紫月花の非情――45
朝の街は、拍子抜けするくらい穏やかだった。
俺はビルの上からスコープを覗いていた。
視界の先。
レイはカフェの窓際で、スマホ片手にコーヒーを飲んでいる。
いつもなら入らない店だ。
あいつは基本、信用した店のものしか口にしない。
つまり、囮になるつもりでそこにいる。
レイが囮をすると決めた時点で、狩れるかどうかは半々だった。
だから俺たちは、より確実に狩るための準備をした。
3人組の行動パターンは頭に入ってる。
研究所を封鎖してから数週間。
奴らは2日置きにネットカフェを移動してる。
ご丁寧にエリアごとに分けて順番に、
都心から郊外へ、また都心に戻って郊外へときっちり順番に。
今日は郊外から都心に戻ってくる日。
前日に依頼を受けて、朝の人込みに紛れて移動。
飯食って、次のネットカフェに移動することも計算済み。
まぁ、このエリアに来るかどうかは運次第。
だけど、レイがこのエリアを指定したってことは――
そういうことだ。
レイが外すわけない。
まぁ外れたら外れたで面白いけどな。
レイを視界に入れつつ、周辺で3人組の姿を探していると
ポケットのスマホが震えた。
「はいはい、そっちはどう?」
『終わった〜、マジで最悪だった』
「へぇ〜」
レイの変わりに幹部会議に出たリオ。
声色でどんだけ酷い状態だったか想像がつく。
『ハレがずっと検査に行ってないから研究部門も煩くてね』
「成程」
『まぁ、そろそろ現場向かうわ。用意できたらハレ向かわせるから』
「了解」
通話が切れると同時に、レイがカフェから動き出す。
スコープ越しのレイの背後を、桜の花びらが一枚ゆっくりと横切っていった。
あとは、食いつくのを待つだけだ。
***
スコープを畳み、ビルの階段を一気に降りた。
地上に降りた瞬間、音が一気に増えた。
足音、車の走行音、誰かの笑い声。
全部、どうでもいい。
視線は一つ。
レイを追う。
距離を詰めすぎない。
離れすぎない。
いつでも動ける位置を保ちながら歩く。
その時だった。
ふ、と違和感が引っかかった。
「……」
視線を流す。
人混みの中に、わずかに浮く動き。
歩幅。
視線の置き方。
呼吸のリズム。
——来たな。
口元が、わずかに緩む。
まだこちらには気づいていない。
いや、気づいていてもおかしくない距離だ。
それでも、構わない。
「ちゃんと食いつくじゃん」
小さく呟いて、視線を前に戻す。
レイは、変わらず歩いている。
まるで、全部分かってるみたいに。
***
予定通り、って言うには出来すぎていた。
「やっほー!」
「来たか」
レイが歩くルートも、
あいつらが食いつくタイミングも、
こうして俺が合流する位置も。
全部、最初から決まってる。
――ほんと、性格悪ぃ。
そう思いながら、隣に並んでそのまま肩に腕を回す。
「……離せ」
即座に振り払われる。
「冷たくね?」
「必要ない接触だ」
「はいはい」
軽く笑って、少し距離を取る。
それでも、歩幅は揃えたまま。
「後ろ、三人。いい感じに警戒してる」
「想定内だ」
「振り返らなくていいの?」
「必要ない」
「……全部分かってるってか?」
「当然だ」
間を置かずに返ってくるその声に、思わず笑いが漏れた。
「ははっ、相変わらず怖えわ」
「準備は?」
「リオが向かってる感じ、まぁ2時間もすれば整うっしょ」
リオは立入禁止区域の最終確認。
使用許可取ったり、いたずらで侵入したりする一般人の誘導。
ハレはリオの手伝い兼連絡役。
現場の準備が整った時点で、こっちに来る手筈だ。
「そうか」
まぁ、なんでこんな面倒なやり方してるかって言うと
彼奴等を完全にへし折るための作戦。
要するにレイの趣味って感じ?
***
レイがふと足を止めた。
視線の先、雑貨屋のショーウィンドウ。
春物の小物が並んでる、どこにでもある店だ。
「……見るの?」
「少しだけだ」
そう言って、レイは何事もない顔で店の中に入った。
後を着いて店に入れば、レイは店の中を見て回るフリをしている。
俺も適当に棚を流し見ながら、店の奥へ足を進めた。
ふと、並べられた鏡を手にとる。
「……」
髪を軽くかき上げながら、角度を調整する。
——映ってる。
店の外。
ガラス越し、人混みに紛れた三つの影。
距離、視線、動き方。
「……ちゃんと来てんじゃん」
小さく呟いて、口元だけで笑った。
まぁ、気づかれてないと思ってんのは、そっちだけだろうけど。
鏡を置いてレイの所に向かうと、レイは棚の前に立っていた。
並んでいるのは、女物のヘアアクセサリー。
その中から、レイが手に取ったのは、小さなヘアゴムだった。
黒いゴムに、猫の飾り。
シンプルだけど、どこか目を引くデザイン。
「……それ?買うの?」
「ああ」
思わず声が出る。
「お前がこの店でプレゼントとか、マジ?」
茶化すように言うと、レイは視線を外さないまま答えた。
「……好きそうだからな」
一瞬だけ間を置いて、レイはつけ足す。
「面倒も、見てもらった」
それだけ。
迷いなく、それを持ってレジに向かう。
「……へぇ」
小さく笑って、後ろ姿を眺める。
――ちゃんと成長してんじゃん。
レジで会計を済ませたレイは、小さく笑った。
自然と、まるでハレが近くにいる時みたいに。
その時だった。
ふわり、と軽い気配が近づいた。
「レイ〜!」
ぱっと花が咲いたような、明るい声。
さっきまでの空気を、簡単に塗り替えるように。
ハレはレイの腕に、迷いなく身体を預ける。
「……来たか」
「うんっ!」
無邪気な笑顔。
レイは優しくハレの髪を撫でた。
「レイ、準備出来たよ?」
変わらない声。
明るくて、軽くて、いつも通り。
けど、その言葉の意味だけが、少し違っていた。
「ああ」
レイは短く答えた。
俺達は店を出て歩き出した。
あえて回り道をして、
ゆっくりと、悟らせない為に。
視界の端で桜の花びらが舞ってる。
この街は、どこまでも穏やかなまま。
それが、余計に都合がいい。
――確実に狩る為には。




