紫月花の非情――53
紫月花の非情――53
窓の外に、流れる景色。
来た時と同じはずの風景が、まるで違って見えた。
「……で、どうする?」
隣に座るカイが、低く問う。
俺は、すぐには答えなかった。
寺での会話が、何度も脳内で再生される。
「扉は、力じゃない。仕組みだ」
「仕組み?」
「巡りの維持が立ち行かなくなった時の、強制的な終点」
「……開けば、どうなる」
「消える」
「この国にある霊核、その全てが。霊対庁も、能力者も、例外ではない」
――繋がった。
村の思想。
庁の動き。
ハレが、開けば。
全てが終わる。
だが――
人は、死ぬ。
霊災は、また生まれる。
処理する術は、もう無い。
……詰みだ。
カイが、息を吐く。
「……だから囲ってるのか」
「違う」
俺は、視線を外に向けたまま答えた。
「開かせないためだ」
沈黙。
「――最悪だ」
それでも。
――止めるしかない。
***
マンションに戻ったのは、23時を過ぎた頃だった。
自室のリビングを開ける。
――いない。
上着を脱ぎながら、寝室へ向かう。
ベッドの上。
ハレは、眠っていた。
規則正しい呼吸。
問題はない。
……そのはずだ。
視線を外し、
そのまま、浴室へ向かった。
シャワーを捻る。
水音が、思考をかき消す。
温まりきらない水を、
頭から浴びる。
考えるな。
――分かっている。
止めなければならない。
それでも。
一瞬だけ、思考が揺れる。
……最適解は、ある。
だが。
それを選べば、終わる。
水が、視界を歪ませた。
判断が、鈍る。
――らしくない。
***
シャワーを終えて、俺は直ぐに髪を乾かす。
直ぐにでもハレの側に向かいたくて、
存在を感じたくて、支度を早々に寝室へ向かう。
寝室の扉を開けた、
その時――
「レイ? おかえりっ!」
寝ていたはずのハレが、俺のデスクに座って日記を書いていた。
「ただいま」
近づくと、ハレは椅子から立ち上がり、俺に座るように促す。
促されるまま、座ると、
ハレは迷うことなく、俺の膝に座った。
「起きたのか?」
「うん。日記、書くの忘れてたから………」
そう言って、ハレは日記を見せてくる。
ハレの字で、ハレの言葉で、
ハレの思いが綴られている日記。
少し変わった日記ではあるが、
それがまた、ハレらしい。
「ねぇ、レイ?」
「なんだ」
「何か、悩んでる?」
一瞬、言葉が詰まる。
「そう、思うか?」
「うん。レイのこと一番分かるもん。」
ハレの目が真っ直ぐ俺に向く。
責められてる、感覚はない。
まるで、見透かされてるような。
強い、温かい瞳。
ふと、ハレは笑った。
「この顔は、我慢してる顔っ!どう?当たった?」
「………」
「ふふ、当たり〜♪」
そう言ってハレは、日記を開いて書き足す。
「今日は、レイ君が我慢してる日。ハレは思った。たまにはレイ君もわがままも聞きたいなぁって。だってレイ君はハレの世界で一番大切な人だから。」
俺は、何も言えなかった。
「はい、おしまい!レイ、もう寝よ?」
日記を閉じて、ハレは俺の手を引く。
ベッドに潜れば、俺の手を枕代わりに回す。
「ねぇレイ?」
「どうした?」
「私は、レイのしたいようにすれば良いと思うよ?」
「………間違ってたら、どうする」
「間違っても、続けたら正解になると思うよ?私が証明してあげる」
ハレは、迷いなくそう言った。
***
翌朝。
目が覚めると、隣にハレがいた。
「……起きた?」
小さな声。
寝ぼけたまま、俺の腕に顔を擦り寄せてくる。
「……ん」
短く返すと、ハレは満足そうに笑った。
「今日さ、一緒にご飯食べよ?」
「……いつもだろ」
「いつも、だよ?」
笑って2人でベッドを出る。
寝室を出ると、
真っ直ぐキッチンに向かうハレ。
不慣れな手つきで、包丁を握る。
「危ないぞ」
「大丈夫っ!」
トン。
少しズレた音。
「……貸せ」
「やだっ!今日は私がやるの!」
振り返る顔は、笑っている。
いつもより、少しだけ強引。
だが、こんなハレも愛おしく感じる。
一緒に作った食事を一緒に摂り。
一緒に支度を整えて、部屋を出る。
