3 トンテキの平和と魔王の威厳
「ああ? 何言ってやが——」
オーガのリーダーが言葉を言い切ることは叶わなかった。
ルチアがゆっくりと右手を掲げ、細く白い人差し指を「ちっちっち」と軽く横に振る。
次の瞬間、店内を覆い尽くすほどの漆黒の圧迫感が空気を支配した。
大気がキシキシと悲鳴を上げ、物理的な重圧によって店内の足場が沈み込む。ルチアの背後に現れたのは、世界の理すら歪める絶対的な死の気配。
「ひっ……!? な、なんだこの圧は——」
オーガたちが恐怖で顔を引きつらせた時には、すでに勝負は決していた。
「消えなさい」
ドッ……!!!!
ルチアの口から漏れた静かな言葉と共に、極限まで圧縮された闇の魔力波が放たれた。
それは破壊の閃光となり、オーガたちだけを正確に捉えて空中へと跳ね飛ばす。壁を突き破り、屋根を突き抜け、男たちは叫び声を上げる暇もなく遥か彼方の空の星となった。
店内を壊さないよう、威力をミリ単位でコントロールした超高密度の無詠唱魔法——世界最強の魔王だからこそなせる業である。
吹き抜ける夜風の中、店内にはしんと静まり返った沈黙だけが残された。
「……ふぅ。お行儀の悪いお客様だったわね」
ルチアは何事もなかったかのようにコップのお水を一口飲み、再び木箸を持ち上げた。
「あ、ルチア様! 店の天井と壁に穴が空いているではありませんか! もう少し手加減というものを……!」
マーガレットが額に青筋を立てて怒鳴るが、ルチアはすでに自分の世界に入っていた。
(……無事だったわ。我が愛しのトンテキと、特盛りご飯……!)
冷めないうちに、ルチアは最後の一切れのトンテキを持ち上げ、口へと運ぶ。
(んふぅ……やっぱり美味しい。ニンニクとバターの風味が、時間が経ってより肉に染み込んでいるわ……!)
そして、タレの染み込んだご飯を器ごと持ち上げ、一粒残さず綺麗にかき込んだ。
(ごちそうさまでした……! 最高のご飯だったわ)
満足そうにお腹をさすりながら、ふはぁ〜と吐き出された幸せそうな息。先ほどオーガを一瞬で吹き飛ばした恐ろしい魔王と同一人物とは誰も思わないだろう。
ガタガタと震えていた店の店主が、恐る恐るカウンターの裏から顔を出した。
「あ、あの……お嬢ちゃんたち、一体……」
「大将、失礼いたしました」
マーガレットがすっと立ち上がり、エレガントな所作で腰のポーチからずっしりと重い金貨の袋を取り出した。
「うちの姫が少々乱暴な追い払い方をしてしまい、お店を傷つけてしまいました。これで壁と天井の修理代、そして先ほど逃げてしまったお客様方の代金を補填してください」
「え、金貨……!? こ、こんなに貰えねぇよ!」
「取っておきなさい。……それと、大変素晴らしいお料理でしたわ。姫もとても満足したようです」
マーガレットが微笑むと、店主は感激のあまり涙を浮かべて何度も頭を下げた。
「ありがとう、おねえさん方! またいつでも来てくれよ!」
「うん、絶対また来るねぇ」
お腹がいっぱいになり、とろけたような笑顔で手を振るルチア。
店を出ると、夜の街風が心地よく二人の頬を撫でた。
「さて、ルチア様。約束通り美味しいお肉は食べましたね。魔王城へ帰りますわよ」
「え〜……マーガレットぉ、もうちょっとだけ街を散歩したいなぁ……。あっちの角を曲がったところから、甘くて香ばしい焼き菓子の香りがするの……」
「聞きません! だいたいルチア様は、いつも一言多くて暴れすぎなのです! 帰ったらたっぷりお説教と反省文ですからね!」
「え〜……マーガレットのいじわる。……ねぇ、反省文書いたら、またあのお店連れて行ってくれる……?」
「調子の良いことを言わないでください! ほら、足元に魔法陣を出しますから動かないで!」
「あ、待ってマーガレット、せめて焼き菓子の匂いだけでも嗅ぎに——」
「行きませんっ!!」
眩い転移魔法の光が二人を包み込み、そのままフッ……と気配が消え去った。
嵐の去った夜の路地裏には、二人の賑やかな押し問答の余韻と、香ばしいトンテキの匂いだけが静かに残されていた。




