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虚無王ザラビスは退屈している  作者: 釘宮・連
ザラビスの起源に関する注釈
22/101

第22話: 見えない境界線

ニリオンの門、次元の狭間にて


次元の彼方の空は、もはや平穏ではなかった。


八つの影が虚空を切り裂き、進んだ軌跡に細い亀裂を残す。その速度は運動の概念を超越し、まるで空間そのものが道を開いているかのようだった。


彼らの前には、これまで見たどんな現実とも異なる光景が広がっていた。


多元宇宙『ニリオン』。


それは単なる世界の集合体ではない。


生きた現実のシステムそのものだ。


だが――


突如、光のドームが出現した。多元宇宙全体を覆い尽くすように。


静かで、雄大で、決して揺るぐことのない壁。


フェルダが足を止めた。


瞳が鋭く細まる。


「これは…?」


エセリアル・デーモンの一体が前に出る。考えるより先に、純粋なエネルギーの塊を解き放つ。


黒き光が防壁に叩きつけられる。


瞬間――


弾き返された。


カキーンッ!


デーモンの腕が、まるで内側から叩き割られたガラスのように木端微塵に砕け散る。


場が凍る。


フェルダが一歩進み、手を壁に触れさせる。


微かな振動が伝わる。


だが壁は…何の反応も示さない。


攻撃もしなければ、拒絶もしない。


ただ…存在を「認めていない」のだ。


フェルダの目がさらに細まる。


古き記憶が蘇る。


「…ナル」


声は低い。だが、他の七体の全身が硬直するには十分だった。


「我が祖が語っていた」フェルダは続ける。「虚無の存在。神ではない。悪魔でもない。生き物ですらない」


「そして、このような壁は…」


再び手に力を込める。


「…現実そのものが理解することすらできぬ存在にしか作れぬ」


その瞬間


壁の内側から、振動が伝わった。


微かな。


だが、一同を沈黙させるには十分な震え。


エネルギーの霧が晴れ…


一人の人物が現れた。


空中に気だるげに腰掛け、


寝癖のついた髪、半開きの漆黒の翼。どこか退屈そうな瞳。


アルロ・アッシュヴァレンだ。


「あーあ…」


大きなあくびを一つ。


「人様の家の前で、誰だようるせえのは?」


空気が変わる。


フェルダは無表情のまま彼を見据える。


「貴様が、この場所の番人か」


アルロは頬をかく。


「番人かぁ…まあ、気が向いたらな」


「フェルダだ」短く名乗り、「我々は四つの角を持ち、竜の顔をした者を探している」


アルロは少しだけ黙り、


そしてくつくつと笑い出す。


「ああ。あのおバカさんね」


空中にもたれたまま続ける。


「来たよ。お土産持って。ちょっと喋って。そんで行った」


フェルダの視線が厳しさを増す。


「貴様、奴を逃がしたのか」


アルロは面倒くさそうに顔を上げる。


「知らねえよ。俺はお前んとこの門番じゃねえんだ」


沈黙。


次の瞬間


フェルダの姿が消えた。


渾身の一撃が繰り出される。


だが


アルロは僅かに体を傾けただけ。


攻撃は空を切る。


そして、たった一つの滑らかな動きで――


シュッ。


フェルダの頬に、細い一線が刻まれた。


黒い血が一筋、滴る。


エセリアル・デーモンたちの殺気が一気に高まる。


周囲の空間が軋み、亀裂が走る。


フェルダは傷口に指を触れ、


そして――


口の端を上げた。


「久しぶりだな…こうして何者かに、触れられるのは」


アルロがゆっくりと立ち上がる。


翼が最大限に広げられ、


漆黒のエネルギーが渦を巻く。


「喧嘩売るなら、最初からそう言えって」


瞳の色が変わる。


先ほどの退屈さは跡形もない。


「我が主の子等を…からかうんじゃねえ」


フェルダがゆっくりと手を挙げる。


合図。


戦いの火蓋は切られようとしていた。


そして次元の空間は…


最初の一撃が交わされるよりも先に、崩壊し始めていた。


――――――――


現世、東京。昼下がり。


