紫月花の非情――54
紫月花の非情――54
庁内に非常警報が鳴り響き、
俺は会議室を飛び出して、走っていた。
胸騒ぎが、消えない。
理由は分かっているはずなのに、
言葉に出来ない。
呼吸が乱れる。
視界が揺れる。
それでも足は止まらない。
嫌な予感がする。
――遅れるな。
誰に言われたわけでもない、
それでも、その言葉だけが、
頭の中で繰り返されていた。
ゲートを越えて、エレベーターのボタンを押す。
ただでさえ、長いエレベーターが妙に長く感じた。
横のモニターを弄ると、フロア直通のエレベーターだけが止まってる。
「チッ……」
並ぶエレベーター全てのボタンを押して、扉が開くと同時に乗り込む。
中のパネルを操作して、非常事態モードに切り替えた。
各階に停止せず、47階で降りると、俺は走って、非常階段を駆け上がった。
間に合ってくれ。
「………っ、ハレッ!」
50と書かれた非常階段の扉を空けた瞬間――
あり得ない、リビングの惨状を見て、
膝から、崩れ落ちた。
聞かなくても、分かる。
ハレが、連れて行かれた。
強引にした結果。
扉が開きかけて、強制的に。
「レイ………」
「ごめん………」
俺に声を掛けてくる二人。
だが、
問い返す気力も沸かない。
「ハレ、…………で、」
「け…………が、ハレ…………」
音が、上手く聞き取れない。
色が、ぼやける。
手の震えが止まらない。
また――
守れ、なかった。
***
俺は立ち上がった。
崩れたままではいられない。
そんなことを考えたわけじゃない。
ただ、身体が勝手に動いていた。
直ぐにエレベーターに乗り込み、研究開発部門へ向かう。
奪われたなら、取り返せばいい。
それだけの話だ。
15階の連絡ブリッジを走って渡る。
靴音が、やけに大きく響いた。
誰もいないはずの通路が、妙に長く感じる。
――遅い。
無意識に、足に力が入る。
階段を駆け下りる。
手すりを掴み、勢いのまま身体を落とすように降りていく。
呼吸が乱れる。
それでも、止まらない。
11階。
検査フロア。
扉の前まで辿り着いた瞬間、
空気が変わった。
いる。
分かる。
この先に、ハレがいる。
俺は迷わず、扉に手を掛けた。
「お引き取りください」
低い声。
視線を向けると、
数名の職員が扉の前に立っていた。
道を塞ぐように。
意図的に。
「退け」
自分でも驚くほど、
声は静かだった。
だが、空気がわずかに軋む。
「レイさんを通さないように命が下ってます」
一瞬、思考が止まる。
「……誰だ」
「………」
答えない。
目だけで分かる。
――言えないんじゃない。
言わないだけだ。
「誰がハレの検査の許可を出した!」
押し殺していた声が、僅かに滲む。
それでも、職員は動かない。
「長官命令です。」
――その一言で、全てが止まった。
頭の中で、何かが音を立てて崩れる。
覆せない。
理解してしまう。
ここから先は――
俺の手の届く場所じゃない。
「………っ。」
言葉が、出ない。
扉に掛けた手に、力が入る。
開けられるはずの扉。
だが――
開けられない。
ほんの数歩先にいるはずなのに。
手を伸ばせば、届く距離のはずなのに。
――遠い。
俺は、扉から手を離した。
奥歯を噛み締める。
握った拳が、僅かに震えていた。
……終わっていない。
それだけを、確かめるように。
俺は、踵を返した。
***
ハレがいなくなって、三日が経った。
共同リビングは、妙に広く感じる。
いつも座っていたソファが、ぽつんと空いていた。
私はその隣に座って、PCを開く。
庁の空気は変わった。
どこか、殺伐としてて、前みたいな空気は無い。
レイは、あまり喋らない。
元々喋るタイプでは無いけど、
仕事以外はずっと部屋に籠もって何かを調べてる。
でも、前とは違うのは、私やカイが声を掛ければちゃんと返事をする。
余裕が無いからか、前より仕事を振られることも増えた。
もちろん、レイも、カイも私も、ハレを取り戻すことは諦めてない。
カイから村での話のことも聞いた。
その話が事実なら、検査を受ける正当性は理解できる。
でも、引っ掛かる。
今まで、半月に一度。
数時間の検査で済んでいたのに、三日も隔離されたまま。
レイを含む、S級全員が検査フロアには入れない。
扉が開きかけたなら、慎重になるのも分かるけど、
意図的に私達が関わらない様に、
誰かが企んでるのは確実。
最も目ぼしいのは、長官。
だけど――
「はぁ………」
一つ息を吐いて、思考を整える。
キーボードを叩く音が響く。
考えろ、止まるな。
今は出来ることをやる時だ。
***
ハレが連れて行かれてから、一週間が経った。
二日前。
ハレが目を覚ましたと、報告を受けた。
