第21話外部から来た人
桜神学園の夜
その夜は、異様なまでに静かだった。
あまりにも、静かすぎた。
桜神学園の上空は、一見するといつもと変わらない夜空に見えた。だが、じっと見つめていると――何かがおかしい。まるで、目に見えない何者かが、世界の端から布地をゆっくりと剥がしているかのような、そんな違和感が漂っていた。
寮のバルコニーで、レイジが凭れかかって立っていた。
彼の視線は空へと向けられている。
表情はいつもと変わらず平坦だが、その瞳の奥に宿る集中力は、ただ星を眺めているだけとは思えないほど深いものだった。
そばの椅子に座っていたミジャルンが、不意に顔を上げる。
「兄さん…やっぱり、感じてるよね?」
レイジはすぐには答えない。
数秒の沈黙の後。
「ああ。流星でも通ったんだろ」
明らかに大きな異変なのに、彼の口から出たのはあまりにも軽い返答だった。
ミジャルンはすぐに眉をひそめる。
「流星が、こんなに体が凍るような気配出すわけないでしょ」
レイジは小さくため息をついた。
「…まあ、な」
彼は依然として空を見上げたまま。
「知らん。ただの暇つぶしに来た存在かもしれんし」
口調はいつも通り飄々としている。
だが、心の中では――
(この圧力…この世界のシステム由来のものじゃない)
(層になって、抑え込まれてる。だが…わざと隠している気配だ)
(…しかも、数が多い)
多世界の果て
地球から遥か彼方。
銀河系をも超えた、更に先の空間。
星々の残骸が漂う虚空の中に、八つの影が佇んでいた。
フェルダ、そして他七人のエーテル悪魔たち。
彼らが存在しているだけで、周囲の空間は薄いガラスのようにビリビリと振動し、軋みを上げていた。
「奴はここにいる」
フェルダの声が、何もない空間に響き渡る。
「エネルギーの痕跡が、まだ新しい」
ミロアが一歩前に出て、目を細めた。
「この星…半分死んでるじゃない」
彼女たちの眼下には、大きく亀裂の入った惑星が広がっていた。地表は黒く焼け焦げ、巨大なクレーターからは今もなお、制御不能なエネルギーが噴き出している。
フェルダは驚いた様子も見せない。
「退屈した連中が起こした、結果だ」
彼らがゆっくりと降下する。
その足が地表に触れた瞬間――
ガシャン!!
地面が砕け、数十体のメガホープが姿を現した。
鋼鉄のように硬い体躯、冷たく輝く瞳。
彼らは警告もなしに、
一斉に襲いかかってきた。
だがフェルダは、指一本動かそうともしない。
「機械のガラクタ共が」
ほんの少しだけ、彼の纏うオーラの圧力が下がっただけで――
周囲の空間そのものが歪み、メガホープたちの装甲は蜘蛛の巣のようにヒビ割れた。
「誰が、お前たちを操っている?」
地下にて(ヴェルドラ尋問中)
惑星の地下深く。
金属張りの円形の部屋は、
かろうじて原形を保っていた。
「おい!! ちったあ早くできねえのか!? 腹減ったんだよ!」
椅子に縛られたはずのヴェルドラだが、
その姿はまるで囚人というよりは――
待合室でくつろぐ客のようだった。
目の前のメガホープが、無感情に記録を続ける。
「では、改めてフルネームと出身次元を-」
「フルネーム? そうだなあ…」
ヴェルドラはわざとらしく頭を悩ませ、
そしてニヤリと笑う。
「ヴェルドラ・サクセス!」
「…データベースに存在しません」
「ならそのデータが古いんだよ」
沈黙。
一秒。
二秒。
次の瞬間――
ガキン!!
