8 海の交響曲と怒れる眼鏡の参入
熱せられた鉄板の上で、グツグツと泡立つ黄金色のスパイスオイル。
そこに踊る鮮やかな朱色のエビ、花が開いたように丸まるプリプリのイカ、そして表面がきつね色に凝縮された白身魚。
ルチアは生唾をゴクリと飲み込み、震える木匙でまずは大ぶりのエビをすくい上げた。
「……いただきます」
口の中へ滑り込ませた瞬間——ルチアの緋色の瞳がカッと見開かれた。
パツン……ッ!!
歯が表面を弾いた瞬間に押し寄せる、圧倒的な身の引き締まりと甘み!
そこへ容赦なく重なるのは、熱せられたオリーブオイルの中で引き出されたニンニクの圧倒的なコクと、異国スパイスの刺激的なパンチである。
(んふぅぅぅぅぅ……っっっ!!)
ルチアは思わず胸元を押さえ、椅子の背もたれへ深く倒れ込んだ。
背後に広がるのは、蒼海を跳ね踊る巨大なエビの幻影。
(なんなのこの力強さは……! 噛み締めるたびに、エビの濃厚な旨味がスパイスの炎に煽られて、口の中で爆発しているわ……! 辛い! だけど甘い! そして香ばしい……!!)
「う、美味い……! 美味しすぎるわ、料理人さん……!」
「まだまだこれからだお嬢ちゃん! 次はイカとパン、そして白米をいってくれ!」
誇らしげに胸を張る料理人に促され、ルチアはカリッと香ばしく焼かれた厚切りパンを手に取った。
グツグツと煮立つ黄金色のオイルソースにパンの端をたっぷりと浸し、スパイスの粒と一緒に口へ放り込む。
ザクッ、じゅわぁぁぁぁ……!
(……ッッ!? 参ったわ……! 魚介の旨味がすべて溶け出したこのオイル、それ自体が極上のスープじゃない……! パンが吸い込んだ旨味の汁が、噛むたびにジュワジュワとお口の中に溢れ出して止まらない……!)
さらに間髪入れず、熱々のホカホカ白米を木匙でかき込む。
(お米……! スパイスの刺激を、この甘い白米が優しく包み込んで……完璧な調和を奏でているわ……! 止められない……我が手を制御できない……!)
「美味しい……! 美味しい……っ!」
世界の頂点に立つ魔王が、まるで幼子のように頬を真っ赤に染め、夢中で鉄板の海鮮とご飯を口へ運び続ける。
料理人はその食べっぷりに思わず感涙し、「これだから料理人はやめられねぇんだ……!」と熱い拳を握りしめた。
まさに、食を愛する者たちが生み出した最高の空間。
——しかし、その至福の空間は、一瞬にして凍りつくこととなる。
ピキッ……と、倉庫の空間そのものに亀裂が入った。
「……素晴らしい食べっぷりですこと、ルチア様」
極限まで低く、静かで、氷点下すら下回る冷酷な声。
空間が裂け、漆黒の転移魔法陣の中から歩み出てきたのは、黒髪を完璧な夜会巻きに結い上げたお目付け役——マーガレットであった。
眼鏡の奥の瞳は、怒りを通り越して静かな虚無の炎を宿している。
「ひっ……!? ま、マーガレット……!?」
ルチアはビクッと肩を跳ねさせ、匙を握ったまま固まった。
「反省文の提出と同時に魔王城の転移陣を過重負荷で暴走させ、追跡を撒いて人間界へ高飛び……。今回はどれだけお叱りの言葉を用意しても足りませんわ」
マーガレットがカツン、カツンとヒールの音を響かせて近づいてくる。
絶望に顔を蒼白にするルチア。……だが、マーガレットの視線が、ふとルチアの目の前にある鉄板へと向けられた。
激しい熱気。
弾けるスパイスとニンニクの香気。
そして、料理人の熱意と海の恵みが一体となった圧倒的な「料理の気配」。
マーガレットの美しい眉が、ピクリと跳ねた。
(……なんなのですか、この料理は。魔王城の最高級宮廷料理ですら見たことのない、荒々しくも完璧に計算された香気の立ち上り……!)
長年、美食家であるルチアの食生活を支え、自らも厳しい舌を持つマーガレットの胃袋が、不覚にも「ぐぅ」と小さく鳴りかけた。
「……料理人」
「は、はいぃっ!?」
マーガレットは冷徹な眼差しをそのままに、腰のポーチからずっしりと重い金貨の袋を取り出し、カウンターへ置いた。
「これで、もう一皿焼きなさい。……大至急ですわ」
「えっ!?」
ルチアと料理人が同時に素狂ったような声を上げた。
「マ、マーガレット……あなた、お説教は……?」
「ルチア様のお説教は、この料理の真価を確かめてからにいたします。これほどまでにルチア様を魅了し、城を脱走させた理由……お付きの者として、知っておく義務がありますから」
マーガレットは凛とした動作で眼鏡をクイと上げ、ルチアの隣の丸椅子へと優雅に腰掛けたのだった。




