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hana,s__失われた少女と選び続ける少年の物語――  作者: ぼぅちゃん
第二章 紫月花の非情

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紫月花の非情――30



明け方、午前4時を回った頃だった。


霊災現場から戻った俺は、重たい足取りでマンションの自室に入った。

外套を脱ぎながら、わずかに血の匂いが残るのを感じる。

シャワーを浴びる気力もない。

玄関で靴を脱ぐ動作すら、鉛のように重く面倒だった。

静かな部屋。

リビングの灯りは落ちて、薄暗い非常灯だけが柔らかく足元を照らしていた。


俺の帰りを待つ小さな姿は、当然そこにはない。

寝室のドアをそっと開ける。

規則正しい寝息と共に、ベッドの中で丸まって眠る姿が目に入った。


「……」


胸の奥が一気に解ける。

肩に乗っていた重さが、ほんの少し軽くなる。

ハレは無防備に眠っていた。

俺のパーカーを着てフードを被ったまま、抱き枕を抱きしめるように俺の枕を抱いている。

目尻はゆるみ、唇がわずかに開いて、まるで安心そのものの寝顔だった。

 

——この顔を見るだけで、どれだけ俺が救われるか


だが次の瞬間、ふと自分の手に目を落とす。

乾いた血、埃の汚れ。

こんな手で、こんな身体で、彼女に触れることなどできない。


「……すぐ戻る」


小さく囁き、浴室に向かう。

シャワーの水音がしばらく続き、流れ落ちる汚れと共に頭の奥のざわめきも少しずつ静まっていった。

濡れた髪を乱暴に拭きながら再び寝室に戻ると、

ハレは寝返りを打ち、ベッドの端に寄っていた。


まるで「こっちだよ」とでも言うかのように。

そっとベッドに潜り込み、掛け布団の隙間に身体を滑り込ませる。

近づいた途端、眠ったままのハレが自然に俺の胸に頬をすり寄せてきた。


「レイ………おか………えり………」


その無意識の仕草に、心臓が痛いほど鳴る。


「……ただいま」


小さく呟く声は、夢の中の彼女には届かない。

だがハレはまるで聞こえたかのように、さらに腕を伸ばして俺の服をぎゅっと掴んだ。


疲労が深く沈んでいく。

まぶたが落ちて、意識が闇に溶けていった。

最後に見たのは、安らかな寝顔。


——幸せだ。

 

***



まぶたを開けると、窓から差し込む陽光が視界を刺した。

ベッド脇の時計に目をやる。


「……十一時か」


寝過ごしたことに小さく舌打ちしながら、隣へ視線を落とした。


——空白。


そこにあるはずの小さな温もりが、まるごと消えていた。


「……ハ、レ?」


胸の奥に嫌な重みが落ちる。

一瞬で眠気が吹き飛び、俺は飛び起きた。

 


寝室

——居ない。



リビング

——いない。



キッチン

——ここもっ!



「……ハレッ」



トイレのドアを開けるが、ハレはいない。


浴室の曇りガラスを勢いよく開け放つ。

濡れた形跡すらない。


クローゼットの扉を引き剥がすように開く。

無論、ハレの姿などあるはずもない。


次の瞬間、俺はピアノの前に立ち、蓋を勢いよく持ち上げた。

空虚な弦の音がわずかに鳴るだけだった。


「……っ、ハレっ、どこだっ」


冷蔵庫を開ける。

冷気だけが顔に吹き付ける。

もちろん、そこに人影などない。


焦燥で手が震えているのを自覚した。

呼吸が浅くなる。

最悪の想像が脳裏をかすめる。


「……位置情報っ」


ポケットから端末を取り出し、GPSを起動する。


画面に浮かぶ表示は――

《現在位置:S級フロア 寝室》


「……部屋の中……?」


ベッド脇に置かれていた小さな端末が、淡々と光を点滅させていた。

ハレが身に付けていなければ、なんの意味も成さない。


「……ッッ!!」


理解した瞬間、背筋を氷の刃で刺されたような感覚が走る。

次の瞬間には机の通信端末に飛びついていた。


「全庁、緊急警戒態勢——発令」


指が躊躇なくキーを叩く。

赤い警告ランプがフロア全域で点滅を始め、

けたたましい警報音が庁内を揺らした。


——これは深刻な霊災発生時と同じ規模。

 

