紫月花の非情――57
レイがいなくなって、一週間が経った。
ハレは、変わらないように振る舞ってた。
「おはよう!」
日中は、いつものように明るく声をかけてくる。
リビングでも、訓練場でも、現場でも。
よく喋って、よく動く。
だけど、夜。
夕飯に出てこないハレを呼びに行くと、ハレは泣いてる。
間接照明に照らされた影が揺れてる。
肩が、わずかに上下している。
でも、泣き声は聞こえない。
代わりに、鉛筆の走る音だけが、やけに速く響いていた。
一ヶ月が過ぎた頃には、
ハレはもう、泣かなくなった。
相変わらず、まともに飯は食わなくて、
綺麗だった髪は、痛んでボサボサ。
肌は青白くて見るからに病人。
顔もコケた。
それなのに――
ハレは、笑ってた。
俺はようやく気づいた。
壊れかけてる。
でも、それを必死に隠してる。
俺たちに心配をかけないように、
――いや、多分、レイに。
だから笑ってる。
だから泣かない。
その代わりに、誰も見てない場所で、
何かをノートに書き続けてる。
ページをめくる音が、夜な夜な、やけに長く響いてた。
***
「なぁ祭」
「ん?」
「どうしたらいいんだろうな」
「さあな」
「知らないよっ!」
俺たちが死んだあの日から、二ヶ月が経った。
俺たちはその場にとどまり続けていた。
俺たちが彷徨う側になった理由は分かってる。
自分達の人生を賭けて探した、花。
やっと見つけた花は、記憶を失っていて、
自分はハレだと名乗って、
敵側である霊対庁に居て。
レイって男と一緒になって。
そして俺は、
――花に殺された。
無念ばっかりで、留まらない理由が無かった。
同じ場所でずっと留まってる俺達。
しかも場所は霊対庁の管理区域で、復興の兆しも無い。
たまに調査や訓練とかで、霊対庁の人間が来るだけの場所。
留まる他の魂もいるけど、
俺たちはもう、その魂達を送ることも出来ない。
そんな状況の中で、俺が深刻な霊災にならないでいられるのは、
同じ場所に集と円も留まっているからだと思う。
やることが無くて。
飲まず食わずでも平気で、時間がたっぷりある俺たち。
ただひたすらに、くだらない話をして。
もう食べられない食べ物の話をして、
昔遊んだ思い出話に、花を咲かせて、
そんな時間を過ごしていた。
そんな時間を過ごしていた、
――ある日の夜。
梅雨入り前で、
集と円と蛙の数をなんとなく、数えていた時だった。
夜中に、いつもとは違う音が聞こえた。
その音のする方に向かった俺たち。
その俺たちの目の前に居たのは、
――花だった。
花は涙を流しながら、歩き続けていて、
時々、何かを呟いていた。
思わず、声が零れた。
「花っ………」
花の方へ一歩踏み出すと、肩が掴まれる。
「駄目だよ、祭」
「行ってどうするんだよ」
俺を止める、円と集。
「だって花が泣いてるんだぞ? 何かあんのかもしんねぇだろ?」
俺がそう言えば、集は呆れたようにため息をついた。
「俺たちがどんな目にあったのか、分かってんのか?」
「そうだよ!私たちはあいつらに殺されたんだよ?」
円も同意見だった。
「………分かってるよ」
分かってる。
俺たちは、花と花の仲間に殺された。
全力を出しても、
全然敵わなくて。
なんなら、向こうはお遊びぐらいの感覚で、
花の為に、人生を賭けたようなもんだったのに――
死に際には、ゴミ扱いされた。
何か悪いことでもしたか?って思うほど、酷い扱いを受けた。
「でもさ…」
俺は呟いた。
これで、いいのか?
