紫月花の非情――34
「――俺は悪くないッ!!」
そんな怒声が室内に響いた。
時刻は午前6時を過ぎたところだった。
深夜2時に突如発生した同時多発霊災も片が付き、
現在、隊員の撤退を進めている中。
俺は現場対策部門タワーの地下5階。
隔離幽閉室に居た。
真っ白な空間に特殊な鎖で拘束され、
地べたに転がりながら俺の目の前で声を上げているのは――
今回の霊災を企て、実行した犯人だ。
「悪いのはっ、お前等のほうだろォォォッ!!」
煩い。寝不足の頭に男の声が響いて仕方ない。
俺は椅子を引いて男の目の前に座った。
何も声を掛けずにただ、男を観察する。
霊対庁としても、この男の対応は慎重だった。
記録史上初めての同時多発霊災。
人間が意図的に起こした初めての霊災。
そして、その事件を起こしたのが、霊対庁の元職員だったからだ。
まず処刑は免れないだろう。
意図的に霊災を起こす方法があるなんて知られれば社会混乱になる。
犯人が元、庁の職員だと知られれば尚更。
今回の件で一般人や、庁の職員にも被害がでている。
この男が更生したとしても、うちの庁はそれを許しはしない。
「お前等はッ!!分かってんのかァァァァ!!」
男は怒声を上げ続けている。
「お前等がッ!処理してる霊災はなぁッ!!
新エネルギーなんかじゃないッ!!」
犯人は喋らないタイプでは無い、時間が経てばそのうち自白するだろう。
押収した物品から情報を抜き出すのも、うちの情報分析部門なら可能だ。
それなら俺が話を聞く必要もない。
「お前等が処理してんのはッ!
死んだ人間の――魂ッ、なんだよォォォ!!!」
思想や動機などどうでも良い。
俺にとって重要なことは、再発しないことと、情報が漏れないこと。
男は叫び続けている。
だが、俺はもう聞いていなかった。
椅子から立ち上がり、背を向ける。
それだけで十分だった。
この男に、これ以上与えるものはない。
***
部屋に戻ったのは昼過ぎだった――
部屋の灯りは、リビングだけが点いていた。
ソファで、ハレが丸くなって眠っている。
起こさないように、音を立てずにコートを外し、ソファの背に掛けた。
ハレは背もたれに寄りかかって、首が少しだけ傾いている。
ハレを寝室に運ぼうとして手を伸ばしたが、手を止める。
このまま触れるのは、よくない気がした。
シャワーを終えて戻ると、ハレはまだ同じ姿勢で眠っていた。
そっと膝をつき、声をかける。
「……ハレ」
反応はない。
俺は彼女を抱き上げた。
軽い。
思っていたよりも、ずっと。
ベッドに下ろすと、ハレは小さく身じろぎして、
無意識に俺の服を掴んだ。
指先に、力はない。
その指をそっと外し、俺は隣に潜り込んだ。
ハレの頭を撫でてると、ふと、あの男の声が過った。
――お前等が処理してんのはッ!
死んだ人間の――魂ッ、なんだよォォォ!!!