対象は一つ。


――ハレが居ない。



***

 


その日、俺は珍しく起きてこないレイの代わりに、

本庁舎で霊対庁全部門の幹部会に出ていた。


俺の隣にはダルそうに椅子に座って腕を組んでるリオ。

18の俺たちより一回り二回りも多く生きてる奴らに囲まれて、俺たちはレイの用意した資料に基づいて方針を話してる時だった。


突如、庁舎に響き渡る緊急警報。

全館にアラートが鳴り響き、

室内のモニターが真っ黒に染まり異常事態を示す。


「――黒だッッ!!Sランクか!?」


慌て始める幹部陣。


異常事態発生アラートはランク毎に表示色が決まってる。

黄色がB級でも対象可能な霊災発生、A級なら余裕なレベル。

赤が深刻な霊災、A級でもちょっとキツくて俺たちS級が1人2人動くレベル。


そして今回出た黒は、S級を含めた全隊員が出動するレベル。

すなわち——国家滅亡レベルだ。


「――なにごとだっ!!」


「発生区域はッッ!!」


俺とリオはすぐに立ち上がり出動準備を始めようとした、

その時だった。


「発令者:レイ」って文字がモニターに出た瞬間、

室内は静まり返り、また違ったざわめきで揺れた。


「またか……」

幹部の一人が額を押さえる。


「対象は……未確認?」


「……はぁ、どうせ彼女関連だろ」


完全に慣れた口調。


「お姫と王子問題、もう慣れたわ」

呆れたように、だがおもしろそうに溢すリオ。


「慣れちゃ駄目なレベルだろ………」

リオと顔を見合わせて、急いで最上階へ戻た。


……嫌な予感しかしねぇ。



――


「入るぞっ!」


「お邪魔しまーす」


レイの部屋の寝室のドアを開けると、案の定そこにはレイ。

机に向かって、全身から“殺気と焦り”を同時に撒き散らしている。


「どうしたんだよレイ」


俺はレイの肩を叩くが、振り返ったその顔は冗談抜きで鬼。


「……ハレが居ないッ!」


低い声に、一瞬だけ頭が真っ白になった。


「……は?」


おい、待て。

それで全庁警報鳴らしたのか!?

いやいやいや、深刻な霊災発生時と同じやつだぞ!?


そう言いかけた瞬間、視界の端、

窓の向こうでドローン部隊が飛び立って行くのが見えた。


「おい!全機飛ばすなって!霊災のときですら半数残すんだぞ!?」


レイは一瞥すら寄越さない。


「ハレを探すなら当然だ」


当然て言うなバカ!


次の瞬間、モニターが切り替わった。

市街地の監視カメラがずらり。

庁の権限を超えた民間のものまで。


「おま、おまっ……どうやって映像繋いでんだよ!?これ国家転覆レベルのハッキングだからな!?なぁリオ!?」


「……ふふっ。霊災より大事件じゃん」


横でリオはケラケラ笑ってる。

笑い事じゃねぇ!!

さらにレイの指がキーボードを叩く。


次の瞬間、衛星の軌道マップが開いた。

……まさか。


「……は?お前、衛星動かす気!?」


返事はない。

けど、その無言の横顔が“もう動かしてる”って答えだった。


マジかよ……。

——俺の中で確信した。


この男にとって、世界よりハレ一人の方が重い。

だから庁も止めない。

呆れて、諦めて、それでも従う。


「……っはぁ……」

俺は頭を抱えながらも、覚悟を決めた。


「……で、どこに居るんだよ、うちのお姫」


レイの口元がわずかに動いた。


「……すぐに見つける」


ゾッとするほど冷たい声。

けど同時に、妙に安心する声だった。



――


「……見つけた」


短く、低く、でも安堵したようなレイの声。

モニターに映ったのは、どこかのゲーセンの中。


「……はぁ?」


思わず声が溢れた。

小さな体を精一杯前に乗り出し、両腕でガラスケースにしがみつくようにして、UFOキャッチャーに夢中になっているハレの姿。

真剣な眼差し。

口元をきゅっと結び、操作レバーを握る手は全力………。


「ハレ、遊んでんじゃん!!」

隣のリオはゲラゲラと笑い出す。


全庁警報。ドローン出動。衛星サーチ。

その結果——お姫がゲーセンでUFOキャッチャー。


職員たちが顔を青くしながら、

誰も止められずに動いているのが頭に浮かんでくる。

俺たちS級ですら振り回されてんだ、下の奴らはもっとだろう………。


「ほら、アームずれた。あ〜あ、落ちちゃった〜。……でも次で取れるんじゃない?」

リオがケラケラ笑いながら指差す。

 

