⑥-8
旧校舎の職員室に行く途中にあった体育館で、教育実習生たちは挨拶をする。
檀上に上がり、マイクを持って挨拶&自己紹介をせねばならぬのだ。
これは、静蘭教育実習生の毎年恒例の習わしだった。
俺は…ずいぶん前から、このときのために用意した挨拶文をあらゆるところでブツブツと暗唱していた。
今朝だって、一番乗りで来るぐらいの気合いの入れようだったのに…!
檀上に上がって、少女たちの何百個もの視線をあびたとき、
……すべて消えた。
頭のなかは、大雪原。一面の白で、空からは大粒の雪まで降ってくる有様だ…。
ああ……あんなところに群青色の手袋が落ちてるよ……。
キツネさんの赤ちゃんが…落とした手袋じゃないかなぁ…。
お手手がジンジンするって、困ってるんじゃないかなぁ…。
って……わけわからんトリップするな! 俺!
困ってるのはキツネさんの赤ちゃんじゃない!!!
俺だからな!!!
俺が雪まみれになっているあいだ…(いや、なってはいないのだが)
校長が長ったらしいスピーチをしていた。
「教育実習生たちを紹介します」と言ってから20分近くも経つ。
後ろで、俺たち8人の教育実習生たちはずっと立ったままだった。
その間に、思い出さねば思い出さねば……
「もっち~。ガッチガチ」
となりの赤西が俺の肩を気安く叩いてくる。
ちっきしょ~。なんでお前はそんなに余裕なんだよ。
「すっごい汗。もし良かったら……使う?」
飯村さんがピンクのハンカチを差し出してくれる。
「いいの?」
俺は緊張のあまり、背中にYシャツがはりつくほどの汗をかいていた。
遠慮なく、飯村さんのハンカチで顔中を拭いてしまう。
「ありがとう。洗って返すね」
俺はヒソヒソと声をひそめて言って、そのハンカチをポケットに入れようとしたが、
「いいから!」と言って飯村さんは俺からハンカチをとりあげた。
でも……と言葉にできないうちに、拍手の音が響いて、校長が反対方向へ退いていった。
他の大学の教育実習生は男3人に、女2人。
いずれも有名大学の学生である。
その場に慣れているのか、落ち着いて自己紹介して、たまにジョークも交えて、少女たちの笑いを誘っている。
うわあ…すげえな……。
簡潔でスマートで…おれが何度も頭に浮かべてきたような理想のスピーチを軽々として、
あっと言う間に終えてしまった。
そして…下手の舞台袖でひっこみ、腕を組みながら余裕ぶっこいて俺たちをながめている。
そうなのだ。ついに……俺たち黒山大生3人の順番になったのだ!
トップバッターは、赤西てんてい(先生)。
するっとマイクを受け取って構えると、「はじめまして!」と爽やかな一言を発射した。
ホワイトニングした歯も、キラリンと光る。
きゃっ。と少女たちが波うつのがわかった。
まあ……たしかに。
雑誌から抜け出たような美青年(実態はどうであれ)が、目の前に現れたんだから、
興奮しない方がおかしいよな。
ちなみに、国立大生の男3人たちは、ちっ!やられた!と悔しそうな顔。
女2人は顔を見合わせて、赤西に熱視線を送っている。
つかみはOK!の、ノリノリ赤西てんていは、キラキラと後光を振りまきながら
「赤西太一。22才。おとめ座のB型。周りからは太一って呼ばれてる。
みんなも太一って呼んでくれ!
俺は……君たち全員に、虹色の静蘭電車にのってもらいたい。
俺が車掌で、君たちは乗客。行先はわかってるよね?
…ハッピー駅しかなくない?」
赤西は、右の人差し指を静蘭生徒に向けて、左から右へ動かしていき、最後にバーンと言って指鉄砲を撃った。
きゃああああああ……!!!
ハッピー駅ってなんやねん…。俺は心のなかでつっこむ。
お前は第一、ひとめぼれした女の子を探しにきたんだろーが。
杏奈の顔がすっと頭をよぎったが、俺は「そんなわけない」と首をぷるぷる振る。
それにしても…この赤西の人気ぶりはいったいなんなんだ?
