紫月花の非情――49
確かに俺は、期待はしていた。
だが、それはすぐに裏切られた。
「円までっ………」
「後はお前だけだな」
頭は回るのに行動に移せない。
動かなければ始まらないのに、動こうとしない。
「……こんなの、許されてたまるかよ……っ!!」
男は何度も木刀を振るう。
——遅い。
「さっさと諦めろ。時間の無駄だ」
「はぁ?」
振りは大きい。 踏み込みも浅い。
力任せで、精度がない。
「——諦める訳にいかねえんだよォッ!!」
速度が上がる。
だが、変わらない。
形にならない覚悟。
精度の低い動き。
生かしても使えない。
それでは、意味がない。
「つまらない」
「は?」
「これ以上は、時間の無駄だ」
俺はナイフを突き立てた。
狂いは無い。
手応えは軽く、抵抗も殆どない。
「待てっ、よ……!」
男は崩れる。
「お前、俺たちのこと、なんだと思ってんだよっ」
答える意味もない。
弱者に興味はない。
***
「レイ〜!お疲れ様〜!!」
ハレが俺の元へ走ってくる。
足音は軽い。 呼吸も乱れていない。
「ハレもお疲れ」
俺はハレの頭を撫でた。
任務は完了した。 想定時間内、なにも問題はない。
「……はい、任務完了っ!15分切ったね!」
リオがスマホの時計を見ながら所要時間を伝えた。
俺はスマホを開き、 回収班へ簡潔な指示を送ると、すぐに返答がくる。
「なんか食べに行こーよ。俺、腹減ったー」
カイは軽く背を伸ばしながら言う。
「あ、私、焼肉食べたい!」
「俺も食べたいわー」
「えー? 私、しょっぱいのもう良いんだけど」
ハレは機嫌がいい。 声のトーンも一定だ。
カイはいつも通り。 警戒も緩んでいる。
リオも、特に変化はない。 視線の動きに乱れはない。
「リオはポテチ全部食べたから文句は受け付けませーん!レイもお肉食べたいよね?」
俺は短く頷いた。
今日は、食べてもいい。
地面に残されたものに、 視線を向けることはない。
そこにあるのは、 既に処理の終わった結果。
「ハレ、そのネックレス血ついてんじゃん!早く拭いたほういいんじゃね?錆びるかもよ?」
カイがハンカチを差し出す。
ハレは受け取らない。
「んー、もういいやっ!よく見ると可愛くないし?」
指に掛けられたそれが、 あっさりと引きちぎられ、捨てられる。
音だけが残る。
「俺が新しいものを用意するよ」
ハレは目を輝かせて、俺を見上げる。
その姿が堪らなく愛おしい。
「えっ!?ほんと!?レイありがとー」
邪魔者は消した。
やっと、息が出来る。
その時だった。
「ねぇ、レイ………」
ハレは自分の袖を見て、ぼそっと呟く。
「どうした?」
「血ついてる……お店入れるかな?」
視線を落とす。
付着量は少ない。 問題にはならない。
「先に、風呂に入ってから食べに行くか?」
「うん。でも……クレープも食べたいの」
「クレープ?」
「うん。クレープ」
俺の中で、優先順位は決まった。
「……じゃあ、クレープ買ってマンション戻って支度、それから焼肉行く」
「うん!」
「お、クレープか!ラッキー!私ベリーで!」
リオが軽く手を上げる。
「俺、早く肉食いてぇー」
カイが欠伸混じりに言った。
「私はイチゴレアチーズにする!」
ハレはぱっと顔を上げて笑う。
「は?お前絶対甘すぎて途中で飽きるだろ!肉行こうぜー?」
「飽きないもん!クレープが先なの!」
ハレとカイの言い合いが始まる。
「レイはシュガーバターでしょ?」
ハレが当然のように言う。
一瞬だけ考える。
甘さは控えめ。 後に残らない。
合理的だ。
「……ああ、それでいい」
「ほらやっぱり〜!」
ハレは満足そうに笑った。
そのまま、歩き出す。
足取りは軽い。
誰も振り返らない。
——正常だ。
***
室内の甘い匂いは、もう残っていなかった。
代わりに、湯気と石鹸の匂いが室内に広がっている。
風呂を上がったハレは、 髪を軽く梳きながらリビングに戻ってきた。
「はぁー……さっぱりした」
ソファに腰を下ろし、 そのまま背もたれに体を預ける。
髪が、背中とソファの間に挟まれて煩わしそうにしている。
「レイー」
呼ばれる。
「どうした」
「なんか、結ぶの、ある?」
今朝、買っておいたものを思い出す。
上着のポケットに手を入れ、 小さな紙袋を取り出した。
「これでいいか」
中身を取り出して、ハレに差し出す。
「え、なに……猫?」
ハレの目が、少しだけ大きくなる。
「可愛い……!くれるのっ!?」
声が弾む。
「あぁ」
「ありがとう、レイー」
受け取る動きも軽い。
そのまま、 慣れない手つきで髪をまとめ始めた。
だが、うまくいかない。
左右のバランスも崩れ、 結び目も緩い。
「……できた!どう? 似合う?」
満足げにこちらを見る。
……歪だ。
だが、
「似合ってる」
そう言うと、ハレは嬉しそうに笑った。
指先で結び目を触りながら、 何度も確かめる。
「えへへ……」
その仕草が、やけに目についた。
整えることもできる。
だが、それはしない。
今のままでいい。
——そのままがいい。
ソファに座るハレの隣に腰を下ろす。
距離は近い。
自然と肩が触れるが、何も言わない。
問題はない。
ハレはそのまま、 体重を預けてきた。
軽い。
呼吸も穏やかだった。
「ねぇ、レイ」
「なんだ」
「焼肉、いっぱい食べていい?」
「好きにしろ」
「やった」
小さく笑う。
その声が、 やけに静かに響いた。
――それで、十分だった。




