紫月花の非情――44
いつもと変わらない、共同リビング。
いつもと変わらないメンツ。
いつも通りの空気。
――それなのに。
「ブフォッ――」
「……なんだ」
「いや、お前、松葉杖、似合わな過ぎだろ……」
「笑うな」
レイは眉一つ動かさず言うが、
主張の強いギプスのせいで、まるで説得力がない。
「だってお前さ、いつも“効率がどうの”って言ってんのに、今めちゃくちゃ不便そうじゃん」
「必要な不便だ」
「その言い方カッコつけてるけど、ただ転んだだけだろ」
「カイ」
横からリオが制止する。
「本人が気にしてる可能性」
「いや、全然気にしてねぇだろこの顔」
レイは無言で松葉杖を床に軽く突いた。
「仕事は回ってるか」
「話逸らすな」
「回ってるか」
圧。
俺は肩をすくめる。
「……まぁ、なんとか」
その横で、ハレがそっとレイの腕を引いた。
「レイ、今日は座って」
「立っていられる」
「でも痛いでしょ?」
「痛くない」
「嘘。顔、ピクピクしてる」
即答。
レイが黙る。ほんの一瞬だけ、視線が泳ぐ。
「……座る」
素直に椅子へ腰を下ろした。
「ブッ――」
思わず吹き出す。
レイがハレに言い返されてる。
しかも完全に押し負けてる。
「カイも笑わないのっ!」
「すまん、すまん」
いつもより低い、守る側の声。
完全に“レイ保護モード”だ。
それでも笑いは止まらない。
ギロッとハレの視線が飛ぶ。
「カイ〜?」
「マジでごめんって」
***
それから、ハレの“レイお世話生活”が始まった。
一週目。
カツン、コツン――
リビングに響く松葉杖の音。
無駄に良い床材のせいで、やたらとよく響く。
ハレは常にレイの隣をキープし、ぴったり離れない。
レイが動けば、
「どこ行くの?」
「何欲しいの?」
と矢継ぎ早。
手は使えるはずなのに、飯を食べさせようとする始末だ。
さすがのレイも戸惑っていた。
そんな二人を見ながら、俺とリオは笑っていた。
――平和だな、と。
***
二週目。
松葉杖姿のレイにも慣れ、笑うことはなくなった。
カツン、コツンという音も、すっかり日常の一部になった。
相変わらずハレは世話を焼くが、
最初の頃より少し落ち着いている。
先回りして、自然に支える。
「ゆっくりね」
「……あぁ」
レイが立ち上がると、何も言わず、そっと腕を添える。
「レイ、はい。これいるでしょ?」
ペンが、紙が、タイミングよく差し出される。
「……あり、がと」
ぎこちない礼。
それでも、確かに口にした。
「コーヒー淹れたよー。みんなで飲も?」
ハレが淹れたコーヒーを差し出すと、レイは自然に受け取り、
「ありがとう、ハレ」と、笑った。
その笑顔に、ハレは本当に嬉しそうに笑い返す。
――ああ。
こいつら、めちゃくちゃいい感じになったな。
そう思いながら、俺もコーヒーを口に含んだ。
「――ブフォッ」
が、盛大に吹き出した。
「カイ? どうしたの?」
キョトンとした顔で覗き込むハレ。
「どうしたのじゃねぇっ!これショットか!?めちゃくちゃ苦えよ!」
「え、そう?普通に淹れたよ?」
慌ててキッチンを確認する。
挽いた豆の袋にスプーンが突っ込まれてる。
フィルターを使った形跡が無い………。
しかも、やたらと良い豆だ。
「おいハレ!これは豆ごと入れねぇやつだよ!」
「えっ!?そうなの!?」
「フィルター使うんだよ!フィルター!!」
その横で、レイは何食わぬ顔でコーヒーを飲み続けている。
「レイ、ごめんね?失敗しちゃったみたい」
「いや、美味い」
「ほんと?」
「……本当だ」
「なら良かった!」
いやいやいやいや。
絶対無理してるだろ。
豆の舌触り気にしながら飲んでるの、バレてるからな?