霊力の波は安定している。
本来なら、もう外に出ても問題ない数値。
――それなのに。
ハレは、出てこない。
レイも、カイも、私も。
検査フロアへ足を運んだ。
分かっていた。
それでも、行かずにはいられなかった。
だが――
やはり、ハレに会うことは出来なかった。
そして、今日。
私達三人は――
長官の元へ向かう。
ハレを、取り戻すために。
***
長官室の前。
重たい扉の前に、三人並んで立つ。
誰も、口を開かない。
分かっている。
ここを越えれば――
もう、引き返せない。
「……行くぞ」
レイの声は、低かった。
短く、頷く。
私達は、扉を開けた。
部屋に入った瞬間、空気が変わった。
広い室内。
整えられた机。
その奥に、長官は座っていた。
こちらを見るでもなく、
ただ、書類に目を落としている。
「……来たか」
「ハレを解放しろ」
間を置かず、レイが言った。
空気が、凍る。
「――却下だ」
即答だった。
一切の迷いも、感情もない。
ただの、事実のように。
「現状、彼女は最も危険な存在だ」
「なん、だと……」
レイの声が、低く落ちる。
「一度でも完全に開けば、この国の霊核は消滅する。理解出来るはずだ」
レイは引かない。
「だから閉じ込めるのか、人として扱うこともせずに」
だが、長官は動じない。
「これは、必要な選択だ。一人を取るか、国を取るか」
世界よりハレを取るレイと、
個人より、国を取る長官。
真逆とも取れる価値観。
交渉の余地はない。
レイは、一つ息を吐いた。
その動作が、やけに静かだった。
感情を押し殺すための呼吸。
そう分かるくらいには、今の空気は張り詰めていた。
「生活の保証。ある程度の自由。それを俺は条件に出した筈だが」
長官の眉が、僅かに動く。
その一瞬の反応を、私は見逃さなかった。
――届いている。
何の話かは分からない。
でも、レイは確実に、長官の“想定の外”を突いている。
長官は手にしていた資料を閉じ、机に置いた。
その音が、小さく響く。
ゆっくりと、視線が上がり、
そして、真っ直ぐにレイを捉えた。
空気が、変わる。
さっきまでの受けの姿勢ではない。
――来る。
「レイ、君に三つの条件を出そう。返答次第では即彼女を解放する」
その声音に、迷いはなかった。
最初から、この流れを用意していたかのように。
「なんだ」
レイもまた、一切揺れない。
「一つ、常祈戸村の破壊」
「はぁ?村を破壊しろって!?」
カイが思わず声を上げる。
当然だ。
あまりにも、現実離れした条件。
だが――
長官は、まるで気にしていなかった。
「君達が村に出向いたのは報告を受けている。聞いたんだろう?
我々と村との関係を。君達が村側では無いと証明して欲しい。」
淡々とした口調。
だが、その内容は重い。
試している。
レイを。
そして、私達全員が――
どこまで捨てられるかを。
長官は続ける。
「二つ目は、君には総監を降りてもらう。村を破壊したら、そのままそこに身を置くこと、必要な物品の購入以外は、出ることを許さない。」
「そんなっ…………」
思わず、声が漏れた。
それはもう、処分。
隔離と、何も変わらない。
「そして三つ目は、レイ、君は彼女との接近を一切禁じる。」
空気が、止まった。
一番、来てほしくなかった言葉。
「なぜだ」
レイの声は、低い。
押し殺したままの、感情が滲んでいた。
「君達は、距離が近すぎる。これまで君達の問題にどれだけ我々が振り回されて来たか。これは私を含めた幹部陣ほぼ全員の意見だ」
正論。
だからこそ、反論が難しい。
「ちょっと酷すぎないか?」
カイが食い下がる。
だが――
「そうかな?」
長官は、僅かに口元を緩めた。
その表情に、嫌な予感が走る。
「もし、どうしてもと言うなら………。レイとハレ。
2人で首輪を付けていた頃に、戻ると言うことはどうかな?」
その一言で、空気が凍り付いた。
――最低だ。
過去を、抉る。
それを、選択肢として提示する。
レイは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
それでも、
「………分かった。条件を飲む」
レイは、答えた。
迷いなく。
まるで、最初から決めていたかのように。
「レイっ!!」
「お前っ!正気か!?」
カイと声が重なる。
だが、レイは振り返らない。
「だから即、ハレを解放しろ」
その視線は、長官だけを見ていた。
「分かったよ。今晩くらいは、許してあげようか」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
軽く言う。
まるで、施しのように。
その言葉に――
戻れない場所まで来たと、理解した。




