⑦-3
帰ってきて玄関を開けたとたん、何かが俺の顔にぶつかってきた。
威力がすさまじく、鼻がツーンとする。
「ブッ!」
俺は思わずよろけて、壁に手をついた。
こんなことをする奴は、アイツしかいないっ!
その推理は当たっていたようで…。
目をつぶってかがみこむ俺の頭上から、声がふってきた。
「遅いっ! 遅いよ! にいに!」
顔面をスマッシュヒットしたその物体を拾い上げ(それは…ソファのクッションだった)
立ち上がると…。
目の前には、頬をぷうっと膨らませた杏奈が立っていた。
あいかわらずの美少女ぶり健在といったところか。
短パンを履いて、長くて華奢な両足をまるだしにしている。
てか、ちょっと…まるだしすぎやしませんか、杏奈しゃん。
目のやりどころに困るのだが。
「あれから、何時間たったと思ってるの! 杏奈、待ちくたびれたんだけど!」
「……」
「聞いてるの? にいにってば! なんなの、そのアホ面!」
「久しぶりだなあ…」
「へ?」
「杏奈の…その口調、久しぶりでなんだか嬉しいよ、おれ」
杏奈は、ハッとした顔で俺を見て、みるみるうちに顔を赤くしていく。
「な、なんなの…。超キモッ! キモ兄貴! 寄らないで!
頭おかしくなっちゃったの?
静蘭の教育実習いって、おかしくなっちゃったの?」
「おれ静蘭行くって、知ってたのか?」
「メールくれたし……ママも言ってたから……」
フンとむくれた様子で横を向く杏奈。
確かに静蘭には可愛い子も多いけど、杏奈くらいのレベルの子はそうそういないなあ…。
俺は客観的にそう思った。
去年の俺は、まさかこんな可愛い子が義理の妹になって、家で一緒に暮らして、
まさかその子の通ってる静蘭で教育実習ができるなんて思っていなかった。
「てか、にいにってば。さっそくやらかしたんでしょ??」
そのひとことで、ドリーミーな回想が一瞬にしてはじけた。
ぱちんと風船が割れるように。
「な、なあんのことかなああ」
ヤバイ!声が震える。動揺してるってまるわかり。かっこ悪ひ…!
「アイドルが彼女って……皆の前で大嘘ついたらダメだよ、にいに…」
「へ?」
「闇闇なんとかって、あの趣味の悪いがらっぱちな地下系アイドルにはまって、
あのキモイ智毅とかいうデブ男とツアー巡りしてるんでしょ。
そんでもって、あの巨乳でフンワカボケーとしてる人に貢いでるんでしょ?」
巨乳でフンワカボケーとは…ももてぃんのことなのか?
「み、貢いでなんかないっ! ももてぃんと俺とは本当に付き合ってるんだ!!」
「アイドルにはまるって人、だいたいそうだよね。
そしたら杏奈なんて、1000人以上彼氏いることになるよ」
な、なんだこいつ…、何を言い出した?
心が折れそうな…なんてリアリズムなことを…。
「にいに…女の人と付き合ったことないって、パパ言ってたし。そんなに虚勢はることもない……」
「うるさあああああいっ!!」
てか、親父なに暴露してんだよぉっ。
てか、なに杏奈になぐさめられてんだよ、俺!
「大石のババアが変な魔法かけるもんだから、俺はあんな挨拶しちゃったんだ!
それに! 俺は本当にももてぃんの彼氏なんだ!
俺の彼女は本当に…!アイドルなんだよおおっ!」
俺の今日1日のストレスが、爆発した。
杏奈は気の毒そうに俺を見ている。
奥の居間から、都さんと親父が出てくる。
「あらあら何の騒ぎ? 瞬くん、帰ってたの? 今日は初出勤お疲れさま」
「ビールあるぞ、一緒に飲むか?」
「魔法かけられただけなんだよ…。全部大石のババアが悪いんだ」
「そうかそうか。魔法はともかく、悪い奴はどこにでもいるもんなあ」
呑気な親父の声が胸にしみる。
そっと俺の背中に手を添えられて、居間の方へいざなわれる。
「杏奈もそろそろ夜ご飯食べちゃいなさい」
え?と俺は杏奈の方に顔を向ける。
夕飯食べてなかったのか?
杏奈は「うん…」と沈み込んだ声でつぶやくと俺の後をついてくる。
あの威勢の良さが一転、今度はちょっと暗めモードになっている。
キレた俺の言葉で傷ついてしまったのか? 俺は不安になってきた。
教師になろうとするものが、生徒と同じ年の女の子にあそこまで言うなんて、後悔の念にとらわれる…。
「杏奈……ごめんな。ちょっと俺、疲れてて八つ当たりしちゃって」
「べつに」
「それで……明日から俺、杏奈のクラスの担任になるから…よろしくな」
「……よろしくなんかされても困る」
「……」
「にいにとは、他人のふりするから! 絶対に話かけないでほしい!」
杏奈はキッと俺をにらみつけると、俺をつきとばすように追い抜いて居間に向かった。
都さんが「杏奈っ!」と怒るが、どこ吹く風だ。
「ごめんね、瞬くん。あの子もロケ帰りで疲れてるのよ……」
そうだったな…それなのに、俺のこと待っててくれて。
俺は胸が苦しくなる。
「担任になってくれたなんて、良かったわ。あの子の普段の学校生活、のぞいてきてね」
都さんが母親の顔になって、教師の俺にお願いする。
「はい、わかりました」
「瞬くんが杏奈ちゃんのクラスの担任なんてすごい偶然だなあ!」
親父がはしゃいでいる。
偶然じゃないんだよ…と言いたかったがやめておいた。
今さら魔法なんていっても、「疲れてる」のひとことで全部流されそうだったから。
明日からは杏奈がいるのかあ…たまらなく不安になってきた。




