第4話:あまりにも生き生きとした世界
【番外編】
領域を離れ、短い闘いを後にしたヴェルドラは——
次元の狭間を突き進む。
濃密な光が空間を裂き、彼の通った後には現実の構造に波紋が広がる。
彼は速度を緩めた。
「……違うな」
ニリオンを発って以来、初めての感覚。
それは圧力だった。
脅威という意味ではない。
それは……存在そのものの『密度』。
「この世界……空っぽじゃない」
口元に小さな笑みが浮かぶ。
彼の前に——
一つの世界が開けた。
惑星キョウゲンマイ。
そこは波のように押し寄せ、激しくぶつかり合う悪魔の気配に満ちていた。
躊躇うことなく、彼は降下する。
——
ドガァンッ!!
地面に激突した衝撃で、結晶質の大地が砕け、破片が四方に飛び散る。
周囲の魔物たちの動きが一瞬で止まった。
すべての視線が、一斉に彼へと注がれる。
沈黙。
ヴェルドラはゆっくりと立ち上がり、辺りを見回す。
様々な姿の魔物たち。
荒れ狂うエネルギーの奔流。
重く垂れ込めるような空気。
「……なかなか面白い場所だ」
一体の悪魔が近づいてくる。
体からは焼けるような熱気が立ち昇っていた。
「貴様……この世界の者ではないな」
ヴェルドラは気だるげに視線を向ける。
「ああ、そうだ」
迷いなく答える。
「俺はただ……通りがかっただけだ」
一瞬の静寂。
だが——
さらに別の、底の深い圧力が現れた。
重く。
冷たく。
ゆっくりとした足音が響く。
古の生物の骸で作られた玉座に、大きな悪魔が腰を下ろしていた。
その瞳は氷のように冷ややかだ。
デグラム。
「我が領域を通る者は……」
低い声が響く。
「……二度と還ることは叶わぬ」
ヴェルドラは彼を見つめ、次いで周囲を眺める。
張り詰めた空気。
誰もが息を呑んでいる。
彼は口角を少し上げた。
「なるほど……この国は、客人には慣れていないようだな」
周囲の悪魔たちの体が硬直する。
デグラムが立ち上がった。
その身から膨大な気が噴き出す。
「身分も弁えず、よくもそんな口が叩けたな」
ヴェルドラは片手を軽く上げる。
「落ち着けって」
穏やかな口調。
「別に、何かを壊しに来たわけじゃない」
一拍おいて、彼は付け加える。
「……少なくとも、わざと壊すような真似はな」
——
予告もなく、攻撃が放たれた。
ヴェルドラの目前の空間が真っ二つに裂ける。
彼の姿が掻き消え——
次の瞬間には、別の位置へと移っていた。
「……なかなか速いじゃないか」
瞳の色が紅に変わる。
周囲の気配も変化した。
爆発するのではない。
ただ……確かな重みとして、その場に沈む。
「よし」
彼はゆっくりと肩を回す。
「手早く済ませるか」
——
闘いが始まった。
速く。
そして激しい。
デグラムの一撃は周囲の地形を木端微塵に砕く。
だがヴェルドラの動きには規則性がない。
時にかわし。
時に受け流し。
時に——
軽く応戦する。
だが、本気を出してはいない。
一瞬の隙をついて——
デグラムの体が大きく弾き飛ばされた。
背後の地面がえぐれ、亀裂が走る。
体は砕けてはいない。
だが、それは圧倒的な力の差を示すには十分だった。
ヴェルドラは動きを止め、彼を見下ろす。
「……悪くない腕だ」
彼は辺りを見回した。
僅かながらに広がる破壊の痕。
後ずさる魔物たちの姿。
「……少し、力加減を間違えたか」
依然として軽い口調のまま、彼は背を向ける。
「ここは……長居するには少し合わないな」
そして、その場を後にした。
——
進むほどに——
世界の重みは増していく。
空の色が変わり。
エネルギーの密度は極限まで高まり。
一点に集中しているかのようだ。
ヴェルドラが再び足を止めた。
今度は、真剣な面持ちで周囲を観察する。
「……これは、また違うな」
彼の前に——
さらに安定した領域が広がっていた。
だが、そこに立ち込める圧力は——
先ほどまでとは比べ物にならないほど、巨大だった。
——
複数の存在が現れた。
彼らはすぐには動かない。
だが、そこに在るだけで空間そのものが歪む。
一人の男が前に進み出る。
鋭い眼光。
レインジュ。
「外来者よ」
静かな、だが確固たる声。
「貴様の行いが、この領域の秩序を乱した」
ヴェルドラは頭をかく。
「……まあ、そうだろうな」
彼は後ろを振り返る。
まだ消えない破壊の痕が見える。
「だが、全部が全部、わざとやったわけじゃない」
沈黙。
彼らの放つ気が空間を押し潰すように迫る。
しかし——
ヴェルドラは悠然と立ち尽くしたままだ。
レインジュが再び口を開く。
「ならば……元に戻せ」
単純な要求。
だが、それは絶対的な意味を持っていた。
ヴェルドラは彼を見つめ、やがて手をかざす。
淡い光が滲み出る。
派手でもなければ、大きくもない。
だが——
それで十分だった。
亀裂が癒え。
大地が元の形を取り戻し。
エネルギーの流れは整い。
……それどころか、以前よりもさらに安定したかに見えた。
沈黙が訪れる。
彼らの一人が、一歩だけ踏み出した。
「……貴様、一体何者だ?」
ヴェルドラは微かに笑う。
「俺か?」
彼は少しだけ顔を横に向ける。
「ただの……見物人だ。何かを探しているだけのな」
曖昧な答え。
だが——
そこに嘘の気配はなかった。
——
張り詰めていた空気が、少しだけ解ける。
完全に消えたわけではない。
だが、それで十分だった。
間に空間が生まれ、食事——あるいはそれに類するもの——が整えられる。
ヴェルドラは遠慮もなく腰を下ろし、口に運ぶ。
「……ふむ、面白い味だ」
彼は黙々と食べ続ける。
その様子を、彼らはただ静かに見守っていた。
ずっと沈黙を守っていた男——
アゼロス が、遂に口を開いた。
「貴様は、我らの知るいかなる体系にも属さぬ存在だ」
ヴェルドラは箸を止め、小さく笑った。
「まあ、そうだろうな」
彼は立ち上がる。
「では、ここまでにしておくか」
彼らを一瞥する。
「この世界……なかなか悪くない」
言い終わると同時に、彼の姿は掻き消えた。
——
再びの静寂。
レインジュは彼が去った方向を見つめる。
「……あれは、ただ者の力ではない」
アゼロスが目を細め、空を仰ぐ。
「ああ」
「……あれは、本来ならば『外』に在ってはならない種類のものだ」
風が微かに震えた。
細やかな、だが確かな振動。
「……感じるか?」
誰かが問う。
レインジュはゆっくりと頷く。
「ああ」
沈黙。
「まるで——」
彼は言葉を選ぶように、ゆっくりと告げる。
「……大きな歯車が、回り始めたような気配だ」
その頃——
次元の狭間を、ヴェルドラは気ままに進んでいた。
相変わらずのんびりとした足取り。
何の憂いもない様子だ。
だが——
彼の背後には、小さな波紋が拡がり続けている。
もはや
彼の一挙手一投足は、無関係ではいられなくなりつつあった。
そして、世界のどこかで。
何者かが、ただ静かに見つめていた。
動くことなく。
声を発することもなく。
だが、確かに
全てを察知している。
番人たちは——
それぞれの領域から、ゆっくりと、動き始めていた。




