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hana,s__失われた少女と選び続ける少年の物語――  作者: ぼぅちゃん
第二章 紫月花の非情

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紫月花の非情――38



暗く無機質な研究施設の一室。

壁は冷たく白いタイル張り。

無機的な機械音が響く部屋だった。



俺は、気がついたらここの部屋にいた。

何も分からない。


でも唯一分かるのは――

記憶が無いと言う事だ。


何も分からないのになぜ記憶が無いのが分かるのか。

不思議で仕方ないが分かるんだ。

経験も、知識も、何一つないはずなのに――頭は動く。

目に入った情報は分類され、関連づけられ、

仮説と結論に整えられていく。

感情のフィルターは薄く、判断に迷いはない。

まるで、思考だけが先に完成されていたかのように。



俺が気がついてから数日。

俺の居た室内に1人の少女がやってきた。

研究者に引っ張られながら入ってきた少女は、

俺と同じ格好をして、

首には俺と同じタグの付いた首輪をしていた。


研究者達は俺の事を0番(ゼロ番)と呼ぶ。

恐らく研究者達の中での管理番号――

つまり俺の名前だ。



部屋に押し入れられた子は、入り口のすぐ側に蹲り泣いていた。

俺は立ち上がってその子に近づいた。

別に何とも思って無かった。

ただ、俺と同じ研究対象なんだと言う事と、

これから同じ部屋で過ごす事になるかもしれない事、

ずっとその、泣き声を聞くのは嫌だった。


「君、大丈夫?」


彼女の肩に手を触れると、ビクッと動いて手を引っ込める。

少し迷うように、彼女は首を横に振った。

その動きさえ、おそるおそるという感じだった。


「わからないの……なにも、分からないの」



震える声。

濡れたままの髪。

瞳の奥に宿るのは、深い喪失と、不安。

俺と同じで記憶がない子で、

きっと彼女は記憶が無い事すら分かってない。

そんな感じだった。


「貴方は……誰?」


そう問い掛けてくる彼女に、返答に困らせられた。

俺は自分の名前が分からない。

他のことなら答えられるのに、名前だけはどうしても分からない。


「……俺の名前は、これだ」


俺は首元に手をやり、小さなプレートを示す。

そこには、ただ――「0」とだけ刻まれていた。


少女は、少し首をかしげて、それを見つめた。


「……レイ?」


一瞬、心に何かが触れた気がした。


「0」――何も持たない、空っぽの番号。


だけど彼女の口から紡がれたそれは、

何もない「0」じゃなく、「レイ」という“誰か”だった。

初めて、自分が“誰か”になれた気がした。


「………そうだな。俺はレイだ」


「レイくん?」


「そう」


「はじめまして?」


「うん。はじめまして、だよ」


「そっか、ごめんねレイ君。私、自分の名前も分からなくて……挨拶もまともに出来ない。嫌な思い、させちゃってごめんね」


そう言って、彼女は笑顔を作った。

その笑顔に、俺は胸を打たれた。


何も分からず、すべてを失ったはずなのに、

他人の俺に、気を遣うような言葉をかけてきた。


損得では無い、おそらく善悪でも無い。


きっと彼女自身の何か――


こんなに綺麗なもの持った子がいるなんて、

凄く衝撃を受けた。


俺は、そっと彼女の目線に合わせた。


「……じゃあ、俺が君に名前をあげるよ」


彼女のタグには「80」と刻まれていた。

意味のない数字――それだけが、この子の存在だった。


なら、俺が名前をあげよう。

俺に名前をくれたこの子に――


「くれるの?」


そう言って彼女は首をかしげる。


「ああ。君のための、新しい名前だ。

今日が、君のはじまりなら――これは、俺からの最初の贈り物」


「私の………?」


「君は“ハレ”だ。晴れる、の晴。雨や嵐の後に来る、光。

 ……君は、きっと、そういう子だから」


俺が“0”から“レイ”になれたように――


この子も、“数字”から“誰か”になってほしい。

彼女――ハレは、呆然とその言葉を受け取った。


「ハレ……私が、ハレ……」


そして、彼女は小さく微笑んだ。

先ほどとは違う、“作った”ものではない笑顔。

ほんの少し震えていたけれど、そこには確かに――“生”が宿っていた。



「レイくん、はじめまして。私はハレ」


その瞬間、俺は確信した。

この子を守りたい。

もう二度と、奪わせない。

誰にも、触れさせない。

まだ名前を知ったばかりのこの子を、

もう手放したくないと思った。


そう、これは――


愛だ。



***


「ここが、俺とハレの過去だ」


「は?」


間抜けな声が、自分でも分かるくらい乾いていた。


過去? こんな場所が?