「すぐに車を回せッ――!!!」


轟く声が部屋を揺らす。

通信回線が勝手に繋がり、庁舎の職員たちが一斉に立ち上がる映像が映し出される。


『れ、レイ総監!? 目標位置は!?』 


「南区!ゲームセンター前だ!一分で到着させろ!」


『し、一分!?それは物理的に——』


「できるまで死ぬ気でやれッ!!」


怒号と同時に、庁のオペレーションルームが騒然とする。

次々に立ち上がる端末、飛び交う指示。

まるで国家規模の緊急防衛システムが稼働しているようだった。


対象は——たったひとりの少女。

国家を動かして探し出したのが、ぬいぐるみハンティング中のハレ。


——ガタンッ


レイは椅子を蹴り飛ばすように立ち上がり、部屋を飛び出す。

黒いコートの裾が翻り、ドアが叩きつけられるように閉じた。


「……マジで世界よりハレが大事だよねー?レイはさぁ」


「もはや地球ごと人質に取ってるよ………」


そう吐いて俺は頭を抱える。

けど、結局付き合わされる。

なぜなら俺たちも知っているからだ。


この男にとって――

いや、この世界に住む全人類にとっても、


ゲーセンでぬいぐるみに夢中な“お姫”の方が、

——よっぽど重いってことを。



***


車内の空気は張り詰めていた。

運転席の職員は冷や汗を垂らし、ハンドルを握る手が震えている。


「遅い」

俺の一言で、背中がビクリと跳ねた。


「し、信号が——」


「潰せ」


「は、はい!?」


「赤だろうが青だろうが関係ない!潰して進めッ!!」


怒声が爆発し、車内の空気が凍り付く。

俺の指先は膝を掴んで離れない。

爪が食い込むほど力を入れていなければ、

すぐにでも外に飛び出して探しに行っていただろう。 


——居ない。


ハレが居なかったら。


もし二度と………。

 

舌打ちを飲み込みながら、奥歯を噛みしめた。

胸の奥で渦巻いているのは、焦燥と苛立ち。

ハレが居ない。それだけで、世界が崩れかける。


その時。

「つ、着き、ましたっ!」  


視界に入った光景に、息を呑む。

ドローンが群れ飛ぶゲームセンターの入口。

その中心に、ぬいぐるみを抱えた小さな影。

 

——居た。 


両腕いっぱいに白い猫を抱え、

きょとんと立ち尽くすハレに一瞬で胸の奥が解ける。


膨れ上がっていた焦燥も苛立ちも、

全部どうでもよくなり、世界に色が戻ってくる。

ドアが開き、ハレが車に乗り込んでくる。

俺は反射的に抱き寄せた。

震えるほど強く、けれど壊れ物に触れるみたいに。


「……馬鹿、なんで勝手に出て行ったんだ!」

低く、叱るつもりが、声は情けなく掠れていた。


「ごめん……レイにご飯作ろうと思って……でもね、この猫のぬいぐるみ見つけちゃって……レイにあげたかったの」


そう言って差し出された二つのぬいぐるみ。

小さな手が俺のために必死に掴んできた証。

 

「ひとつは私の、もうひとつはレイの分……だよ?」


心臓を鷲掴みにされたように、言葉が出ない。

怒りも、呆れも、全部融けていく。


ただ、可愛い。

可愛すぎてどうしようもない。

視界が揺れる。

怒りは跡形もなく消え去り、胸に広がるのは愛しさしかなかった。 


「……馬鹿。」


「えっ………」


「可愛すぎる」 


頭を抱き寄せ、笑うしかなかった。

さっきまで部下を震え上がらせていた鬼の顔は、今やただの馬鹿な男だ。


「………よくやった。でも、次は……俺も一緒に連れてけ」


「……うん!」


満開のハレ笑顔。

庁を動かそうが、国家を敵に回そうが構わない。

この笑顔ひとつのためなら、俺は何度でも狂える。


——俺の世界は、ハレの為にしか存在しない。



 

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