死んだ人間を資源として、
有効活用しているのが気に食わなかったらしい。
「だからなんだ………」
死んだ人間が、生きてる人間より優先されるわけがない。
生きてる人間が、資源として扱われる。
それがどれだけ残酷なことか――
思い出すだけで、身体が震える。
その震えを抑えるように、俺はハレを撫で続けた。
***
そこは、息の詰まる空間だった。
暗いのに、白いタイルが妙に明るい場所。
窓も時計もない、時間が進まない場所。
機械音と、玩具を叩く音が響いてる場所だった。
目の前でハレはピアノの玩具で遊んでいる。
俺はその横で折り紙を折っていた。
無機質な機械音と共に扉が開く。
誰が迎えに来るわけでもない。
ただ、抑揚のない機械を通した声で呼ばれる。
『80番』
ハレは身体を震わせながらも遊びを辞め、立ち上がった。
ハレが部屋を出ると扉は閉められる。
ハレが何をされてるのかは、見えないし分からない。
分厚い扉なのに、普段は話し声も聞こえないのに、
ただ、ハレの泣き叫ぶ声だけが扉の向こうから聞こえてくる。
「嫌だ」
「痛い」
「助けて」
「――レイくんッ」
そして次第に、声は聞こえなくなる。
耳を塞ぐことはしなかった。
ハレの声を聞く、それが俺にとって償いだった。
守りたいもの、守らなければいけないものを守れない。
未熟な自分にとっての罰だった。
『0番』
俺の名前が呼ばれ、再度扉が開く。
扉の前にはハレが立っていて、俺達は入れ替わりで研究者の元に向かう。
機械に囲まれた台の上に上がれば、麻酔をかけられ台に拘束される。
痛みも、血圧変動による気分の悪さも慣れたものだった。
声を上げることは絶対にしない。
隣に居るハレにこれ以上苦痛を与えたくない。
ただ目を閉じて、研究者達の声に意識を集中させた。
子供の俺に何も分かるわけがないと、研究者達はべらべらと喋る。
研究内容も、私生活も、俺たちのここに来る前の事も。
怒りが湧いて仕方なく、唇が切れる程に噛んで耐えた事もあった。
その度にハレの顔を思い浮かべて、自分に認識させる。
俺にとって大事なことはなにか。
俺が守らなければいけないものはなにか。
絶対にハレとここから出る。
それだけを、俺は毎日繰り返していた。
***
「レイ……」
小さな声で呼ばれて、意識が浮上した。
視界がぼやけたまま瞬きをすると、
そこは研究施設でも、白いタイルの部屋でもなく――
見慣れた寝室だった。
俺の顔を覗き込んでいるのは、ハレだ。
「……どうした」
喉がひりつく。
声が低く、掠れていた。
「魘されてたよ……」
ハレはそう言って、俺の袖を掴む。
指先が、僅かに震えている。
「ずっと……名前、呼んでた」
俺は一瞬、目を伏せた。
「……夢だ」
それ以上、説明する気はなかった。
ハレを抱き寄せると、
彼女は抵抗せず、そのまま胸に額を預けてくる。
心臓の音が、やけにうるさい。
夢はまだ、終わっていない。
ただ、今は――ここにいる。
俺はハレの頭に手を置き、何も言わずに撫でた。
それだけで十分だった。
***
あれから数日――
早朝、ハレはまだ眠っていた。
規則正しい呼吸と、額に落ちる前髪。
それを撫でる手を止める理由は、今はない。
扉のノック音、カイの気配だった。
「……おはよう。報告だけど」
そのトーンで分かる、いい報告では無い。
だから、顔は上げなかった。
「どうした?」
「例の3人組の件なんだけど」
数ヶ月前に現場ですれ違った3人組、そのうちの1人が、
先日の同時多発霊災でC級の隊員に危害を加えたとは報告を受けている。
その続報だと思っていた。
だが――
「続けて」
「あの3人の名前は確定した。武道祭、竹中集、桃咲円。3人でポロアパートに住んでる」
俺はハレを撫で続けながら報告を促す。
「……それで?」
「気になったのはあいつらの会話で“花”って名前がちょくちょく出てることぐらい」
撫でていた指が、一瞬だけ止まった。
ほんの一拍。呼吸一つ分にも満たない時間。
意味を考える必要はない。
過去に触れる理由もない。
指先を動かし、同じ速さで撫で直す。
「リオと調べて、唯一ヒットしたのが紫月花って子。でも……」
音として、名前が届く。
それ以上の処理はしなかった。
「……それ以上は?」
「なかった。データも全部ロックされてた。所属不明、能力不明。完全機密」
結論にはまだ至ってないか。
それでいい。
もうこの話は終わりでいい。
これ以上、確認する必要もない。
「……そうか」
「……なあ、レイ」
「ん?」
「その子の名前、知ってた?」
撫でる手の速度が、ほんの僅かに変わった。
一定だったはずのリズムが、僅かに乱れる。
「……いや。知らないさ」
ハレの呼吸は変わらない。
それが、今の俺にとっての答えだ。
「盗聴データ、いる?」
「ありがと。確認しとく」
データを受け取るとカイは部屋を出ていった。
俺はそのままハレを撫で続けた。
この温度だけは、手放すつもりはない。




