紫月花の非情――46
「ねぇレイ」
街なかを歩いてると、ハレがレイに問いかけた。
まるで、欲しいものを強請るような声。
レイは少し笑ってハレを見下ろす。
「なんだ?」
「どれくらい刺したらいいの?」
――は?
思わず、足が止まりかけた。
空気が、甘い。
声も、いつも通り。
なのに、会話の中身だけが完全に狂ってる。
「5センチだな」
「5センチ?これぐらい?」
ハレが指で長さを測る。
「ああ。心臓に到達すれば、感覚で分かる」
「私にも?」
「ああ」
……いやいやいや。
こいつら、こんな空気でその話すんの?
マジで頭おかしいだろ。
でも俺も、こんな飄々としてる場合じゃない。
今日の仕事は——
結構、重い。
***
昨日の夜。
共同リビングで、最終打ち合わせがあった。
テーブルの上には、簡単な配置図。
誰がどこに入り、誰を潰すか。
無駄のない、ただそれだけの確認。
「お前は桃崎円をやれ」
レイは迷いなく言った。
「俺?」
思わず笑う。
「女には女当てたほうがいいんじゃねぇの?ハレとかさぁ〜」
軽口のつもりだった。
だが、レイは一切笑わない。
「必要ない」
一言で切り捨てられる。
「お前が適任だ」
その視線に、冗談は一切含まれていなかった。
「なぜ?」
テーブルに片肘着いて問い掛けると、レイは眼鏡を押し上げた。
「地獄門を引き出させろ」
地獄門。
祈扉術の三種の扉のうちの一つ。
生成と同時に死を確定させる術。
名前だけは知ってる。
「は?」
思わず間抜けな声が漏れる。
いや、意味は分かる。
分かるけど――
その使い方が、狂ってる。
「確かに、カイが適任かもねぇ〜」
リオがオレンジジュースを飲みながら割って入ってくる。
「お前ら俺に死ねって言ってんのっ!? 酷くねッ!?」
レイは腕を組んで言い放った。
「違う。門の生成を始めたら気を引け」
「マジで言ってんの?生成したら勝ちの術だろ?」
「気を一瞬でも逸らせば勝ちだ。」
「意味わかんねぇ………」
俺は頭を抱えた。
そんな俺の背中をリオが叩く。
「安心しなって、説明しよーう!」
ジュースを煽って言ったリオ。
完成に酔っ払いのノリ。
「地獄門は祈扉術の中でも生成が一番難しいの。扉開いたら確実に殺れるからね、体現出来る人間がまず稀」
くるくるとストローを回しながら、リオが言った。
「――何が安心出来るんだよっ!!」
「でも条件がある」
「………条件?」
聞き返せば、リオがニヤッと笑う。
「地獄門は代償が必要なの。扉の生成と引き換えに霊核を使う。つまり、術者は自分の核を使って扉を開く」
「じゃぁ、一回しか使えないってことか?」
「いや、生成して違う核を引きずり込めば自分の核は取られずに済む、だから、引きずり込む前に扉を壊しちゃえば術者は死ぬってだけ」
「成程。」
「地獄門の生成には、かなり複雑だから気が逸れれば簡単に崩れる」
――つまり。
開かせた時点で、半分終わりってことか。
「……おい、それ」
思わず顔を上げる。
「引きずり込む前に壊せば、確実に殺せるってことじゃねぇか」
「あくまで門を開かせないのではなく、崩させる事が重要だ」
レイは淡々とそう言った。
まるで、それが最も効率のいい殺し方だと言うように。
「じゃあ、お前は?」
軽く顎で示す。
レイは一瞬だけ視線を向けた。
「竹中集は俺がやる」
「は?武道祭じゃなくて?あの弱そうな奴?」
「思考の回し方が近い。放置すると面倒になりそうだからな」
***
次の角を曲がった瞬間だった。
空気が、変わった。
「……っ」
音が、消える。
足音も、風も、全部。
悟ったか?
だが、レイは動じること無く歩き続ける。
前を歩くレイの背中だけが、やけに鮮明に見えた。
レイの声が静かに落ちる。
「一旦ここで、離れる」
「は?」
「ハレとカイは現場に先回りしろ。俺が引きずり込む」
俺は思わず隣を見る。
こういう時のハレは、たまに面倒くさがる。
レイの傍を離れたがらない時だってある。
でも——
「うん、わかった」
拍子抜けするくらい素直だった。
ハレはレイを見上げて、小さく笑う。
「じゃあ、あとでね」
それだけ言って、躊躇いなく踵を返す。
引き止めもしない。 甘えもしない。 わがままひとつ言わない。
……ああ、そういうとこなんだよな。
ハレが一番ちゃんとしてるのは、 結局、レイの前だけだ。
「……ほんと、お前らさぁ」
思わず呟くと、レイがちらりとこっちを見た。
「何か言ったか?」
「別に」
軽く肩を竦めて、俺も歩き出す。
背中越しでも分かる。
ハレはもう、振り返らない。
レイがそうしろと言ったなら、 あいつはちゃんと従う。
どれだけ傍に居たくても。 どれだけ今、機嫌が良くても。
「レイ相手だとほんと聞き分けいいよな」
聞こえないぐらいの声量で俺は呟いた。
***
レイと別れて、しばらく歩き現場に到着した俺達。
ハレは軽い足取りで、まるで散歩みたいに歩いてた。
「ねぇカイ」
指定位置に着くと、振り返りもせずにハレは言う。
「さっきの5センチ」
「まだ言ってんのかよ」
「ちゃんと出来るかなって思って」
声は軽い。
ほんとに軽い。
でも——
「まぁ、お前なら出来んじゃね?」
そう返すと、ハレは小さく笑った。
「そうだね。」
その一言で、空気が変わる。
さっきまでと同じはずなのに、
何かが揃った感じ。
その声には、もう遊びの気配はなかった。
視線の先には、レイ。
廃ビルが立ち並んだ場所。
無理矢理作られた更地の中央にレイは一人立っていた。
予定通り。
あとは三人組がちゃんと着いてくるか。
「……来たよ」
ハレが呟いた。
距離、位置、動き。
全部、想定通り。
レイが、軽く眼鏡を押し上げる。
――来たか。
その合図を見た瞬間、
身体が勝手に動いてた。
「行くぞ」
言うまでもない。
ハレも、もう走り出してる。
風を裂くように、一気に間合いを詰める。
その瞬間、
空の色が、ほんの少しだけ濁って見えた。