晴れた空の下、人々はいつものように行き交う。彼らの知らないところで、存在の法則そのものが揺らいでいるなど、想像することもできない。


雑踏の歩道を


レイジが歩いていた。


特に目的があるわけでもなく、気ままに。


隣ではミジャルンが、店のショーウィンドウを眺めてはしゃいでいる。


今日二人は、本屋に向かっていた。


極めて人間的な、普通の理由だ。


レイジ自身は、別に本に興味があるわけではない。


だが…


彼は店の中に入った。


本棚が並び、紙の匂いがする。ページをめくる音。


彼は一冊の小説を手に取り、


少しだけ目を通し、


そして思った。


『人間は、自分たちでも理解できていないことを、物語にして理解しようとするのか』


本を閉じる。


「…変な生き物だ」


一方で


ミジャルンは真剣な顔で恋愛小説のページをめくっている。


もし誰かが見ていれば、そのギャップは結構面白い光景だったかもしれない。


だがレイジは気にも留めない。


その時――


彼は動きを止めた。


ゆっくりと後ろを振り返る。


真っ直ぐな視線。


「おい」


無感情な声。


「お前…澪だよな?」


遠くの通路で


黒崎澪が凍りついた。


手が微かに震えている。


まさか…


見つかっていたとは。


「…は、はい」


掠れた声。


ぎこちなく。


だが正直に答える。


ミジャルンがすぐさま弾丸のように駆け寄る。


「こんにちはー! 私ミジャルン!」


許可も何も関係なしに、ぐいぐい距離を詰める。


「こっちはお兄ちゃんのレイジ!」


澪は二人を見比べ、


そして小さく問う。


「…二人は、兄妹なんですか?」


「うん!」


あっさりとした答え。


ごく自然なこと。


普通の人間にとっては当たり前の関係…


だが澪には、それがどこか遠い世界の話のように思えた。


レイジは黙って見ていた。


何故彼女がついて来たのか、理屈では理解できない部分もある。


だが


一つだけ確かなことがあった。


『彼女は、何かを知りたがっている』


それだけで、十分だった。


少しだけ身を乗り出す。


「ずっと後ろついて来てただろ」


責めるような口調ではない。


まるで観察結果を述べるようなトーンだ。


澪はうつむく。


「…気になった、から」


前にも言った言葉と、同じ。


ぶれない答え。


レイジは小さく頷く。


まあ、人間らしい反応だ。


ミジャルンがにっこり笑う。


「気になるなら、一緒にいればいいじゃん!」


実に単純な発想。


澪はためらった。


ほんの少しだけ。


そして――


こくり、と頷いた。


――――――――


本屋の前のベンチ。


三人は並んで座っていた。


ドラマチックな展開もなければ、


BGMが流れるわけでもない。


ただ三人が本を読み、


時折言葉を交わし、


時に黙り込む。


それだけの時間。


レイジは思う。


こういう交流は…


効率的ではない。


必要なものとも思えない。


だが


悪くはない、と。


『楽しい』という感情にはまだ遠いが…


退屈では、ない。


ミジャルンが楽しそうに喋り、


澪が短く返事をする。


レイジはたまに相づちを打ち、


あとはずっと、二人の様子を眺めていた。


心の中で。


『人間はやっぱり変だ』


少し間を置いて。


『だけど…まあ、全部が全部、悪いわけでもないか』


本を閉じ、空を見上げる。


遥か彼方。


人間の目には決して見えない領域で、


凄まじいエネルギーが激しくぶつかり合おうとしている。


いずれ戦いは始まる。


だが今、この場所では


風は柔らかく吹き、


ページをめくる音だけが響いている。


この世界に属するはずのない存在が、


ただ静かに座り、


今まで必要だと思わなかった何かを、


少しだけ、理解しようとしていた。


それは――


『生きる』ということ。

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