⑩失意の底
——数時間後。
フラフラした足取りで、辿り着いた場所は、元いた次郎さんの家だ。
引き戸が外れた開けっ放しの玄関をくぐると、食器を片付ける次郎さんがいた。
次郎さんは俺に気付くと、眉毛を釣り上げた。
「にぃちゃん、どこ行ってたんだ? ん? どうした、暗い顔して」
「……え、いや……」
絶望に打ちひしがれた俺は、まともに返事が出来なかった。
すると、家の奥からパジャマ姿のコウタ君が、駆けてきた。
「凄いよ! おにぃちゃんの言った通りだったよ! 3対1で、Y球団が勝ったよ! 予知能力があるんだね!」
「違うよ……未来から来たんだよ……」
意気消沈で答える。
認めたくないが、俺はタイムスリップしたのだ。
なぜなら、そう考えると、全ての合点がいくのだ。
ガックリ肩を落とす俺とは対照的に、コウタ君は興奮気味だ。
「未来の人なの? ねえねえ、じゃあさ、来年はどこが日本一になるの?」
「……1996年だったら、O球団が日本一になるよ」
「そうなんだ! じゃあさ、今メジャーリーグで活躍しているN投手って何勝するの?」
「……えーと、確か日米通算200勝するよ。でもメジャーって言ったらさ、もの凄い選手が出てくるよ。投げては160キロ以上の球で、バシバシ三振を取って、打ってはガンガンホームラン連発する二刀流選手」
「ええっ、二刀流? 凄い!」
コウタ君と話をしていると、しぼんでいた気持ちが、幾ばくか和らいだ。
未来を知っているという事に、優越感を感じたからだ。
「二刀流なんて、凄いね! それって日本人だよね? メジャーで活躍するの?」
「そうだよ。しかも背が高くて、イケメンで……」
ここで、食器を片付けた次郎さんが「おいおいおい…」と、会話に割って入ってきた。
俺とコウタ君の話を、ずっと聴いていたようだ。
「おいおい、にぃちゃん。デタラメ言うなよ。そんな漫画の主人公みたいな奴、いるわけないだろ。何がメジャーで、二刀流だよ」
「父ちゃんは黙ってて! ねえねえ、もっと教えてよ!」
子供は無邪気なものだ。
俺の話に、目をキラキラさせている。
「ねえねえ、未来は何が起こるの?」
「ん、まあ色々あるけど……2011年に大震災が起きるよ。あと2020年に、世界中でウイルスが大流行するよ」
「え? ウイルス? やばいの? 人類が滅びちゃうの?」
「いや、滅びはしないけど。ただ、マスクは沢山買っておいた方が良いよ。ウイルスが日本で広がり始めた時、すぐに完売になったからさ……」
いつの間にか、焼き芋を食べだした次郎さんが、また横槍を入れてくる。
「おいおい、にぃちゃん。世界中でウイルスが流行るとか子供を怖がらせて、からかうなよ」
だって本当の事だから……と、俺は言いたかったが飲み込んだ。
さらに、次郎さんが小声で呟く。
「みんながみんな、マスクするのか? 夏でもか? そんな訳ないだろ。はははっ」
この時代に生きる人にとっては、突拍子も無い話だったのかも知れない。
俺は反論せず、コップに注がれていた、ぬるいビールを飲み干した。
全く美味しくなかった。
空になったコップを置くと、座椅子にもたれかかる。
その時、ポケットから何かが落ちた。
音楽プレーヤーだ。
そういえば、バスに乗っている間、ずっと使っていた物だ。
掌に収まるくらいの、薄くて小さな音楽プレーヤーを拾い上げると、コウタ君が顔を近づけてくる。
「何それ? ポケベル?」
「いや、音楽が聴けるんだよ」
「え? こんなに小さいのに? CDもカセットテープも入らないよ」
「いや……」
その時、相変わらずクチャクチャと、不快な咀嚼音をたてる次郎さんが、ニョキッと首を伸ばしてきた。
「何だ、この画面。写真みたいに綺麗だな。ボタンは、どこだ?」
「ボタンっていうか……画面で操作するんです」
俺が液晶画面をタップすると「うわっ、動いた!」と、二人が驚愕の声を出した。
「画面を触って操作するのか? にぃちゃん、本当に未来人みたいだなぁ」
次郎さんが、しばらく慣れない手つきで、画面をタップし始めた。
「ワシな、隣町の工場で電化製品とか作っていた事があるんだよ。これは、今の時代には造れないなぁ。にぃちゃんが未来から来たっていう話、案外本当かもしれんな」
どうやら次郎さんが、少しだけ信じてくれたようだ。
「父ちゃん、僕もやりたい!」と、コウタ君が小さな指で画面をペタペタと触りだした。
俺は興味津々の二人をよそに、深い息を吐いて仰け反った。
ああ……それにしても、どうしたら2023年に戻れるのだろう。
あてもなく壁を眺めていると、神社の絵ハガキが目に入った。
俺はふと、あの小さな神社の事を思い出した。
次郎さんは、何か知っているのだろうか?
尋ねてみた。
「次郎さん、近くに小さな神社がありますよね? 凄く小さな神社」
「……ああ、あれか。分かるぞ。あんな小さい神社、日本中を探しても無いからな、はははっ。ずっと昔からあるぞ」
「その神社で、なんか時空を越えるとか、タイムスリップしたとか、そんな話を聞いた事ないですか?」
次郎さんは顎を掻きながら、斜め上を見つめた。
「そう言えば……ワシが子供の頃、そんな噂があったような気がするな」
やっぱり!
俺は、身を乗り出した。
「俺、あの神社の本堂の中で、タイムスリップしたみたいなんですよ!」
次郎さんとコウタ君が「へえ……」と唸った。
同じ「へえ……」でも、それぞれの声のトーンは違う。
次郎さんは、半信半疑の目だ。
一方、コウタ君は目を輝かせ、信じているふうだ。
「……まあいいや、そろそろ風呂入って寝るか」
俺の話が面倒臭くなったのか、次郎さんは風呂に入るよう促してくる。
「風呂の後、にぃちゃんは俺と寝室で寝なよ」
「あ、はい、どうも……」
ここで、コウタ君は二階に上がろうとした。
だが、途中で振り向いた。
「おにぃちゃん、明日も未来の話を訊かせてよ!」
「……ああ、いいよ」
俺は力なく、返事をした。
つづく……




