5 港町ポルト・グランデと潮風の香り
「はぁ……はぁ……つ、着いたわ……!」
青い海と白い雲、そして磯の香りが心地よく漂う港町——ポルト・グランデ。
石造りの建物が立ち並び、港には無数の船が停泊している風光明媚な街の路地裏に、ひとりの少女が荒い息を吐きながら降り立った。
流れるような銀髪を乱し、胸を上下させているのは魔王ルチアである。
「反省文羊皮紙三枚……! 魔王としての超人的な執筆速度で終わらせてやったわ……!」
ルチアは達成感に満ちた表情で、小さな拳をギッと握りしめた。
マーガレットが提出された反省文の文字を細かくチェックしている一瞬の隙を突き、魔王城の転移陣を起動させて単身ここまで跳んできたのだ。
「ふふふ……追いつかれる前に、まずは目的の『海の幸』を探さなきゃ……!」
ルチアはペコペコに凹んだお腹を撫でながら、メインストリートである港沿いの市場へと歩き出した。
だが、市場に足を踏み入れた瞬間、ルチアは「ん……?」と緋色の瞳を細めた。
活気があるはずの港町にしては、どこか雰囲気が暗い。
立ち並ぶ露店には「本日魚の入荷なし」「本日営業終了」といった札が目立ち、数少ない営業中の店も、並んでいる魚介類の質に対して信じられないほど高い値段がつけられていた。
「おいおい、エビ一匹で金貨一枚なんて冗談じゃないぞ!」
「買わないなら立ち去れ! 今、港の荷揚げは全部『黒海組合』が仕切ってるんだ。文句があるならあいつらに言いな!」
露店の客と店主が荒々しい声で言い争っている。
ルチアはおっとりとした足取りで露店に近づき、並べられた魚を見つめた。
(たしかに……獲れたてのはずなのに、身が少し傷んでいるわねぇ。それに、我が求めているような香ばしい海の匂いがしない……)
「おや、お嬢ちゃん。見慣れない顔だねぇ。可愛い顔してるが、こんな高い魚、買いに来たのかい?」
露店のおばさんが、心配そうにルチアに声をかけてきた。
「こんにちは。……ねぇおばさん、この街では美味しいお魚は食べられないの……?」
「はぁ……昔は安くて美味い魚がたくさん獲れたんだけどねぇ。ここ数ヶ月、裏社会の『黒海組合』ってガラが悪い連中が港の船を全部押さえつけちまってさ。いい魚や外国からの珍しいスパイスは、全部高級料理店や闇ルートに流されちまうんだよ。あたしたち大衆食堂や一般の民には、売れ残りのくず魚しか回ってこないのさ」
おばさんは深くため息をついた。
(くず魚……。そんなの、我が許さないわ)
ルチアの緋色の瞳に、静かな憤怒の炎が灯る。
(海から上がったばかりのプリプリのエビや、脂の乗ったお魚、そして外国の香辛料……! それらを正当な理由もなく独占して、美味しいものを食べたい民を苦しめるなんて……!)
「おばさん」
「ん?」
「一番美味しいお魚とスパイスが集まる場所って、どこかしら……?」
ルチアがおっとりと、しかしどこか凄みのある笑顔で尋ねると、おばさんは少し気圧されたように港の奥に聳え立つ巨大な赤煉瓦の倉庫を指差した。
「あ、あの巨大倉庫だよ。あそこが『黒海組合』のアジト兼、横取りした食材の保管庫さ。……まさか、お嬢ちゃん行くんじゃないだろね? あそこには荒くれ者がたくさん——」
「ありがとう、おばさん」
ルチアはふんわりと微笑むと、赤煉瓦の倉庫に向かって歩き出した。
(待っていてね……我が極上の海鮮料理……! 今、助けてあげるからね……!)
——その頃。
「……ルチア様ぁぁぁぁぁっ!!」
魔王城の執務室にて、完璧に書き上げられた(ただし文字が恐ろしく汚い)三枚の反省文を握りしめ、マーガレットが鬼の形相で叫んでいた。
「反省文を書き終えた瞬間に脱走するなんて……! どこまで食い意地が張っていらっしゃるのですか!」
マーガレットは眼鏡をクイと直すと、怒りで肩を震わせながら空間魔法の準備を始めた。
「ポルト・グランデですね……。今度という今度はお説教だけでは済ませませんわよ……!」
最強の食いしん坊魔王と、限界寸前のお目付け役。
港町ポルト・グランデを舞台にした新たなグルメ(と懲罰)の嵐が、今まさに巻き起ころうとしていた。




