紫月花の日常――20
朝の光がファミレスの窓から差し込み、テーブルの上に置かれたトーストや目玉焼きがキラリと輝いていた。
俺たちはゆっくりと朝食を口に運んだ。
最近、追っ手の気配があまり感じられなくなった。
あれだけ緊張して逃げ回っていた日々が少しだけ遠のき、今はこうして普通にご飯を食べられることが、どこか不思議だった。
「祭ぃ、パンにバター塗るの上手くなったな」
「うるせぇっ!!」
集が肩を揺らして笑い、円がくすくすと笑う。
安心はできない。頭の片隅でそう思いながらも
今は目の前のこの時間に浸っていたい。
窓の外、満開の桜が風に揺れ、花びらがゆっくりと舞い落ちていく。
いつもに戻りつつある朝、しかしどこか違う気配を胸に抱えながら、俺たちは穏やかな日常を噛み締めていた。
ファミレスを出て、朝の街へと踏み出す。
澄んだ空気に春の陽射しがまぶしく、街路樹の桜は満開で、花びらが優しく舞い散っていた。
歩道には朝の通勤客が流れ、人々の笑い声や車の音が柔らかく響く。
俺はポケットに手を突っ込み、歩幅を整えながら前を見据えた。
いつもなら気にしない風景が、今は妙に鋭く目に入る。
「最近、追手の気配が減ったとはいえ、気は抜けないよね」
円が隣で小声で言って帽子を深く被った。
集も前を歩きながらつぶやく。
「でも、こうやって普通の街を歩けるのはありがたいことだな」
俺はこぶしを軽く握り、意識を集中させる。
知らず知らずのうちに、身体は緊張の糸を張り詰めていた。
目の端で流れる景色に、いつもと違う何かを探し続けている自分がいる気がした。
「……油断はするなよ」
集の声が静かに響いた。
俺たちは春の朝の穏やかな空気に包まれながらも、心の中では緊張を解かずにいた。
足元に舞う桜の花びらが、このまま進めと後押ししてる様な気がした。
街中のざわめきが少しずつ活気を帯びてくる中、俺たちは視線を前方の人物に固定していた。
「あれっ!レイだよ!」
円が思わず息を呑んだ。
俺も視線を凝らす。
淡いグレーのコートに身を包み、落ち着いた足取りで歩く男。
見覚えのある後ろ姿、レイで間違いない。
「………唯一の手掛かりだよな」
集が真剣な表情で呟く。
研究所はもう封鎖されていて、中の情報は望めない。
情報源を失った俺たちは直接尾行して、動きを掴むしかない。
「追うで良いよな?」
俺の声に、円と集も頷く。
三人は無言で、しかし確実にレイの後を追い始めた。
遠くから見えたのは、互いの存在を認め合うように並んで歩く二人の影。
まだ、淡い陽に照らされるその姿は、まるで静かな決意を持ったようだった。
レイが進んだ先には、あの茶目っけのあるカイが待っていた。
カイが軽くレイの肩に腕を回すと、レイは素早くそれを振り払いながらも、わずかに微笑んでる様にも見えた。
その動作は冷たさを帯びながらも、互いを信頼し合っていた。
俺たちは息を潜めながら、その様子を見守る。
同じ霊力を操る者同士。
それなのに俺たちとは違って、
酷い過去を背負った者であり、花を奪った敵でもある。
憎しみと哀れみが入り混じる複雑な感情が胸を締めつけた。
俺は拳を握り締め、重い吐息を漏らした。
風がそっと桜の花びらを揺らし、舞い散る。
揺れる花びらのように、俺たちの心も揺れていた。
淡い期待が胸に込み上げてくる。
ー分かり合えたら、少しは楽になるのかも知れない。
レイとカイが雑貨屋の前で立ち止まっていた。
カイは棚の小物を手に取り、ふと微笑みを浮かべレイに話しかけている。
レイも穏やかな表情でそれを見つめ、
二人の会話は聞こえないが、他愛ない会話をしている様に見えた。
そんな二人の様子に、俺たちは息を飲み、
ひそかに距離を保ちながら見ていた。
そこへふわりと軽やかな気配が近づき、円の声が震えた。
「花だっ!」
彼女は無邪気な笑顔でレイに駆け寄り、その小さな身体をそっと預けた。
