紫月花の非情――39
「おかしい………」
最近、ここ二週間くらい。
ハレはいつも通り。
でも、レイとカイは明らかにおかしい。
いや、正確に言うと——
いつもと違うおかしさだった。
レイは元々静かだし、カイは元々適当。
だから少しの違和感なら、大体は見逃せる。
でもこれは、そういうレベルじゃない。
まず、二人が一緒にいる時間が増えた。
しかも、ハレがいない時間に限って。
共有リビングじゃない。
自室でもない。
わざわざ訓練室とか、使われてない会議室とか――
人目につかない場所を選んでるみたいだった。
それだけならまだいい。
問題は——
二人とも、無駄口を叩かなくなったこと。
カイは、レイ相手でも軽口を言う。
それがあいつの距離感だ。
でも最近は違う。
必要なことだけを、短く。
冗談も、茶化しも、ない。
そしてレイ。
あの人は元から感情を出さないけど、最近は隠すことすらやめてる。
顔色も、態度も、全部同じ。
一定で、無音を貫く。
まるで——もう決めてしまった人みたいだった。
決定打になったのは、スパーだった。
普段、二人は滅多に手合わせをしない。
必要がないし、意味もないから。
なのに。
ある日、訓練室から音がした。
金属音と、衝撃音。
覗いた時、私は一瞬、目を疑った。
レイとカイが、本気でやってた。
調整でも、確認でもない。
互いの動きを、限界まで削り合うやつ。
息が上がって、汗をかいて、それでも止まらない。
あ、これ。
その瞬間、全部つながった。
準備だ。
覚悟を、身体に叩き込んでる。
ハレの話題は、一切出ない。
でも逆に、それが答えだった。
二人とも、ハレが見ないようにしてる。
絶対に触れさせないようにしてる。
——これ、絶対ハレ関係だ。
私はその確信を、飲み込んだ。
踏み込めば、何かが壊れる。
でも踏み込まなければ、もっと致命的な何かが壊れる。
……分かってしまった以上、見なかったふりは出来ない。
私は、深く息を吸った。
大丈夫。
まだ、間に合う。
そう思った時点で、もう——
私は、覚悟を決めていた。
***
夜は、音が少ない。
だから余計なものが、よく聞こえる。
冷蔵庫のモーター音。
エアコンの風の音。
そして、寝室の向こうから――
音なんて、聞こえるわけがない。
それでも分かる。
レイが、今この場にいられる理由が、
寝室の向こうにあるってことぐらいは。
それを確認するみたいに、
レイは無意識に、視線を一度だけ寝室のドアに向けた。
リビングの灯りは僅かに落としてあった。
間接照明が、床に淡い影を落としている。
ソファに腰掛けたレイと、向かいに座る俺。
距離は近いのに、声は自然と低くなる。
「……確認は取れた?」
俺が口を開くと、レイは短く頷いた。
「三人組が、あの場所に侵入したのは事実だ。監視ログも残ってる」
「……だろうな」
それだけで済ませる声。
驚きも、怒りもない。
最初から、分かってた人間の反応だった。
「でもさ」
俺は、グラスを指先で軽く回した。
氷が、かすかに鳴る。
「おかしいよな」
レイの視線が、こちらに向く。
「三人組は、場所を知ってた。迷いも、探る様子もなかった」
一拍置いて、続ける。
「でも、あそこは—―幹部しか知らない場所だろ」
言葉が、静かに落ちる。
「存在そのものが機密。お前達が、そこに居た事実も」
レイは答えない。
否定もしない。
沈黙が、肯定だった。
「……つまりさ」
俺は、ゆっくり結論に辿り着く。
「三人組は“実行役”で、情報を流したのは、別」
氷が溶ける音が、やけに大きく聞こえた。
「庁の中だ。しかも——幹部の誰か」
レイの指が、膝の上で僅かに動いた。
怒りじゃない、焦りでもない。
——確認。
「……誰が流したか、分かるか?」
低い声。
「いや」
俺は首を振った。
「でも、分からないって事は、逆に言えば——」
言葉を選ぶ。
「全員、候補だ」
その瞬間、空気が一段、冷えた。
「俺を恨んでる奴もいる。怖がってる奴もいる。
