ふろと来客
「千賀、まず風呂だ」
扉を開けた瞬間にそう言うと、千賀は風のように風呂場へと向かっていった。
俺は目で追えなかった。
俺はその間に以前千賀と作ったハンバーグを冷凍庫から取り出して弁当箱に詰めた。
ついでに冷凍ブロッコリーも詰めた。
その内に千賀は俺の後ろに立っており、俺は「はいはい」と弁当箱を冷蔵庫に入れてソファに腰掛けた千賀の上に座った。
「で、まだ時間あるけど何がしたい」
「山村を俺の巣の中に閉じ込めたい」
巣というのは、きっと布団の上から掛け布団をかけてその中に納まる行為だろう。
「分かった。だがそれは風呂入ってからな」
今はまだ服に焼肉の匂いをつけたままである。
こんな服で布団の上に上がりたくはない。
「それまではどうする?」
「山村と遊びたい」
「何で、どう遊びたいんだ」
「また紐を引っ張って欲しい」
千賀が言うのは、牛革の紐の玩具のことだろう。
今度は何かに噛みつきたい欲求があるのか。
「分かった」
千賀は俺を丁寧に下ろして、紐を持ってきた。
「お前の布団があると場所が狭いな」
その一言で布団が折り畳まれてどかされた。
「そんなに楽しいのか」
俺が聞くと、千賀は「楽しい……?」と感情が迷子になってから、考えることをやめて紐に噛みついた。
「まぁ、やってからの感想でもいいか」
千賀は大きく頷き、俺は紐を引っ張ろうとして……そのままの勢いで後ろのベッドに倒れ込んだ。
「千賀、危ないだろ!」
しかし、千賀は窓の外を見て動かない。
コンコンと窓をノックする音がする。
「夜分に失礼」
窓の外には、俺たちが探している教授その人が立っていた。
「は?」
俺の頭は理解を拒んだ。
どうして、俺たちが探していた人物が突然こんなところに?
「父さん」
千賀はふらふらと窓の方へと歩いていった。
「山村、父さんを招いてくれないか?」
俺は言われている意味が最初分からなかったが、そういえば招かれないと入れない訳ではなさそうだが何かしらの障害があることを思い出した。
「どうぞ、槍教授。狭い部屋ですが」
俺は警戒しながらも窓の鍵を開けて、教授を家の中へと招き入れた。
「睦月。お前を見ていたが、最近はよく食事をしているな」
教授は座っている千賀の頭を撫で、千賀も教授の頭に擦りついている。
俺はその時、確かに自分が教授に嫉妬したことを感じた。
「どうしてここへ?」
「お前達は私の家に来ると言った。その前に、私がお前達の家に来る事に何ら不思議は無いだろう」
「はぁ」
教授の言い分は筋が通っているが、何を言いたいのかがいまいち分からない。
「睦月。山村葉一と遊んでいたのだろう。私にもその様子を見せてくれ」
「……えっ」
千賀は教授にそう言われてフリーズした。
俺もまた一時停止をした。
確かにカーテンは少し開けていたが、見られていたのか。
俺は途端に恥ずかしくなって、教授に食ってかかった。
「何ですか。覗き見していたってことですか」
「親が子を見て何が悪い」
さすが教授、何も悪びれもせずにそう言ってのけた。
教授は千賀のサラサラの髪に触れながら、先ほどまで千賀が咥えていた牛革の玩具の先端を掴んだ。
「ほら、睦月」
しかし千賀は動かない。
教授の前で、遊ぶという発想がないようだ。
どうしてという顔で教授を見つめている。
俺も、どうしてという顔で教授を見つめた。
何をしに来たんだこの人は。
教授は自分の思う通りに千賀が動かないことに痺れを切らしたのか、躊躇いなく自分の手に噛みついて、出た黒に近い血を牛革の玩具の先端につけた。
教授の血を見てから、千賀の顔つきが変わった。
俺は千賀の言っていたことを思い出した。
