2.異なる現実を持つ別の世界へ
東京の夜空は、まだネオンの光と路地裏のラーメンの匂いに包まれていた。
「ザラビス」――いや、今は「レイジ・レン」と名乗る男は、横断歩道の信号を見上げながらゆっくりと歩いていた。
「面白い……この存在は、あえて信号を待つのか。重力すら崩せるのに。」
通行人たちが、彼を不思議そうに見つめる。
黒く乱れた髪。淡く光る赤い瞳。
そして胸に堂々と「I AM HUMAN, TRUST ME」と書かれたTシャツ。――さっき空気から生成したばかり。
「これで完璧に人間に溶け込めているはずだ。」
自信満々に呟いたそのとき。
「兄ちゃん、コスプレ、ガチすぎじゃね?」
レイジは反射的に振り向いた。
「コスプレだと? 我は――」 言いかけて、はっと口を閉じる。
「……プロのコスプレイヤーだ。」
危なかった。十二の現実位相に渡る威信が崩壊するところだった。
再び歩き出したとき、
長い金髪を揺らしながら、一人の少女が姿を現した。
ユカ・ナイチ。
青い輝きを纏った鎧。手には神聖な光を宿す剣。
しかし表情は――真剣どころか、スマホに夢中。
「また任務ランクB? このギルドほんとクソだな……」
レイジは思わず凝視した。
「……これが現代の勇者か?」
近づきながら声をかける。
「お前……強者だろう?」
ユカはスマホから視線を外さぬまま答えた。
「あっ、あんた、昨日ゴミ箱から救助されたやつだよね?」
「……何?」
スマホ画面には動画。
タイトルは――
『ゴミ箱から出てきた謎の悪魔コスプレ』
再生数:4,800,000
「ネットで『トラッシュデーモン』って呼ばれて人気だよ。すごいじゃん?」
レイジは空を見た。
「我が名、全実在層を統べる“ザラビス”……今、人間には“ゴミの魔”と呼ばれているのか。」
そこへ、ビルの屋上からひょいと顔を出す影。
銀髪の少女、ミジャルン。
焼きトウモロコシ片手に、兄を眺めていた。
「お兄ちゃん……かっこいいけど……なんか迷子みたい。」
そして、楽しそうに微笑んだ。
「ちょっとだけ、からかっちゃおっと〜」
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20日後
レイジは東京の暮らしに慣れてきていた。
掃除を覚え、電車の乗り方を覚え、ラーメンの行列に並ぶことも覚えた。
「待つという概念……これは神の試練だな。」
ユカはよく遊びに来て、ミジャルンはその二人をいい感じに繋げていた。
だが、20日目の夜――。
ユカは公園で夜景を見つめながら、静かに言った。
「レイジ……好き。私は、あなたが好き。」
沈黙。
レイジは優しく、しかしどこか遠い笑みを浮かべた。
「ユカ……お前は強く、まっすぐだ。しかし――
我は“人”の愛という感情を持たない。」
ユカの表情が崩れる。
「そっか……」
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同じ頃、家の中。
ミジャルンはアイスを食べながらスマホを見ていた。
「お兄ちゃん、夜風でも浴びてるのかな〜♪」
ぎ……。
扉がゆっくり開く。
立っていたのは、ユカ。
目は赤く腫れ、しかしその手には――光の剣。
「ごめんね……全部、あなたのせいなんだよ。
あの人が私を選ばなかったのは……あなたがいるから。」
ミジャルンは、ほんの少しだけ悲しそうに笑った。
「そっか……そうなるんだね。」
刃が胸に触れたその瞬間――
ミジャルンは血を流さなかった。
ただ、淡い光となって崩れていく。
ユカは震えた。
「な……何……?」
空間が揺れた。
音が消え、色が消え、存在が裂けた。
歩いてくる影。
レイジ――いや、ザラビス。
「すべて知っていた。」
彼の瞳には全ての過去と未来が映っていた。
「我の“全知”は封じられぬ。
お前がミジャルンに刃を向ける未来も、初めから視えていた。」
一歩。
世界が砕けた。
出力 0.00000,00005%
それだけで十分だった。
ユカという概念は消えた。
東京は砕け、現実は折れ曲がり、虚無が開いた。
ザラビスとミジャルンは、別世界へと落ちていく。
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新たな世界。
神と魔が息づき、無数の種族が生きる場所。
レイジはまだ「レイジ・レン」として姿を保っていた。
「油断するな、ミジャルン。ここにも強者がいる。」
ミジャルンは静かに頷き、微笑んだ。
二人は歩き始める。
終わりなき旅の始まりだった。
世界が変わろうと、真理は揺るがない。
彼は “破滅” でもなく “救済” でもなく、ただ在る。
妹は微笑む。兄は歩む。
二人の足跡が新たな現実を刻む。
――物語は、ここからだ。




