紫月花の非情――24
第二章 紫月花の非情
東京湾沿い。
高くそびえるタワーマンションの最上階。
夜の街を一望できる窓からは、無数の光の粒が瞬いている。
遠くに浮かぶ船の灯りが、海面にゆらゆらと揺れていた。
白を基調に整えられた広いリビング。
磨き上げられた床と高級家具に囲まれたその中心で、
4人の高校生が駄菓子の山に埋もれていた。
「てか、買いすぎじゃない?これ、業者レベルだろ!」
大きなビニール袋から中身を広げながら、カイが笑う。
「ハレに頼ませたら、そりゃこうなるよ」
リオが呆れたように言いながらも、口元は緩んでいる。
「だって全部気になったんだも〜ん!」
腰まであるふわふわの髪を揺らし、ハレは別の袋を抱えて笑った。
「いや、種類の話じゃねーよ。発注数が明らかにおかしいんだって!」
「そうかな?いっぱいあった方が、みんなで食べられるじゃん!」
その笑顔に、本気で文句を言う者はいない。
気づけば、誰もが彼女を中心に回っていた。
***
「でもハレって名前、やっぱ変わってるよな」
ふと、カイがぽつりと漏らした。
「え?」
「天気予報みたいじゃん。本日もハレ模様ですって言われても納得しちゃう系の」
「カイ〜〜っ!」
ぷくっと頬を膨らませたハレが、駄菓子の袋でカイの腕をぺしぺしと叩く。
カイは笑いながら両手を上げた。
「冗談だって。嫌いじゃないし、
可愛い名前だと思ってるよ。ちょっとアホっぽいけどな?」
「だ〜〜っ、も〜〜〜!」
子供のようにぷんすかするハレに、リオはニヤニヤとレイの方を見る。
その瞬間——
「……俺がつけた名前に、文句あるのか?」
低く、圧を帯びた声がテーブル越しに落ちた。
部屋の空気が一瞬で張り詰める。
カイはやらかしたと眉を寄せ、リオは笑みを引っ込めた。
当のハレだけが、きょとんとした顔でレイを見る。
「ううん……気に入ってるよ?すっごく、気に入ってる」
そして少し顔を寄せ、甘えるように寄り添った。
「でもね、カイが変だって言うの。
ひどくない?私はすごく気に入ってるのにー」
レイは静かにその頭を撫で、ふっと笑う。
「……ハレが気に入ってるなら、それでいい。お前は俺のハレなんだから」
それは甘く、けれど逃げ場のない甘さだった。
束縛でも所有でもなく、それを当然と受け入れる者だけの閉じた空間。
カイが肩をすくめる。
「……出たよ。俺の彼女、世界一可愛いモード」
「当然だろ」
レイはごく当たり前の顔で、隣に座るハレの頭を優しく撫でた。
満足そうに目を細めたハレは、ふふと鼻を鳴らし、また駄菓子の袋に手を突っ込む。
この部屋では、過剰な愛も、執着も、無邪気な笑顔も――
すべてが日常として共有されている。
ピピピピッ——
壁際の端末が鋭く鳴り響く。
空気が一瞬で引き締まった。
4人の視線が同時に発信源へ向く。
「……来たねー」
リオがすぐに立ち上がり、上着を羽織る。
その動きは慣れていて事務的ですらあった。
カイも駄菓子を袋にまとめながら、ぼやく。
「やれやれ、ほんと休む暇ねぇな」
「仕事だからな」
レイはスマホを開き、地図に浮かぶ赤いピンを確認する。
「第3エリア、区画C。構造物の一部に異常反応」
「また高層ビル系か。面倒くせぇ」
ハレは一枚だけスナック菓子を口に入れ、黙って立ち上がった。
気配は軽いのに、目の奥だけが鋭く研ぎ澄まされている。
彼女がただの女子高生でないことを、知っているのはこの部屋の3人だけだ。
レイはスマホをしまい、誰にも届かない声で呟いた。
「……どうして俺のハレは、俺だけのものでいてくれないんだろうな」
***
20XX年。
現代の日本では、地震や台風と並び
“霊災”と呼ばれる超常現象が深刻な社会問題となっている。
霊災とは、霊力と呼ばれる新エネルギーが、一定量その場に溜まったときに発生する災害。
その被害は物理的破壊にとどまらず、人間の精神を破壊し行動にまで及ぶ。
駅前で突然、百人が一斉に笑いながら歩き出し、そのまま二度と戻らなかった——
そんな事件は、もはや珍しくない。
