに助けてくれたんだ。感謝してるよ」
俺は止まって、手を伸ばして千賀の頭を撫でてやった。
千賀はなぜ撫でられたのかは分からないがラッキーくらいの態度だと見受けられる。
こいつの情緖訓練はまだまだ先が長そうだな。
「お前散々撃たれていたよな。平気だったかって聞き方もアレなんだが、大丈夫だったのか?」
「あの後、父さんに血をもらいながら無理やり弾を身体から引き抜いて痛かった」
「それは……痛かったな」
俺はまた千賀の頭を撫でた。
千賀は痛みを思い出しているからか、俺の手はあまり意識していないようだ。
「本当はこうして撫でられながらの摘出が良かったな」
「あ、そう……」
俺はその現場を想像し、あまりに凄惨過ぎてやめた。
そんなところに俺を連れて行くな。
「お前よくあの時死ななかったよな。限界だっただろうに」
「俺は幸運だった。山村がいたし、父さんも俺の助けに来てくれたから」
「そうだな。普通にあの時は教授がいないとダメだったな」
俺はポケットの中に指を入れて、ふくさを撫でてやった。
もふもふで指先が幸せだ。
「ま、その後はお前と再会するまで頑張って、後は何か色々あって今に至るな」
「俺は山村との日々で、どう変わったのだろうか」
千賀はゆっくりと立ち止まって、俺にそんなことを聞いた。
「お前、気づいていないのか? さっきから、昔の時の気持ちとかをすらすらと言えているじゃないか」
「あっ」
「それは、俺も頑張ったが、お前が一つ一つ考えて歩んできた結果だ。よく頑張ったな」
俺はまた千賀の頭を撫でようとすると、今度は千賀が自分から頭を差し出してきた。
俺は「でもまだまだだからな」と髪の毛をわしゃわしゃにした。
一瞬で元の形に戻った。
ずるいな。
「じゃ、罠を回収して戻るとするか」
「あぁ!」
俺たちの隣にある罠は、シカにも分からないようにひっそりと埋まっていた。
そんなこともあったね。