彼の手に、悪魔の鎌が出現した。
一閃。
拘束装置は木端微塵に砕け、
部屋の壁は亀裂だらけになり、エネルギー系統は全てショートした。
ヴェルドラは伸びをしながら立ち上がる。
「あー、やっぱ自由が一番だな」
彼は自分の腹をポンと叩いた。
「よっしゃ…まずは飯食って、そんで帰るか」
駆けつけたメガホープたちが攻撃を試みるが、
あまりにも遅すぎた。
ヴェルドラの体を、蒼きエネルギーの渦が包み込む。
空間が捻じ曲がり、
次元の壁が歪む。
「悪いな、お前ら結構面白かったぜ」
彼はにっこりと笑う。
「だけど俺、ニュリオンの家が恋しくなっちまったからさ」
ヒュウウウ!!
一瞬の閃光の後、
そこには誰もいなくなっていた。
手遅れ
それから数秒後。
惑星上空の空間が、真っ二つに裂けた。
フェルダたちが到着したのだ。
だが、そこに残されていたのは――
無残な廃墟と、怯え震える数体のメガホープだけだった。
彼らは恐怖のあまり、ひれ伏す。
フェルダがゆっくりと近づく。
その冷たい威圧感だけで、周囲の空気が凍りつく。
「奴はどこに行った?」
前に出た一体が、声を震わせながら答える。
「い、今しがた…あちらの方へ…!」
フェルダがゆっくりと顔を向ける。
その瞬間、
彼の瞳が変化した。
黄金に輝く紅。
その瞳は幾重にも層を成している。
『遠隔次元眼』の発動だ。
彼の視線が空間を貫き、
銀河を貫き、
そして世界と世界の境界線へと達した――
その時。
フェルダの体が、ピタリと止まった。
「…これは…一体…?」
彼が見たものは、
一つの世界でもなければ、
一つの宇宙でもなかった。
無限に枝分かれし、連なる現実の網目。
『多元宇宙』
しかも、ただの多元宇宙ではない。
これは…意図的に、『創られた』ものだ。
フェルダが一歩、後ずさる。
彼の目尻から、一筋の血が伝った。
「…この場所…こちらの干渉を、拒否している…」
ニスベルクが慌てて声をかける。
「フェルダ様…あれは一体…?」
フェルダは低い声で答えた。
「…記録にない多元宇宙だ」
「…ニュリオン」
沈黙が降りる。
「…誰かが創り出した、世界だ」
彼は頬の血を拭い、
その瞳に再び光が宿る。
それは恐怖ではない。
純粋な、警戒心と興味。
「もしこれが本当なら…」
「我々が追っているのは、ただの龍などではないということだ」
フェルダは、わずかに口の端を上げた。
「…面白くなってきたな」
そして、声を凛と張り上げる。
「行くぞ!」
「だが、愚かな真似はするな」
「この世界は…誰のものでもない」
地球へと戻り
東京の空は、ゆっくりと色を変え始めていた。
水平線には、淡い紫の闇が訪れている。
バルコニーでは、
レイジが依然として空を見上げていた。
ミジャルンが、その横顔を見上げる。
「兄さん…やっぱり、流星なんかじゃないんでしょ?」
レイジは少しだけ黙って、
それからいつもの調子で答えた。
「仮にそうだとしても…」
「…まあ、ほっとけ」
彼は一度、目を閉じる。
「この世界は、奴らの戦場にはならない」
短い間があって、
「…まだ、な」
ミジャルンは唇を噛み、そして小さく笑った。
「兄さん…その『まだ』って言葉…」
「大抵、すぐに現実になるんだよね」
レイジはくつくつと、低く笑う。
短く、軽やかな笑い声。
「…そうだな」
「俺がただの運の悪い男なだけかもしれん」
彼は再び目を開け、遥かなる空を仰ぐ。
「それとも――」
「…どこかの誰かが、この空の上で新しい物語を書いてる最中なのかもな」
その瞬間。
風が、ぴたりと止んだ。
そして、この世界の遥か彼方で――
確かに、何かがゆっくりと、こちらへ近づいて来ていた。




