④-10
俺が1階に、水をとりにいっているあいだに、
杏奈は部屋に戻ってしまったらしい。
こんな夜中に、妹とはいえ女の子の部屋に入るなんて…
逡巡した俺だったが、意を決してノックをしてドアを開けた。
ほんの短時間だったのに、杏奈はもうベッドですうすうと寝息をたてていた。
普段から悪態をついたりして元気いっぱいの杏奈が、憔悴しきって横たわっている姿は、見ていてとても辛い。
もっとも本人が一番辛いのだろうが。
毛布がずれていたので、肩までそっとかけなおす。
「早くなおせよ」
そっとおでこに手をのせた。
まだ熱い。冷えピタもとりかえてやろうか……
そんな風に考え、杏奈を上からじっと見下ろしていたとき、
杏奈がぱちりと大きな目を開けた。
そして真上の俺を見るなり、
「お兄ちゃん?!やだ! 来ないで! やだああああ!!!!!」
頭を抱えてうずくまる杏奈。
「杏奈?! どうした?」
「…………来ないで」
「どうしたんだ? 杏奈……うなされてるのか?」
俺は杏奈に目線を合わせて、肩をゆすぶった。
枕元のランプの電源を押すと、俺たちをとりかこむ闇がさっと散った。
杏奈もその灯りで、俺が誰だかわかったようだ……。
ハアハアと強い息遣いで俺にすがりつく。
「のど……かわいた」
俺はペットボトルのキャップをとって、杏奈の口元にあててやる。
こくっこくっと小さな音をたてて飲む杏奈。
「……おいしい」
「もっと持ってくるか?」
「ううん……もういい」
そういうと、俺に背を向けてベッドに入り込んだ。
「杏奈……早く治せよ。マリアンナのファンのためにも……元気な姿見せなくちゃ」
頭が動く。どうやらコクコクとうなずいているらしい。
そろそろ、自分の部屋に戻ろうとドアに向かう。
そんな俺に、杏奈が話しかけてきた。
「にいに……今日帰ってきたん…だ」
「あ……うん、まあな」
「フラれたんだ」
「あ、……うん。って違うから!!」
でも……よくよく考えたら、今夜はフラれた形になるのだ。
もしあのまま順調に行ってれば、俺はももてぃんの胸のなかで今頃……。
なんて、考えるのは空しいだけだな。
「せっかくのバレンタインなのに…かわいそう」
こいつ……!体調悪くても、あいかわらず憎まれ口たたくのか?
むかついたが、あの…ショックがぶりかえしたのか、思わず本音をもらしてしまった。
「そーだよ、かわいそうな男なんですよ、俺は……ハア」
ため息交じりで。
せっかくできた彼女が、魔法かけられててS○Xすると魔法がとけちゃうなんて……、杏奈に言ったら爆笑ものだろう。
というか、こんな話信じる奴いるか?
ていのいい、断り方だったのかもしれないな。今にして思うと……。
ももてぃんは…俺とするのが嫌だったのかもしれない。
ていうか、あんなに可愛くてバージンとかありえないだろ。
もんもんと暗黒方面に考え始める俺。
いや~落ち込みますわ。
「キスもできなかったしな……」
そう、キスくらいは決めたかったのだ。
バレンタイン・キッス。きゅ~~ん。この言葉だけでごはん3杯はいけそうなのにな。
「なんてな……、まあ、モテない男なんてこんなもんよ。ははは…!
杏奈も早く寝ろよ」
「ねえ」
「ん?」
「おでこの冷えピタとって……取り替えてほしい」
「うん、ちょっと待って」
俺は再び杏奈の方を向き直ると、おでこの冷えピタをはがしはじめた。
熱を吸い取ったのか、ずいぶんしんなりしている。
「とったぞ……って、え??」
という間もなく、杏奈が俺の首に両手をまわしてきて……俺の顔を自分に近づけた。
そして……
唇に、俺の唇を押し当てた。
「いたっ!」
勢いがよすぎて、お互いの歯がぶつかりあう。
杏奈が口元を押えている。「痛い~」
「あたりまえだろ。いきなりキスなんかするから……」
ってえええええええええええ~~~~~~!!!!!
お、おれ、いまキ、キスしたのか?!
って!杏奈!なにやってんだよ!!!
「お、おまえ……な、な、なに……」
動揺しすぎて、しっかりしゃべれない俺。
「もう……眠い……頭痛いから向こう行って」
布団にもぐって、手で追い払う真似をする杏奈。
「べつに……ただかわいそうって思っただけだし。お水のお礼だから」
「…………」
呆然とその場で立ち尽くす俺に「早く出てってよ!!」と杏奈がごほっごほっと咳をしつつも言い放った。
お水のお礼って……。
俺は部屋に戻るなりベッドに腰掛けて、震える手で唇をさわった。
少し、上唇が切れてしまったようだ、血の味がする。
ふいうちでどんな……気持ちだったか、もう覚えていない。
感触すら……ほとんど、感じることができなかった。
ファーストキス……そう、これが俺のファーストキスだった。




