紫月花の非情――59
夕方。七時前。
俺とリオは、地域の各駅電車に乗っていた。
車内は、部活帰りの学生で溢れてた。
一定のリズムで、レールの音が響いて、
学生達の笑い声が、耳にざわつく。
モーター音が、ヤケに煩く感じた。
もう飛行機は間に合わない。
ハレも俺もリオも、マンションには居ない。
庁に気づかれるのも時間の問題だった。
その時――
車内に、電子音が鳴り響いた。
よく知ってる音。
霊対庁の公式アプリの音。
――緊急速報。
携帯の通知音が、一斉に不協和音を鳴らす。
レイが、恐怖を煽るぐらいで良いって言ってたやつ……。
この音は、Sランク霊災。
――全隊員出動レベルだ。
ざわついていた車内が、一瞬で静まり返る。
誰かが、小さく呟いた。
「……指名手配?」
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
画面を開いた。
そこに表示されていたのは――
間違いなく、
――レイとハレの写真だった。
――――――――――――――――――――――――
☀霊災害対策庁より、国民の皆様へ緊急なお知らせ。
本日未明、下記隊員が霊対庁より離脱したことを確認しました。
【対象】高階凌雅(S級)
紫月花(S級)
両名は、意図的に霊災を発生させる能力を有する危険人物です。
現在、霊対庁は全隊員を総動員し、
国内全域を対象に捜索を開始しました。
発見次第、速やかに避難、
安全を確保し、通報してください。
☀協力いただける、民間の登録者様へ。
両名に関する情報や、目撃情報等は、情報分析課へ通報をお願い致します。
発見次第、速やかに通報。
状況により、排除を許可する。
――――――――――――――――――――――――
その直後。
もう一つ、通知が鳴った。
今度は、霊対庁隊員専用回線。
画面を開いた瞬間、
背筋が凍りついた。
――――――――――――
【緊急通達】
対象:現場対策部門
特殊対策班(S級)
レイ
ハレ
当該対象は、霊対庁を離脱。
極めて危険な存在と認定。
全隊員へ通達。
発見次第、即時拘束。
状況により、排除を許可する。
――接触時、単独行動を禁止する。
必ず複数名で対応せよ。
――――――――――――
……俺たち、完全に敵だな。
「……ふざけんなよ」
勝手に声が出てた。
車内だろうが、関係無かった。
リオは黙って、下を見てた。
でも、唇を噛んで、服の裾を力一杯握ってて、
指先が、白くなるほどだった。
***
夜。
俺は、村の中央で火を焚いていた。
山の空気が、いつもと違う。
風が、止まっている。
虫の声も、聞こえない。
――静かすぎる。
「……妙だな」
ここに来て、約三ヶ月。
毎日、何もせずに過ごしている。
以前の俺には、考えられない事だった。
毎日、立つか、歩くか、座る。
清潔を保って、食事をして、火を焚く。
それしか無かった。
それでも――
この山の音は、身体に染みついて来た。
だから分かる。
今日は――
何かが、おかしい。
……違う。
何かじゃない。
静寂の奥に、
わずかな、気配が混ざっている。
――いる。
考えるより先に、歩き出していた。
夜の村は静かだった。
焚き火の赤も遠く、
空には、雲一つなかった。
足が止まった。
この感覚は、絶対に間違えない。
――いた。
その背中を見た瞬間、思考が止まる。
生ぬるい風が、四方から刺さる。
不思議と、不快では無かった。
「……なんで来た」
「レイと一緒がいい」
ハレは、迷いなく、俺を見て言った。
追い返さなければいけない。
今すぐ――
突き放さなければ。
思考とは正反対に、身体が動いていた。
小さな身体を、引き寄せて、
その存在を確かめるように、包み込む。
「レイ……」
ああ、ダメだな俺は。
人間らしく、なりすぎた。
「ハレ……会いたかった」
***
「レイ、これ、みて?」
ハレが俺にスマホを渡した。
画面を見た瞬間、息が、止まった。
……ああ。
終わりだ。
庁からの緊急速報。
俺とハレが、全域で指名手配されている。
勘付かれたか、
元からこのつもりだったのか――
思惑はどうでもいい。
状況は、最悪だ。
国内を逃げ回るのは無謀だ。
俺が設計したセンサーの範囲網に、隙は無い。
国外への逃亡は、
国籍を有さない俺達には不可能。
手段は、一つしかない。
月明かりが、俺とハレを照らしている。
白く淡い光が、影を長く引き伸ばしていた。
重なり合うはずの影は、わずかにずれている。
「ハレ」
名前を呼ぶだけで、胸の奥が軋む。
「ん?」
「逃げることも出来る。ハレが扉を開けば、俺達だけは、助かる」
言葉にした瞬間、分かっていた。
それがどれだけ歪で、
どれだけ身勝手な選択か。
「だけ……?」
ハレは、静かに問い返す。
その声は、責めるでもなく、
ただ、確かめるような響きだった。
「ハレの扉を開いたら、この世にある全ての霊核が消える。霊力システムすべてがガラクタになる。これから発生する霊災は処理出来ない」
口にするたびに、
世界の重さが、言葉に乗る。
「…………どういうこと?」
「霊対庁は霊災を止められなくなる。ハチマルも機能しない。カイやリオも力を失う。霊災がそこら中に湧いて出る」
遠くで、風が揺れた。
何も知らない世界が、
変わらずそこにある。
「…………そんなの、だめ。でも…………」
ハレは俯き、
指先をぎゅっと握りしめた。
――分かっている。
全部、分かっている。
それでも。
「レイと離れるのは、もっと嫌」
顔を上げたハレの瞳は、
揺れていなかった。
ふと、笑った。
ああ、やっぱりハレはハレだ。
あの日出会った時と、全く変わらない。
本当に純粋で、真っ直ぐで、優しすぎる子だ。
「じゃあ、俺と終わるか?」
「レイと?」
「そう。」
ハレは息を吸い、吐き出すまでに長く時間をかけた。
「うん。レイとなら、どこに行っても嬉しいよ」
その答えに、俺はゆっくりと腰の短刀を抜いた。
銀の刃が月光を受け、冷たく輝く。
「レイ……ありがとう」
ハレは一歩踏み出し、俺に身体を預ける。
彼女を支え、刃が胸に沈んだ。
刃が肉を裂き、骨を越えて、心臓を貫く。
ハレは短刀を引き抜き、そのまま俺の手を握って自分の胸に突き立てた。
熱が二人の間に流れ込み、呼吸が重なり合う。
ふたりの血が温かく混ざり合い、衣服を濡らした。
まだ、僅かに動く身体を使って、ハレを引き寄せる。
互いの額を寄せ合ったまま、身体はゆっくりと地面に崩れた。
「ハレ、愛してる」
「私も……レイを、愛してる」
冷たくなるより早く、全ての力が抜けていく。
最後に交わした視線は、穏やかな微笑だった。
――世界が、遠ざかっていった。




