9 参謀の食卓と市場の歓声
「お待たせいたしました! 『特製・極上スパイスと海鮮のガーリック鉄板炒め』です!」
ジュワァァァァッ……!
目の前の鉄板の上で、まるで生き物のように跳ね踊るスパイスオイル。
香ばしいニンニクのコク、ピリッと鼻をくすぐる異国の香辛料、そして新鮮な海の恵みが織りなす濃厚な香気が、マーガレットの鼻腔を容赦なく襲った。
「……ほう」
マーガレットは凛とした表情を崩さぬまま、黒い手袋をそっと外し、細くしなやかな指先で木匙を持ち上げた。
その横で、すでに一皿目を平らげかけたルチアが、期待に満ちた緋色の瞳を爛々と輝かせている。
「ふふ、マーガレット……覚悟しなさい。その一口で、我がなぜ反省文を投げ出してまでここへ来たのかが理解できるわ……!」
「……静かにしてください、ルチア様。料理の味を確かめるのは私です」
マーガレットは冷ややかな声で応じつつも、視線は鉄板の上のエビへと集中していた。
スプーンを滑らせ、オイルソースを纏った大ぶりのエビを掬い上げる。そして、エレガントな動作で静かに口へと運んだ。
パツン……ッ!!
熱々の身を噛みちぎった瞬間、マーガレットの漆黒の瞳がカッと見開かれた。
(……ッッ!?)
頭の中で、雷鳴が轟いたかのような衝撃。
エビの弾力ある歯ごたえから溢れ出す、濃密な海の甘み。それが、熱せられたオイルの中で極限まで引き出されたニンニクの旨味と相まり、津波となって舌の上を支配する。
さらに遅れてやってくる、異国ハーブの爽やかな風味と唐辛子のピリッとした刺激。
(な、なんという……! 単なる荒々しい漁師料理かと思えば、素材の火入れ、スパイスの配合、オイルの温度……そのすべてが極限のバランスで計算し尽くされている……!)
あまりの旨味の暴風に、マーガレットは思わず額を押さえた。
いつも冷徹に澄ましている眼鏡の奥の瞳が、僅かに潤み、うっとりと揺れている。
「……マーガレット? どうかしら……?」
ルチアがニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて顔を覗き込んできた。
マーガレットはハッと我に返ると、コホンと小さく咳払いをして眼鏡のつるをクイと上げた。
「……悪くありませんわ。素材の質を力強いスパイスで引き立てる、見事な職人技です。……ですがルチア様、だからといって無断脱走の罪が消えるわけでは——」
言いかけながらも、マーガレットの手は勝手に動き、今度はカリッと焼かれたパンをオイルソースに浸して口へ運んでいた。
サクッ、じゅわぁぁぁぁ……!
(……くっ、このパンとオイルの組み合わせ、恐ろしいほどの悪魔的な中毒性……! 手が、手が止まりません……!)
「ふふっ、強がり言っちゃって! ほら、ご飯も一緒に食べるともっと美味しいのよ!」
ルチアが嬉しそうに自分の器からホカホカの白米をマーガレットの目の前へ差し出す。
「……失礼いたしますわ」
マーガレットは背筋を正したまま、すかさず白米を一匙口へ含んだ。
(あぁ……! スパイスの刺激を白米の甘みが優しく受け止め、完璧な調和を完成させている……! 素晴らしい……間違いなく、これは人を狂わせる至高の絶品……!)
二人の美女が、無言のまま圧倒的な勢いで鉄板の海鮮とご飯を平らげていく。
その神聖すら感じる美食の光景に、料理人は涙を流しながら深く頭を下げた。
「ありがてぇ……! 最高の料理人に作って、こんなに美味そうに食べてもらえるなんて……職人冥利に尽きるぜ……!」
やがて、二人の目の前の鉄板と器は、まるで洗ったかのように綺麗に空となった。
ルチアはお腹をさすって「ふはぁ〜」と幸せそうな吐息をつき、マーガレットもナプキンで優雅に口元を拭うと、静かに息を吐き出した。
「……ごちそうさまでした。大変素晴らしいお料理でしたわ」
「おう! 礼を言うのはこっちだぜ、おねえさんたち!」
マーガレットは立ち上がると、視線を倉庫内に積まれた大量の極上食材へと向けた。
「ルチア様。この倉庫にある膨大な海の幸とスパイス……悪党どもから奪い返したとはいえ、このままにしておくわけにはいきませんわね」
「ええ、もちろんよ。これは元々、この町のみんなのものだもの」
ルチアはおっとりとした、しかし確固たる魔王の威厳を込めて頷いた。
——翌朝。
港町ポルト・グランデの市場は、かつてない熱気と歓声に包まれていた。
「おい! 聞いたか!? 『黒海組合』が昨夜のうちに壊滅したらしいぞ!」
「それだけじゃねぇ! 奪われていた極上エビや魚、珍しいスパイスが全部市場に還元されたんだ! 今日の魚は全部獲れたてで安くて美味いぞーっ!」
立ち並ぶ露店には、水揚げされたばかりの輝く魚介が所狭しと並び、町の人々の笑顔と威勢の良い掛け声が響き渡っている。
その賑わう大通りを離れた路地裏で、フードを深く被った銀髪の少女と、凛とした黒髪の女性が静かに佇んでいた。
「みんな、とっても楽しそうねぇ」
活気に溢れる町を見つめ、ルチアがふわりと微笑む。
「ええ。ですがルチア様、町の平和を守ったからといって、城での処分が甘くなるわけではありませんからね?」
マーガレットは容赦なく冷酷な声で告げた。
「反省文羊皮紙五枚。それに加えて、今回は私も巻き込まれましたので、魔王城の庭園の草むしり一ヶ月を追加いたします」
「えぇぇぇっ!? く、草むしりぃ……!? マーガレット、あなたもあんなに美味しそうに食べていたじゃない……!」
「私は公務の調査として食したまでです。ほら、足元に転移魔法陣を出しますから、動かないでください!」
「あぁ〜っ、待って! せめてもう一度あのアヒージョ炒めの匂いを嗅いでから——!」
「行きませんっ!!」
眩い光が二人を包み込み、そのままフッ……と気配が消え去った。
港町の爽やかな潮風の中には、二人の賑やかな押し問答の余韻と、香ばしいスパイスと海の恵みの香りが、どこまでも優しく漂っていた。




