②-10
玄関の中に飛び込んだとき、俺はなにかにつまづいて転んだ。
「うおっ!」
どうやら、倒れた杏奈を蹴飛ばしてしまったらしい。
だけど…? んん?
倒れた場所は、固く冷たいいつもの玄関のタイルではなかった。
柔らかくって…ふわふわしてて……。
ま、まさか?! おおお……俺は杏奈の上にのってる…の……か?!
しかも耳を澄ますと、間近で息を吸う音まで聞こえてくるではないか。
「す、すまん!」
慌てて体勢を整えようと手を下に下ろすと、むにゅっと柔らかい何かをつかんだ。
こ、これは……?!
バシッ!!
目の前に火花がはじけ飛んだ。
「バカ!!スケベ!!ヘンタイ!!クソアニキィィィ!!」
罵倒を浴びせかけられ、頬がじんわりと熱くなってくる。
杏奈が俺の頬を叩いたのだとわかった。
俺もだんだんと酒の酔いが冷め、目も暗さになれて、涙目になった杏奈がそこにいるのが判別できるようになってきた。
「悪かった……ごめん」
わざとではないとはいえ、女の子の大事な場所に不用意に触ってしまったのは、
本当に痴漢以外の何物でもない。
「本当に悪かったよ」
暗い…明かりもない玄関で、俺は杏奈に謝罪を続けた。
すんすんっと涙をこらえるような声までするのには、本当に参った。
こんなんなら大泣きして騒いでくれる方がまだましだ。
いつも強気な杏奈らしくない…。
そもそも杏奈は、本当に気が強い子なのだろうか?
「ここじゃ冷えるから、リビングに行こう」
俺は立ち上がると、座り込んでいる杏奈に右手を差し出した。
バシっ!と、手を振り払われるかと思った予想に反して、
杏奈は、俺の中指と薬指あたりをぎゅうっと力強く握り返してきた。
そしてそのまま一緒に立ち上がると、リビングまで向かう。
正直いって、ドキドキなんかしなかった。
こいつは妹だし。
それに、ドキドキはももてぃんで十分、味わっていた。
そのとき明かりがついていて、杏奈の顔を見ていたら、ちょっとは違っていたかもしれないが。
リビングについて明かりをつける。ぱらぱらぱらと一斉につくと、さっきの暗さの残像が残った。
…って、ぼんやりしている場合ではない。
俺はなんとかして、杏奈の機嫌を直さなければいけないのだ。
と、ずっとつながれている右手を見た。
杏奈は下を向いたまま、俺の手を離そうとしない。
「あ、杏奈さん?えっと……」
手を離してくれませんか。なんて言えるはずもない。
とりあえずソファまで一緒に行って、一緒に並んで座り込んだ。
横をチラ見して杏奈の様子を見ると、どーんとした感じで負のオーラが漂っている。
「……本当に悪かったよ。ごめんな。それにこんなに遅くまで俺のこと待っててくれたんだろ。ありがとう」
「……」
そうなのだ。いろいろ意地悪されたとはいえ、俺の帰りを玄関先で待っていたのには違いないのだ。
冷えた…だろうな。しかも……玄関先で転んで汚れただろうし。
「風呂入ってきなよ」
「にいにも、一緒がいい……」
ハイ??
うるんだ瞳で俺を見上げる杏奈。
「にいにと一緒じゃなきゃ……やだ」
「ばっ! ばかいってんじゃないっ!」
俺は杏奈の手を慌てて、振りほどいた。
なんだこいつ? 本当に…さっき胸触られて頬を叩いた奴と同一人物なのか??
杏奈はソファの上で体育座りすると、くすんくすんと泣き始めた。
「今日は杏奈のライブだったんだよ……。ママとパパも来てくれたのに、どうしてにいには、来てくれなかったの?」
「!!」
「杏奈……家族の前で踊るの夢だったのに」
「おまえ! そんなこと、ひとことも言ってなかったじゃないか!」
「だって、予定あるっていうんだもん。しかも朝帰りだし。キモイッ! 不潔な人はそばに寄らないで」
「…………」
「ごめん……」
杏奈は顔を上げると、咎めるような顔を俺に向けて、そっぽを向いた。
そして、言い放つ。
「にいになんか、大っ嫌い」
大人げないとは思うが、俺も言い返したいと思った。
「そんなことくらいで大っ嫌いとか言うな! お前の思い通りになんか、みんなならないんだぞ!」
「お前って言うな!」
杏奈がキッと睨み返してくる。
「お、あ、杏奈こそ、にいにって言うのやめろ! 人前でやられたら恥ずかしくてしょうがない!」
「じゃあ! なんて呼べばいいの??」
「普通にお兄ちゃんって呼べよ!」
「絶対やだっ! 死んでもやだっ!!」
杏奈はそばにあったクッションを俺に投げつけて、走り去っていった。
「杏奈!」
俺はおいかけようと思っていたのだが……結局なにもできずその場に立ち尽くした。
闇闇ガールズは……ここにもいた。
闇のない女の子なんて、この世にはいないのかもしれない。