俺はもう一度、部屋を見回した。

白い壁。白い床。逃げ場のない四角。

子供用のベッドが二つ並んでいるのに、時間経過とかじゃない、

生活の匂いが、どこにもない。


「……過去って、そういう意味、かよ」


喉の奥が、きしっと鳴った。


レイは何も答えない。

ただ、部屋の中央に立ったまま、

まるで“今”と“昔”の境目にいるみたいな顔をしていた。


「ここで育った」


違うな、と思った。

育ったなんて言葉、この場所には似合わない。


「……生きてた、って言えばいいのか?」


それでも、レイは否定しなかった。


「俺は、0番と呼ばれていた」


ぽつり、と落ちた声。

説明でも、告白でもない。ただの事実。


「感情は要らなかった。名前も、使えるかどうかだけが全てだった」


まるで、他人事みたいな口調だった。

でもな、レイ。

それが一番、きついんだよ。

俺は、床に視線を落とした。

白いタイルの隙間に残る、消えきらない擦り傷。

小さな靴で、何度も同じ場所を踏んだ跡。


「……ハレも?」


その名前を出した瞬間、

レイの指が、ほんの一瞬だけ強く握られた。


「ハレは――」


そこで、言葉が止まる。

代わりに、レイは部屋の隅を見た。

小さなベッド。その横に置かれた、子供用の机。

その上には玩具のピアノが置いてある。


「ここで、初めて名前を呼んだ」


その声は、驚くほど静かだった。


「俺が、ハレに名前をやった」


……あぁ。

そういうことか。


守るって、一緒に逃げることでも、代わりに戦うことでもなくて。

誰かとして生きる場所を与えることだったんだ。


「そりゃ……重いわ」

思わず、笑い混じりに呟いた。


「こんな過去持ってて、今も全部一人で抱え込もうとしてんのかよ」


レイは、初めて俺を見た。


「……だから、誰にも触らせない」


低く、鋭い声。


その瞬間、確信した。


ああ――

こいつは、優しいんじゃない。

優しさを知ってしまったから、壊れたんだ。


「なぁ、レイ」


俺は一歩、前に出た。 


「それでもさ。今はもう、お前一人じゃないだろ」


レイは何も言わなかった。

でも、拒まなかった。

だから俺は続けた。


「この過去も、ハレも、……お前自身も」


一瞬だけ、言葉を探してから。


「——俺も、手伝う」


レイの瞳が、わずかに揺れた。

それが肯定かどうかなんて、どうでもいい。


この場所に連れてこられた時点で、

もう俺は、引き返す気なんてなかった。


だってこれは――

レイが“誰か”になった場所なんだから。


「礼は言わないぞ、お前が勝手に出しゃばってるだけだ」


「分かってるって」


***



レイの視線は、まだ部屋の中にあった。

過去を見てるのか、記憶をなぞってるのか、

それとも――もう慣れすぎて、何も感じてないのか。

俺は、口を開きかけて、やめた。


……聞いていいのか?

ここで、何をされてたのか。

どんな目に遭ってきたのか。

知りたい気持ちはある。

でも、それを言葉にした瞬間、

こいつの中の何かを、また抉る気がして。

そんな俺の迷いを、レイは見逃さなかった。


「……考えなくていい」


淡々とした声。

責めるでも、諭すでもなく、ただ事実を述べるみたいに。


「どうせ、いずれ知ることになる」


レイは、白い壁から視線を外さず、続けた。


「表向きは、霊力を使った新システムの開発研究所だ」


なるほど、と頭が勝手に理解する。

霊対庁らしい建前だ。


「だが、実態は違う」


一拍。


「ここは、人体実験をしていた。霊力を使えない子供を人工的に使えるように作り替え、駒として使う。それが目的だった」


……ああ、やっぱりな。

納得してしまう自分が、少し嫌だった。


「俺とハレは、霊力を扱える“サンプル”として連れてこられた」


サンプル。

人じゃなくて、物の呼び方だ。


「……らしい」


思わず、眉が動いた。


「らしい?」


レイは、ほんの一瞬だけ言葉を選ぶように黙ってから、

淡々と続けた。


「ここに来る前の記憶が、ない」


は?

思考が、一瞬止まる。


「連れてこられたと同時に、消されたんだろう」


言い切りだった。

推測じゃなく、結論。


「記憶操作か、封印か……手法はいくつかある。

 どれにしても、目的は同じだ」


俺は、喉の奥が乾くのを感じながら、聞いた。


「……ハレも?」


「ああ」


短い肯定。


「だから、ここを出たあと、ハレのことは全部調べた」


その言葉に、胸の奥がざわつく。

全部、って……どこまでだよ。


「ハレの、ここに来る前の名前は――」


レイは、はっきりと告げた。


「紫月花………出身は、武道祭たちと同じ集落だ」


点が、線になる音がした。


「その村は霊力に依存した生活をしている、ハレの家系が十数年に一度村の霊力を満たす為に術を施す必要があるらしい」


淡々とした分析。

感情を挟む余地のない、冷たい結論。

でもな、レイ。

その声、少しだけ低い。


「……つまり、村の生活の為にハレを?」


俺がそう呟くと、レイは初めて、わずかに目を伏せた。


「恐らくな」


静かな声。


「最初から、決まっていた流れだ。いずれ来るとは思っていた」


その言葉を聞いて、俺は思った。

レイは自分の過去を呪ってるんじゃない。

未来を、全部一人で止めようとしてる。


だから、誰にも触らせない。

だから、誰にも説明しない。


……ほんと、厄介で、すげぇ優しいやつだ。


でも、そんな奴ほど、一番先に壊れる。


だから……


「絶対、ハレのこと、渡すなよ」


「当然だ」


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