霊災の影響は集団ヒステリー、神隠し、大量殺人の誘発など多岐にわたり、
人口減少が止まらないこの国にとっては、致命的な脅威となっている。
国は霊災を看過できず、ついに公式機関を設立した。
霊災害対策庁——
全国に拠点を持ち、職員数五千を超える国家最大規模の特殊組織。
その任務はただ一つ。
人知れず、霊災を鎮圧し、国を守ること。
***
夜の第3エリア――区画C。
高層ビルの谷間を抜ける潮風が、焦げたような匂いを運んでくる。
路面は黒く濡れ、街灯の光が鈍く滲んでいた。
「……反応、強いね」
リオが端末を確認し、眉をひそめる。
「来るぞ」
レイが短く言い、歩みを止めた瞬間
「今日は、私がやる!」
ハレの声は、いつもより低く、迷いがない。
腰の短刀に指がかかる。
「は?」
カイが思わず聞き返す。
「たまには、みんな楽してよ♪」
次の瞬間、地面が弾けた。
ハレの姿が消えたかと思うと、闇の中から銀色の閃光が何度も閃き、
短刀が描く弧は、音よりも早く霊核を穿ち、
一閃ごとに黒い影が霧のように弾けて消える。
左右前後関係なく一歩も止まらず、まるで空中を舞うように刃を振るった。
数十秒後には、残っているのは風を切る音だけだった。
最後の一体を斬り捨て、ハレはくるりと回って刃を納める。
「はい、おしまいっ♪」
足元には霊核の欠片すら残らない。
ただ静まり返った街だけが広がっていた。
3人は誰も動けない。
ようやくカイが、小さく息を漏らした。
「……マジでうちのお姫やばいな」
レイもリオも、否定しなかった。
霊災が消えた街は、嘘みたいに静かだった。
濡れた路面を、夜風がさらりと撫でていく。
「……79.6秒記録更新だね!」
リオが端末を操作し、現場の霊力値がゼロになったことを確認する。
表示はすっきりとした緑色に変わっていた。
「おーい、早すぎて俺、何もしてねぇぞ?」
カイが笑いながらハレに近づく。
短刀の刃は一滴の汚れもなく――
まるで最初から抜かれてすらいなかったかのようだった。
「ふふっ、でしょ?たまにはこういう日もいいかなーって!」
ハレは軽く肩をすくめて笑った。
レイはその様子を横目に見て、ほんのわずか口元を緩める。
――何も心配することは無い。
元から、ハレは別格。
そう思えるだけの年月と、数えきれない修羅場を共にしてきた。
「……やっぱり俺のハレは最強だな」
小さく呟いたその声は、夜風にかき消された。
「さ、戻ろっか!」
ハレがくるりと振り返り、いつもの調子で歩き出す。
リオとカイがその後に続き、最後にレイも足を踏み出した。
夜の街を照らす光が、4人の背をやわらかく包み込んでいた。
***
タワーマンションの最上階へ帰ってきた4人。
「はぁ〜、疲れたぁ!」
ハレは帰ってくるなりソファにダイブし、
抱えていたジャケットをぽいっと投げる。
そのままテーブルの上の駄菓子に手を伸ばし、ぽりぽり食べ始めた。
「お前さっきまで短刀ぶん回してたやつだよな?」
カイが笑いながら水を飲む。
「ぶん回してたっていうか……斬り刻んでたよね」
リオが冷静に言い、ハレは口いっぱいにスナックを詰めたまま笑った。
「だって、今日は私が頑張る日だったんだもん♪」
その時、不意にレイがハレの隣に腰を下ろし、
彼女の手からスナックの袋を取った。
「食べすぎるな。顔が浮腫む」
声は穏やかだが、袋を返す気配はない。
「え〜〜、まだ食べる〜」
ハレが半分身を乗り出して袋を取り返そうとするが、
レイはすっと片手で遠ざけた。
カイとリオは顔を見合わせて小さく笑う。
こういうやり取りは、もう何度も見てきた。
「……お前は俺が見てないと、すぐ好き勝手する」
ぽつりと呟いたレイの言葉に、ハレは一瞬だけ目を瞬かせた。
けれどすぐに笑って、レイの腕に軽くもたれかかる。
「だって、レイが見ててくれてるんだもん」
そのやり取りは、4人にとっては当たり前の光景だった。
外から見れば確かに、少し、特別すぎる関係に見えるかもしれない。
だが、これが彼らにとっての日常である。




