きょうじゅと端末
部屋には最後に見た時と同じ姿勢で教授がソファに腰掛けていた。
俺は机を挟んで教授に対面する形で座った。
ここは俺の家で、恐らく教授は俺に招かれた状態でここにいる。
それはきっと、俺が主導権を握れるということだ。
「どうして日曜日まで待てなかったんですか」
「私の家では、睦月とお前の関係の全ては分からない」
それはそうだろうなと思った。
公共の場や他の人の家ではリラックスして千賀の欲求に付き合ってやることは難しい。
「睦月は私の血に反応した。だが、腹が満たされているのもあるだろうが、一瞬躊躇してみせた。これは私が教えていないことだ。同時に、手加減は出来なくとも山村葉一を捕まえてもみせた。これは、非常に興味深い事だ」
「はぁ」
「一つ、試したい事が出来た。山村葉一。止まれ」
甘い匂いが強まり、俺は身動きが取れなくなった。暗示か、催眠か。
意識ははっきりしているのに、動けないことがもどかしい。
教授は俺の首を傾け、俺の首筋に顔を埋めていく。
一舐めされた後、ピリッとした痛みが走った。
「子のものに手を出す程私は飢えていないが、睦月はこれをどう思うか」
教授はソファに戻り、俺に傷をつけた同じ箇所に爪で引っ掻いて傷を作った。
「さぁ、睦月。お前はどうするのか、私に見せてくれ」
千賀が風呂から出て、部屋にやってきた。
「山村! と、父さん……?」
千賀は血の匂いに慌てて声をかけたのに、俺が動かないので異常を感じたようだ。
「睦月、お前はどうする」
千賀はまず俺の首筋の傷を見て、教授の唾液の匂いがしたからか、教授の方をバッと向いて、しかし教授も血を流していたからか、混乱している。
俺は落ち着けと言ってやりたかったが、口すらも動かない。
千賀は教授に向かって飛びかからん勢いだったが、思い留まって、
「父さん。俺を試さないでほしい。山村を自由にして下さい」
そう言ってから、俺の首筋を舐めて傷を塞いだ。
教授がふっと視線を逸らすと、俺の身体に自由が戻った。
「あんた何がしたかったんだよ」
俺が真っ先にそう聞くも、教授は答える気があまりなさそうである。
「不可思議だ」
教授はぽつりとそう言った。
「睦月は私の体質を受け継いでいる。我々の、残虐性、冷酷さ、弱点に欲望。しかし、今の行動はそのどれにも当て嵌まらない。やはり、山村葉一。お前が鍵なのか」
教授は俺の顔を覗き込んだ。
千賀とよく似た色の目が俺の目と合う。
「それとも、継承しているというのか?」
教授は今度は千賀を覗き込んだ。
千賀は顰めっ面で教授を見ている。
先ほどのことを許していないのだろう。
「山村葉一。最近の睦月に何か異変はあるか? 例えば、睦月自身が知り得ぬ事を口にしたり、とかな」
千賀は俺を見ている。
千賀自身はマリアをよく分かっていないからな。
俺はどう答えるべきか、少し考えた。
「あんたが何か知っているのなら、話は聞く。それから俺が判断して、情報を渡すのならいいぞ」
「それには一から説明したい。まだ、ここにはピースが揃わないからな」
教授はあくまでこの場で語る気はないらしい。
それならば、俺もここでは何も語る気はない。
教授は手慰みに千賀の頭を撫でており、千賀は最初はつれない態度であったが、撫でられている内に態度が軟化していき、教授の手にすりすりし始めた。
俺が「千賀」と呼ぶと、千賀は俺の隣に帰ってきた。
教授は千賀を見ながら、
「睦月。お前は山村葉一を巣の中に閉じ込めたいのではなかったか?」
「はい」
千賀は無表情でそう返事をしてから、教授から目を逸らして目を泳がせている。
「山村葉一。睦月は何をお前に望んだ」
「あー……」
俺は答えるべきか迷ったが、教授からお子さん(千賀)を預かっていると考えると、説明責任があるかと思って答えることとした。
「千賀は俺を、自分の布団に乗せて覆い被さってから、自分の掛け布団で包まれて、俺が自分のものだと確認したい、そういう意味です」
「成程。ではやってみせろ」
「へっ」
千賀はまた固まった。
「どうした? やりたいのではないのか?」