過去を掘り返されたくない奴も、排除したい奴も……全員だ」
レイは、視線を落としたまま続けた。
「だから、犯人探しはしない」
「……だろうな」
「切り分ける意味もない」
静かで、冷たい声。
「庁は守らない。信頼もしない。
使えるものだけ使って、あとは切る」
——ああ、やっぱり。
「ハレを守るのに、組織は要らない」
その一言で、全部腑に落ちた。
無意識に、俺は寝室の方を見る。
壁一枚、その向こうで、
何も知らずに眠ってる存在。
「……聞かせられない話だな」
俺がそう言うと、
レイは一瞬だけ目を閉じた。
「一人には出来ない」
短い言葉。
でも、重すぎる理由。
秘密より、安全より、距離を取る事の方が――
レイにとっては致命的なんだ。
「……ほんと、重いわ」
小さく呟くと、レイは僅かに口角を上げた。
「今さらだ」
レイは、もう一度だけ、ドアを見る。
「……もう戻れないな」
それは、確認じゃない。
覚悟だった。
俺は、グラスを置いた。
「ならさ」
レイを見る。
「俺は最後まで、付き合うよ」
レイは、何も言わなかった。
夜は、まだ深い。
そして——
動き出すには、ちょうど良かった。
その時だった。
ノックの音は、なかった。
代わりに、リビングのドアが静かに開く。
「……やっぱり、起きてた」
気の抜けた声。 けど、その声色は、いつもの軽さとは少し違った。
振り返ると、リオが立っていた。
部屋着のまま、髪もまとめてない。
明らかに、偶然じゃない。
「ハレは?」
俺より先に、リオがそう聞いた。
レイは答えなかった。 視線を、寝室のドアから外さない。
それだけで、リオは察したみたいだった。
「……そっか。寝てるなら、良かった」
そう言って、リオはゆっくりとリビングに入ってくる。
距離を測るみたいに、俺達から少し離れた場所で止まった。
「最近さ」
何気ない声。 でも、続く言葉を選んでるのが、はっきり分かる。
「あんた達なにしてんの?」
一瞬。 空気が、ぴんと張る。
「二人でスパーなんて、珍しすぎるよね?」
俺は黙ったまま。 レイも、否定しない。
リオは小さく笑った。
「……バレないと思ってた?」
その笑顔は、優しいのに、逃がさない。
「二週間だよ。二週間ずっと、様子がおかしい。
ハレの前では完璧で、いない所でだけ動いてる」
一歩、近づく。
視線が、まっすぐレイに向いた。
リオの言葉が、静かに落ちる。
「それ、ハレを守ってるんじゃなくて、騙してるって事だよ?」
一瞬。
レイの指が、わずかに強く組まれた。
頷きはしない。
否定もしない。
「……関係ない」
低く、切るような声。
でも、リオは一歩も引かない。
「あるよ」
即答。
「だって、それで壊れるの、あんただから、
あんたが壊れたら、ハレだって壊れるよ」
沈黙。
レイは、寝室のドアを見る。
そこから視線を外さない。
まるで、答えを出したら、何かが壊れると分かってるみたいに。
「踏み込まないって決めてた」
リオは続ける。
「でもね。これ以上“二人だけで決めてる顔”されたら、
見ないふりの方が、私は無責任だと思った」
レイは、ようやく視線を戻した。
「……余計なことをするな」
それは拒絶じゃない。
警告だ。
「ハレは関係ない」
リオは、小さく息を吐く。
「それ、違うよ」
静かに。
「ハレが関係ないなら、あんたは、こんな顔しない」
レイは答えない。
その沈黙をリオは、少しだけ笑う。
「……そっか」
納得したみたいに。
「もう、戻れない所まで来てるんだ」
視線が、俺に移る。
「で、カイ」
「なに」
「アンタもでしょ」
核心。
「二人で決めて、二人で抱えて、ハレだけ外に置いてる」
一歩、踏み込む。
空気が、張り詰める。
レイは、初めて短く言った。
「……帰れ」
でも。
立ち上がらない。
扉も指さない。
「無理、それに私、知ってるんだから。」
リオは、はっきりと言った。
「あんた達がなにをしようとしてるか、武道祭達の事も――
ハレが――紫月花だってことも……」