戦場では、敵と教授の血で飢えを凌いでいたとか、一番最初に噛みついたのは親である教授だったとか、そんなことを言っていなかったか。
「気張れよ、山村葉一」
教授は俺に玩具の反対側の先を放った。
俺はそれを反射的に掴んで引っ張った瞬間、身体が宙に浮いた。
気がつくと、千賀が俺の首筋をしきりに舐めていた。
「弱いな、人間は」
教授は不満げにそう言った。
俺は千賀の頭をバシっと叩き、「やめろ、降ろせ」と言うと、千賀はハッと気づいて俺を下ろした。
教授は何をするのかと思えば、千賀に玩具の片方を渡して、今度はもう片方を自分で握った。
「睦月、引っ張りなさい」
「えっ」
千賀は戸惑っている。
千賀は意味が分からなすぎる現状で、俺に視線で助けを求めてきた。
俺は冷静にこの状況を観察した。
そして、
「あんたら二人が本気で遊ぶと部屋が壊れるからやめてくれ」
俺は教授と千賀の動きを止めることに成功した。
教授は俺たちを一瞥し、
「肉臭い。いつもこの後は風呂に入るのだろう」
教授がそう言うのと同時に、お湯張りが完了したという通知が鳴った。
「面倒だから一緒に済ませろ」
「えっ」
「は?」
教授は有無を言わさずに俺と千賀を掴んで風呂場に放り込もうとしたので、「待って待って」と必死に止めて、俺と千賀は着替えとタオルを用意してから風呂場の前に立った。
教授は何も言わずにどかりとソファに腰掛けた。
俺は覚悟を決めて「千賀、風呂に入るぞ」と言うと、千賀も覚悟を決めたようで「行こう、山村」と服を脱ぎ始めた。
どうして、俺たちはこんな覚悟を決めて風呂に入っているのだろうか。
俺はとりあえず千賀を風呂に突っ込んで、俺自身の身体を洗っていた。
「山村の身体って今はそうなってるんだね」
「そうだよ、これがお前が世話している身体だ」
少しお腹周りの肉付きが良くなってきた自覚のあるあまり自慢できないボディだ。
俺は自分の身体を洗い終わると、千賀に「風呂から出てくれ」と言った。
千賀は嫌々するも、俺が有無を言わさせない態度であることに気づき、「手を貸してくれ」と言いながら何とか立ち上がった。
「椅子に座っててくれ」
千賀は素直に風呂の椅子に座った。
それにしても視界が青白い肌で埋まるな。
俺がシャワーを出し始めると、ビクっと身体が震えた。
そういえば流水で動けなくなるんだったな。
「安定した姿勢を取ってくれ。俺が洗ってやるから」
千賀はそう言うと少し安心したのか、軽く股を開いて背筋を伸ばした姿勢になった。
俺は千賀の頭からシャワーで水を流してやり、適当に泡立ててからお湯で流した。
その後はボディソープで顔から足の先まで全部泡をつけていつものスポンジで洗った。
股座のところだけは手が届かないという理由で触れなかった。
とりあえずほぼほぼ洗えたので、適当に水で流すこととした。
「顔流すぞ」
千賀はうんともすんとも言わずに目を瞑っているので、俺は適当にお湯をかけて泡を流した。
泡を流し終わっても、千賀は動かない。
もしかしたら、動けないのかもしれない。
仕方ないので、俺は下を流れる水がなくなるまで、タオルで自分の身体を拭いてパジャマに着替えていた。
着替え終わった頃、鏡に赤いものが映っていると思ったら千賀の目が開いていた。
「山村、まだ動き辛い。タオルを取ってもらえるか」
「ほいよ」
俺が千賀にタオルを渡そうとするも、千賀はうまく動けないのか、受け取ろうともしない。
「わーったよ」
俺は仕方なく千賀の頭からタオルでわしゃわしゃとして、水気を拭き取っていった。
「後は自分でやれよ」
俺は半分くらい濡れたタオルを千賀の腿に掛けて一人で風呂を出た。
驚きの来客、俺でなくては招き入れないな。