教授が千賀を煽るが、千賀は板挟みになって動けない。
本当に何をしに来たんだこの人は。
俺は俺なりに、教授が何しに来たか考えることとした。
そうでないと、満足して帰ってくれないからな。
それでは困る。
「槍教授。あんたは、千賀と俺が何をして、千賀が何を感じているのか知りたいってことなのか?」
「それもあるが、睦月の変化を知りたい。私にはそんなことを頼む気配すら無かった。何故山村葉一なのか。何故その様な事を頼むのか。全くもって理解し難い」
「なるほどな。千賀、説明の時間だ」
「へぇっ?!」
突然話が自分に来た千賀は驚いている。
どうしたらいいのか、俺に助けを求めてきたので、俺は、
「いつも通り、教授がいない時と同じようにすればいんじゃないか?」
と千賀に言った。
教授は「成程」と呟き、服の中から一匹のコウモリを出した。
「これを私だと思え。現に私が見ている時もある」
そう言って、コウモリを机に置いて窓へと向かった。
「邪魔をした。日曜、待ってるぞ」
そのまま外へと消えていった。
「あの人、何しに来たんだ……?」
千賀は俺の問いには答えず、コウモリを見ている。
「父さん?!」
千賀はコウモリに向かって話しかけ始めた。
とうとう、千賀も行くところまで行ってしまったのかと思っていると、「違うんだ山村」と訂正が入った。
「このコウモリは父さんの端末のようなもので、今、父さんがこのコウモリを通じて俺に話しかけてきたんだ」
「ほぇー」
生体スマホかな?
とにかく便利なことには違いない。
「えっ、えっ」
千賀が俺に「どうしよう」と駆け寄ってきた。
「どうしようも何も、俺は何も聞こえないんだが」
「そうなのか?!」
千賀はコウモリに確認すると「そうだ」とでも言われたのか、「そうなのか」と呟いている。
「あのね、山村。さっき父さんが聞いてきたことを、このコウモリに話したり見せたりしてくれれば伝わると言われた」
「んじゃ、そうすればいい。いけ、千賀! 今こそ俺と磨いた言語化スキルの出番だぞ!」
「えぇぇ……」
千賀はコウモリと俺とを見比べている。
「それとも何か? 暫くやっていないから、やってからじゃないと感覚を思い出せないってのなら付き合ってやるぞ」
「は、恥ずかしい……」
「別にコウモリ一匹に恥ずかしがるのもおかしい。お前は、そういうことをいつも部屋でやってるという自覚を持て」
「ぐっ」
千賀はダメージを受けた。
「千賀」
「やらない」
「お、そうか」
千賀は俺を巣に入れるのをやめると言って聞かないので、俺はその時間にゲームでもしようかなとゲームを探す手を千賀に掴まれた。
「やらないんじゃないのか」
「やりたい」
「字面が危ないからちゃんと何がしたいのか説明するんだ」
俺は千賀の手を振り払って、ソファに座った。
「とりあえず椅子になる」
「分かった」
俺は千賀の上に座った。
千賀は俺を抱きしめるように両腕を回し、左右にゆらゆらと揺れている。
コウモリはその様子を見ていた。
「ぎっ?!」
千賀の動きが止まった。
「どうした?」
「今の感情を述べよ、と言われた」
「述べればいいじゃん」
「無理……」
「無理とか言うなら俺を離せ」
「無理……」
千賀は俺を離す気も、今の気持ちを話す気もないらしい。
俺は「仕方ないな、俺が手本を見せてやるよ」と、コウモリの方を向いて、こう言った。
「俺は千賀の膝に座っているが、正直座り心地は悪い。冷たいし、固いし、背もたれも質が悪い」
「山村……」
俺の散々な評価に千賀は泣きそうだ。
まぁ実際は泣けないのだが。
「だが、俺はここにいて安心している。大体何が来ても大丈夫な気がする。俺の大事な人にこうして求められるのも、悪くない気がする。それにこうすると千賀が落ち着くからな。俺は何かこう……あれだ、緊張した時に握るボールみたいなものだと割り切っている」
「や、山村?!」
俺の感想に、コウモリはうんうんと頷いた。
教授が置いていったから不気味なものかと思っていたが、急に可愛く見えてきたな。
千賀は俺の感想に衝撃を受けてまた固まってしまった。
何しに来たんだこの人