もう死んだし、どう動いても変わらないけどさ。
思うんだよ。
「俺たちってさ、魂との対話を大切にしてきたのに――
一番話し合うべきのあいつ等とは、話もしなかったんだよな……」
「祭…」
今、話しかけたって俺たちは何も変わらない。
もしかしたら、また嫌な思いをするかもしれない。
もう望んだ未来は、手に入らないけど。
花が困ってるなら――
俺は、花を助けたい。
例え記憶がなくても、
花がハレだと主張しても。
俺はあの子に、人生を賭けたんだから――
「どんな形であっても、俺は花に幸せになって欲しいんだよ」
そう言えば、円はため息をついた。
「……ほんと馬鹿だねっ、あんな酷い目にあったのに。」
集はメガネを上げて、笑った。
「女は恋すると綺麗になるって言うけど、男は馬鹿になるんだな」
「でも祭らしいよね」
「そうだな」
言葉は呆れたように聞こえる。
でも俺は知ってる。
円も集も、本当は花を心配してるんだって。
***
暗がりの中、花は荒れた土地を歩き回っていた。
「どこ……」
一人で呟きながら、崩れかけた建物の中を歩き回る。
何かを探しているのは、明らかだった――
「……花っ」
掠れた声で、俺は花を呼んだ。
振り返った花は、涙で濡れた頬をしていた。
「……あ、……えっと、あの時、の?」
「そう、祭だよ。こっちは集と円」
その言葉に、花は小さく呟いた。
「………私を……花って、呼んだ人達だよね? 私が殺した。」
「そう、ここで俺たちは死んだ」
俺は笑って言った。
恨みも怒りも……
とっくに擦り切れて、残ってるのはただ心配だけだった。
「なに探してんの?」
「私たちも手伝うよ」
円も声を掛ける。
でも、花は小さく首を振った。
「いいよ。自分で探すから」
「そんなこと言うなよ、手伝うからさ。俺たちはお前に協力したいんだよ」
そう言えば、花は震えながら問い返す。
「……どうして?」
「え?」
「どうして、貴方達は私に優しくするの?」
一拍。
「私、貴方のこと殺したんだよ?私のせいで死んだのに――
なんで、そんなに優しくするの?」
一瞬、集も円も黙り込んだ。
でも俺は、迷わなかった。
「俺たちは、お前の仲間だから」
「仲間?殺したのに?」
花は、真っ直ぐ俺を見る。
「殺しても、殺されても……俺はお前の仲間だよ」
その瞬間、花の表情が少し崩れた。
一瞬、あの頃の花を、確かに見た気がした。
「で?なにを探してるの?」
円が首を傾げながら、軽く問いかけた。
花は、ぎゅっと胸を押さえた。
呼吸が浅い。
何かを押し込めるみたいに、指先に力が入っている。
それでも――
ようやく、言葉を絞り出した。
「……レイ」
その名前を聞いた瞬間、
俺と集と円は、同時に顔を見合わせた。
「レイ? あの黒髪のメガネの?」
円が確認するように言う。
「うん」
花は小さく頷いた。
「いなくなったのか?」
集が短く問いかける。
「……二ヶ月くらい前に……急に居なくなった」
言葉の端が、わずかに震えている。
「なんで?」
「分かんない」
即答だった。
でも――その声は、明らかに無理をしていた。
「喧嘩でもしたの?」
「してない」
「カイは?もう1人、女もいただろ?」
問い詰めるように言葉を重ねる俺たちに、
花は、とうとう耐えきれなくなったみたいに、
子供みたいな声で、続けた。
「カイもリオも、レイが居なくなったのに探しもしない……」
言葉が、途切れる。
「最初は……仕事だよって……すぐ帰ってくるって言ってたのに……」
呼吸が乱れる。
「二ヶ月経っても……心配もしてなくて……」
視線が落ちる。
「普通に……お仕事してる……」
その言葉は、ほとんど消えそうだった。
――その瞬間。
俺は、確信した。
同時に、集と円も顔を見合わせる。
言葉にしなくても、分かる。
これは、偶然じゃない。
「……それ、多分」
集が、ゆっくりと口を開いた。
「レイが自分で仕組んだんだと思う」
その言葉だけが、やけに静かに響いた。
「レイが?」
花が顔を上げ、不安そうに問い返した。
「二ヶ月も戻ってない。けど、カイもリオも探そうとしない。つまりレイは生きていて、霊対庁の中では行方不明じゃないってこと」
集が淡々と続ける。
「……どういうこと?」
花の声は、わずかに震えていた。
「花に隠したい理由がある。レイに関わる何かを霊対庁は意図的に隠してるんだろう。だったら、レイは霊対庁の外にいる可能性が高い」
「外……ってどこ?」
花が小さく呟く。
「結界ももうだいぶ古くなってるだろうし、出入りは自由だろうな」
「それって……」
言葉の続きを飲み込む花に、集が視線を向ける。
「そう。あそこは霊対庁にとって長年の禁忌の場所。花に内密でレイを送り込むとしたら――そこしかない。」
「それって……、どこ?」
花が縋るように問いかける。
「村だよ。俺たちと花が一緒に過ごした村」
「村?そこに行けばレイがいるの?」
「多分いるよ」
「……ほんとに?」
涙を滲ませながら、花が問いかける。
円が小さく笑って頷いた。
「ほんと!男って不器用だよね。」
「私、どこにいけば………え?」
涙を拭いながら言いかけた花の言葉が、途中で止まる。
円と集の体が、ふっと光りはじめていた。
「まじか………成仏ってこんな感じなんだな」
集が呟く。
「花、常祈戸村に行け。ほぼ確実にレイはそこにいる」
「行きなよ。花が行かなきゃ、レイはきっと戻ってこれないよ?」
円が優しく微笑む。
「幸せになってね、花」
「頑張れよ……。」
集も静かに言葉を重ねた。
二人の体は、ゆっくりと光の粒になっていく。
止める間もなく、その姿は夜の中へと溶けて消えた。
最後に残った俺は、ふらつく足で花に近づいた。
間違いない。
目の前にいる彼女は、花だ。
「花っ……」
思わず呼びかけると、花が顔を上げる。
「……私、本当に花なの?」
大粒の涙を浮かべて、俺を見るその顔に――
俺は、首を振ることしか出来なかった。
「お前は花じゃなくて、ハレだよ」
その言葉に、花は声を殺して泣き出した。
泣きながらも、俺の言葉を噛み締めるように、何度も頷いている。
……これでいい。
俺の夢は叶わなかった。
それでも――
花が幸せになること。
それが、俺の望む未来だ。
俺は最後に、村の場所だけをハレに告げた。
体が、光に溶けていく。
その瞬間――
「……まつり」
どこかで、花が俺を呼んだ気がした。