エレベーターの前までハレが俺を送りに来る。
「いってらっしゃい」
「ああ、すぐ戻る」
短く返せばハレは笑って手を振る。
「うん!待ってるね!」
――違和感は、なかった。
そのまま、俺は
いつも通り、本庁に向かった。
***
その日の朝、俺はなんとなく嫌な予感がした。
まぁ、昨日の村の話を聞いた気分の問題ではあるだろうけど、
朝からカップ割ったり、
焼いたパンが少し焦げてたり、
ただ、ちょっと――
ツイてない日だなって思ってた。
マンションの共同リビングのフロアはいつも通り。
レイは会議に行ってて、
ハレはリオと話ならがら駄菓子食って、
俺は茶々入れながら、ゲームを始める。
「ねぇ、カイ。何のゲームしてるの?」
ハレが俺のスマホを覗きながら、聞いてくる。
「ただのパズルゲーム。ハレもやるか?」
「んー、やってみようかな?」
「え、マジ!?」
――チン。
エレベーターが到着した音が、フロアに響いた。
「……レイか?やけに速いなぁ〜」
俺は画面から目を離さずに呟く。
リオが立ち上がる。
「緊急かな?ちょっと聞いてくる」
ハレは、まだスマホを覗き込んでいた。
おかしい。
その時だった――
背後からドタドタと無数の足音。
レイじゃないと確信して振り返ると、
十数人の職員。
見れば分かる。
――取りに来たってことぐらい。
リオの動きが、止まった。
「……何の用?」
「検査の件で。正式な通達は既に通っています」
「は?」
俺は、ようやく声を上げる。
「レイには?許可取ってんの?」
「長官から許可を得ています」
長官。
霊対庁のトップ。
ほぼ、内閣寄りの人物。
つまり――
リオが、こちらを見る。
目だけで分かる。
――詰みだ。
***
「あ、えっ? なにっ!?」
研究開発部門の職員がハレの手を掴む。
「ハレさん、検査を受けましょう」
「えっ、ちょっと………痛いっ」
座ったままのハレを強引に引っ張っる。
「辞めてっ……」
何かを感じ取ったのか、ハレは手を振り払った。
「検査はっ、しなくて、良いって………」
ハレは抵抗するが、職員達も引かない。
「いけませんっ!!検査は大切です!!」
数人がかりでハレを引っぱる。
「ちょっと、ヤダっ!!」
リオが、研究者とハレの間に割って入る。
「辞めなよ!まず落ち着いてっ!!」
ドンッ――
リオを突き飛ばす職員。
流石に我慢ならなくて、俺も割って入る。
「おいっ!!やり過ぎだ!」
「どいてくださいっ!長官命令です!」
背中にハレを庇いながら、抵抗する。
リオと視線を交わして、リオが頷きスマホに手を伸ばす。
早く、レイを――
その時、
誰かが言った。
「ハレさん。我々に従ってください。
さもなければ………貴方の記憶を消すことになります」
「え……」
「従うのなら消しません。
従わないなら、記憶を消して私たちの管理下になります」
ハレの手が、震える。
「レイ、は?」
「レイさんのことも、分からなくなります」
ハレが、泣きそうになりながら呟いた。
「……やだ」
その声が落ちた瞬間、
ジワジワと感じる、強い霊力の気配。
肌が、焼けるように熱く感じるけど、
なんか温かい光に包まれるような心地よさ。
まるで、死に向かってるような感覚。
「レイが、いいっ………」
その言葉と同時に、何かがズレた。
――ウウウウウウウウッ!!
庁内警報が鳴り響く。
壁面モニターが真っ黒に染まって――
発生区域は、現場対策部門50階S級フロア。
ハレが起こした。非常事態。
つまり、ハレの扉が開き掛けている――
「ハレっ………」
俺はハレに手を伸ばす。
「やだっ、レイっ………」
だが、ハレは取り乱して泣きじゃくり、俺の手すら振り払う。
「落ち着けって………っ!!」
ハレの手を掴んだ。
「…………か」
ハレが、かすかに何か呟いた。
「まずいっ………」
研究者達がハレに掴みかかって、
数人がかりで押さえつけて、
注射器を取り出す。
ハレの瞳は、どこも見てなかった。
「いやぁっ!レイっ!!」
視界の端で、銀色が光った。
張り詰めた空気が、一気に裂ける。
「――イヤァァァアア!!」