あの…世界的な人気者、ミッ○ー並みなんじゃ…。
顔が良いだけでこんな注目を浴びて、しかも人気者になれるなんて……。
ずるいったらずるいぞ!赤西!
最後に投げキッスをして、舞台袖に入ると「太一~」とさっそく女の子たちの甲高い声が聞こえてくる。
杏奈……お前は…違うよな?
赤西みたいなのは、タイプじゃないよな…?
俺は今さらながら、不安になってしまう。
次は、飯村さん。
ここ静蘭の卒業生だったこと。ここで教育実習するのが夢だったこと。などを、
地味に…いやひっそりと噛みしめるようにトツトツと語った。
赤西で盛り上がった体育館が、良い意味でトーンダウンするのがわかった。
ありがとう…飯村さん!(涙)
雰囲気が「まとも」に戻った。
赤西の後なんて、やりにくくて仕方がない。
俺は俺らしく……言えばいいんだ! マイペースな飯村さんのスピーチを聞いていたら、
気持ちがなんだか落ち着いてきた。
飯村さんが俺に何か言いたそうに、マイクを渡す。
俺はうなずく。
心臓が早打ちする……。ドキドキドキドキ……。
でも俺だって、飯村さんみたいに落ち着いてスピーチできるはず。
マイクを持ってひと言しゃべろうとしたとき……。
「みんな~!元気~? 持田瞬だよ~ん」という声が俺の口から漏れ出た。
「これでも彼女がいるんだよ~ん。彼女の名前は……ヒ・ミ・ツ!
おれの彼女はアイドルなのか? さあ~そこまで言っちゃったら……面白くないよね~。てへっ!」
俺の口から自然にベロが出る。
なんだこれなんだこれなんだこれ…?!
頭のなかがパニックになる。
舞台下にいる静蘭学生が、俺を珍獣のように見ているのがわかる。
前列の生徒なんて、顔をしかめて、思いっきりひいてるじゃねえか!(涙)
と、突然魔法がきれて、おれの口がぼへら~と開いた。
「…というわけなんで、よろしくお願いします」
俺は消え入りそうな声で告げると、そのまま立ち去った。
恥ずかしくて恥ずかしくて、穴があったら入ってしまいたくなる。
大石のばあさんはなんでこんな意地悪するんだよ~と、泣きたくなる気分だった。
ももてぃんの彼氏になった罰だからなのか…。
下手の舞台袖に行き、ドン引きしてる他大学生と目を合わせないようにしていると、
いきなり大爆笑が聞こえてきた。
「あっははっはあははあはああはは!!!」
……赤西だった。
「もっち~てば、最高じゃん! 俺より目立っちゃった系? ずるくない?」
赤西が俺の肩を軽く撫ぜる。
「てか、誰よ? 彼女って? アイドルなの? 誰?」
赤西が笑顔で、俺に詰め寄ってくる。
「…ちがっ! あれは……」
「魔法が…効いたんだ」
どこかで聞き覚えのある声がした。
舞台裏から、のっそり出てくる人影。
あの……カールおじさんだった。モップを持っている。
「あれは……童貞しか効かない魔法……。大石理事長も粋なことをしなさるねぇ……ククク」
そういうと、掃きながらまたどこかに行ってしまう。
言っちゃった!童貞って言っちゃった!!赤西の前で言っちゃった!
しかも、粋でもなんでもねえ!
非道な魔法だよぉ~(涙)
赤西はそれを聞いてにんまり笑う。
「もっち~そんなことは俺、前から知ってるし。今の時代、全然アリだよ。
清い体っていいよね、マジうらやましすぎ~。ひゅーひゅー!
彼女がアイドルって夢みただって、全然いいと思うぜ!」
冗談だと思ってるし……。
真っ青な顔をした飯村さんが、俺の両手を握った。
「持田くんがアイドル……好きって、意外だったけど、私もいいと思う」
そういうと、袖口で目をぬぐう。
「良かった……本当は彼女いないんだね」
だから、違うって!!!
ってか、なんで泣いてるの? 飯村さん。
そんなこんなで、波乱の幕開け……。
俺の教育実習2週間、いったいどうなるんだ?!




