第12話:鉄球と照準
二〇二六年、二月二十日。事件は三日目を迎えていた。
連日の強行突入に失敗し、多数の殉職者を出した警察上層部は、ついに最終手段へと打って出た。
ゴゴゴゴゴ……と地響きを立てて雪原を前進してきたのは、巨大なクレーンを搭載した装甲重機だった。そのワイヤーの先には、重さ数トンにも及ぶ、巨大な鉄製の「鉄球」が文字通り死神の振り子のようにぶら下がっている。
「建物の壁ごと、やつを叩き潰せ! 放水も同時に開始!」
指揮官の怒号とともに、高圧放水車から放たれた氷水が旅館の窓を破壊し、同時に巨大な鉄球が、テシンの立て籠もる二階の壁へと向かって猛然と振り下ろされた。
ズガァァァァァン!!
凄まじい破壊音とともに、旅館の木造の壁が粉々に砕け散り、大量の粉塵が舞い上がる。
「やったか!?」前線の警察官たちが身を乗り出した、その瞬間だった。
粉塵の立ち込める暗闇の奥で、七十一歳の老いた怪物は、冷徹に、そして完璧なシステム(構造)の一部として機能していた。
テシンがバッグの底から引きずり出したのは、強奪した武器の中でも最大級の火力を誇る軍用銃――【89式5.56mm小銃】。
テシンは激しい喀血を白い床に吐き散らしながらも、小銃の銃床を自らの老いた肩へと強固に固定した。
能面の顔のまま、片目を瞑る。
暗闇の中から、89式小銃の「照門」と「照星」の僅かな隙間を覗き込み、肉眼では点にしか見えない、重機の運転席の小さなガラス窓へと、その絶対的な殺意のラインを合わせた。
(近くにいたあんたが悪い……いや、わしを圧殺しようとする世界が悪いのだ)
パン、パン。
短い制動射撃。
5.56mmの高速弾は、重機の防弾ガラスを容易に貫通し、操縦桿を握っていた警察官の「眉間」の真ん中を寸分の狂いもなくブチ抜いた。
「が……っ」
操縦士は即死。制御を失った重機は、雪の中に突っ込んで沈黙した。テシンの正確無比なシステム(照準)の前には、近代兵器すらも無力だった。
「チョ・テシィィィィン――ッ!!」
指揮車の影でそれを見ていた松井浩亮は、ついに理性のタガが完全に外れた。
手にした杖を雪の中に投げ捨て、懐からトカレフを引き抜くと、泥を噛むような顔で旅館の正面玄関へと向かって走り出した。
「松井さん、危ないですよ! 戻ってください!」
後輩の指揮官が必死に叫び、その身体を止めようとする。だが、七十代後半となった松井の身体からは、若造の警察官たちを圧倒するほどの、どす黒い復讐のオーラが吹き出していた。
「止められると思うな! あいつと俺の四十年だ、邪魔をするな!」
松井は制止の腕を振り切り、鉄球によって半壊した旅館の正面玄関へと、単身で突入を開始した。
「クソッ、松井さんを守れ! 部隊、突入しろ!!」
指揮官の悲鳴のような命令を受け、数名の防弾装備に身を包んだ警官隊が、松井の護衛として、盾を構えて一斉に中に雪崩れ込んだ。
「松井さん、下がって――」
松井を庇うように前に出た若い隊員の言葉は、最期まで続かなかった。
ドガガガガガッ!!
二階の吹き抜けから放たれた、89式小銃の猛烈なフルオートの掃射。
テシンは能面の顔のまま、上階から見下ろす形で、突入してきた警官隊の頭部――防弾盾の隙間から覗く彼らの「目」の周辺を、一網打尽に薙ぎ払っていった。
「ぐあああッ!?」
「隊長! 隊長がやられた!」
至近距離での軍用銃の乱射を受け、松井の周囲にいた護衛の警官たちが、次々と血飛沫を上げて床に崩れ落ちていく。
床に敷かれた畳が、吸いきれないほどの鮮血で瞬く間にドロドロの赤へと染まっていく。
助けを呼ぶ声、断末魔の叫び。だが、それらの銃弾は、なぜか松井の肉体だけを綺麗に避けて放たれていた。
テシンは、松井を今すぐ殺す気などないのだ。
自分を追い続けてきたこの宿敵に、現世のルール(警察)が自分の前でどれほど無残に、紙切れのように撃ち殺されていくか、その「目」に特等席で見せつけてやるために。
「テシン……どこだ、どこにいる!!」
血の海と化した一階のロビー。
息絶えた警察官たちの死体の真ん中で、松井は血塗れのトカレフを上階の暗闇へと向け、狂ったように叫んだ。
天井の崩れた隙間から、パラパラと火薬の煤が落ちてくる。
その暗闇の奥から、ガタガタと震えながらも、確実に次の弾倉を89式小銃へと叩き込む、あの怪物の無機質な足音が聞こえていた。
まだ、三日目。
10日間に及ぶ地獄の籠城戦の、これはようやく「序章」が終わったに過ぎない。
四日目、極寒の要塞は、さらなる狂気の世界へと変貌していく。