***
三週目。
相変わらずハレの過保護モードは継続中。
でも――レイは、少しだけ違った。
「自分で出来る」
いつもより強い声が、リビングに落ちる。
自由の利かない生活が続けば、
そりゃあ多少は苛立ちも溜まる。
まぁ、今まで衝突らしい衝突もなかった二人だ。
悪い兆候じゃない――そう思った。
……ただ、今じゃないだろ。
ハレの手が止まる。
「ごめん……」
小さく、謝る。
なんでお前が謝るんだよ。
その瞬間――
スコンッ。
乾いた音が響いた。
「っ……!」
リオの手が、レイの頭を軽く叩いていた。
「レイ。今のはあんたが悪いよ」
静かな声。
「ハレはあんたのために動いてる。自分の苛立ちを人にぶつけないの」
レイが黙る。
スコンッ。
「ほら。早く謝る」
「……ごめん、ハレ」
ボソッと落ちる声。
それに重ねるように、ハレが慌てる。
「ううん、私の方こそごめんね?」
「いや……」
レイが言い淀む。
だが、リオの手は容赦がない。
スコンッ。
「なっ……!?」
「女に謝らせるな」
一瞬、静寂。
俺はそっと立ち上がる。
これ以上いると巻き込まれそうだ。
――女って、怖ぇ。
***
四週目。
今日はレイのギプスが外れる日。
松葉杖の音はもう聞こえない。
――チン。
エレベーターの到着音と共に扉が開き、レイとハレが降りてくる。
レイの足はギプスが外れていて、
ちょっと歩き方はぎこちないが元通り。
俺は一つ息を吐いた。
やっと、終わった。
この日をどれだけ待っていたか。
この一ヶ月の間。
レイの変わりに、外を回ったり、現場での指揮を取ったり。
庁内での仕事も出来るだけ俺とリオは手伝ったことで、普段のレイがどれだけの仕事を熟して、どれだけの責任を負ってるのか。
いろんなものを見てきてわかったのは――
レイだから出来る、では無く。
レイがやるしか無かったってこと。
現場対策部門の正規隊員の2割が本庁に配属されてるのに、
レイたった一人が抜けただけで、現場は機能しなかった。
レイの仕事に首突っ込んだら悪いって空気があったのも事実だが、
たった一人に任せて置くのは組織としてはおかしい。
だから、俺とリオはこれからも少しずつレイの仕事を請負って、
その役割を他の隊員に落としていくつもり。
ふと、ハレを見ると
ハレは複雑な表情でレイを見ていた。
レイの足が治ったのは嬉しけど、
離れるのは嫌だって言うような顔。
「私、レイの松葉杖になりたい」
ボソッっとハレが呟いた。
思わず声が漏れる。
「は?」
レイは少し誇らしげにハレの頭を撫でる。
「また、スケート行くか?」
「うん!行きたいっ!!」
ハレが笑う。 レイが歩く。
松葉杖は、もう壁に立てかけられたままだ。
――でも。
この一ヶ月で、支える場所は少しだけ変わった。
でも、俺は構わず叫ぶ。
「いやいやいやいや、ちょっと待て!!
スケートは禁止!!安全なデートにしてくれッ!!」
もう、あんな地獄みたいな忙しさは御免だ。
***
数日後。
特務対策タワー50階の共同リビング。
時刻は夜八時。
レイに話があると呼ばれた俺。
リビングに向かえば、既にレイは待っていて。
ハレとリオもソファに座って話してた。
「わり、ちょっと遅くなった」
俺がそう声を掛ければ、レイは短く返す。
「問題ない」
いつも通りの返事。
いつもと変わらないメンツ。
それなのに、部屋の空気だけはいつもと違う。
対面のソファに腰を下ろすと、レイは口を開いた。
「これから、例の3人組の処理の作戦を説明する」
迷いの無い声が響く。
レイの隣で、ハレは真っ直ぐレイを見ている。
一ヶ月前の何もかもレイに任せっきりのハレじゃない。
俺は軽く息を吐いて、ソファに体を預ける。
勝てるかどうかなんて、問題じゃない。
――終わらせる。
ただ、それだけだ。