レイは一瞬だけ驚いたように見えたが、すぐに優しい眼差しで花を包み込み、頭をゆっくりと撫でた。
まるで壊れやすい宝物を慈しむかのように、
彼の指先は柔らかく花の髪をなぞる。
その温かな光景が、俺の胸の奥を静かに、しかし確実に抉った。
ずっと探し続けてきた“花”は、今、確かにここにいて、愛されている。
けれどその幸せは、俺たちには遠いものだと痛感した。
心の奥で囁く声が聞こえた。
花は今、幸せなのか……
俺たちがやってきたことは、なんだったのか……
だが、答えは出ない。
俺たちの望む未来と、彼女たちの現実が交錯し、
胸が張り裂けそうになった。
風が通り過ぎ、揺れる桜の花びらが儚く舞う。
それは、まるでこの儚い瞬間を祝福するかのようでありながら、同時にいつか終わりを告げる合図にも思えた。
俺は静かに、その光景を見つめながらも、覚悟を新たにしていた。
雑貨屋の前を過ぎて歩き出した俺たち。
その中で集だけ表情が急に険しくなった。
「なあ……おかしくないか?」
集が低く呟いた。
「何がだ?」
「……考えてみろよ。あいつら、こんな風に集まるのか?面白いぐらいに1人ずつ合流してるのも変だろ」
「どういう、こと?」
円が少し戸惑いながらも返した。
「俺たちがこれまでどれだけ必死に動いても、何一つ掴めなかったのに、今回はすんなり尾行できてる。あんなに力がある奴が、俺たちがこんなに近づいても気付かないなんて考えられないだろ」
集は拳を軽く握りしめ、真剣な眼差しで続けた。
「こんな簡単に情報を得られるってことは、誘い込まれてる可能性が高い。罠だよ、これは」
俺たちは息を呑み、集の言葉の重みを噛み締めた。
確かにそうだと思った。
一度会っただけだが、あいつらは相当な力の持ち主で、
殺気じみた視線だけで、動けなくなる様な感覚に陥らされる。
ここで引けば、多分俺たちはまだ安全で居られる。
それでも………
「やられっぱなしじゃ終われないだろ」
俺は静かに言った。
「俺たちが逆手に取ってやるしかない。そろそろ決着つけようぜ?」
集も覚悟を決めて頷いた。
「だな、あのボロアパートも恋しくなってきたし」
「私たちだって、強くなったもん!やろ!絶対勝と!」
春の風が冷たく肌を撫で、舞う桜の花びらが緊張を一層際立たせる。
俺たちの決意は固く揺るがなかった。
俺たちはそのまま尾行を続けた。
ここまで簡単に着いてこれたのは確実に罠だって思いながら。
突然レイが立ち止まり話し込む3人。
様子を伺ってると、花とカイが別方向へ歩いていくのをレイが見送っていた。
残された俺、円、集の三人は顔を見合わせ、無言で頷いた。
「レイだよな?」
「うん……当たり前」
「行こう」
静かな街に緊張が漂い始めた。
レイを追いながら、俺たちは次第に街の喧騒から遠ざかっていった。
静かな住宅街を抜けると、やがて見慣れない荒れた土地が視界に広がる。
崩れかけた建物の残骸や、錆びついた鉄骨が無造作に散らばり、不気味な静寂が辺りを包んでいる。
ここはかつての大きな霊災で壊滅した場所。
霊対庁の管理区域で、一般人が入れる様な場所じゃない。
「確定だな」
集が声を潜めて呟き結縁を袋から出す。
円も険しい表情で辺りを見渡しながら言った。
「そうだね」
俺たちは最初から誘い込まれた。
これが罠だってことが
確定した瞬間だった。
荒れ果てた廃墟の中を慎重に進むと、少し広く開けたスペースが見えてきた。
そこにはレイが一人静かに立っている。
俺たちの気配に気づいているのか、じっとこちらを見据えている。
その視線は冷たく、まるでずっと前から俺たちを待っていたかのようだった。
「ここから先に行ったら逃げらんないな」
集が低い声で吐き捨てた。
「もう遅いでしょ。進むしかないよ」
円も小さく頷いた。
俺は拳を握りしめながら息を呑んだ。
もう覚悟を決めるしかない。
絶対に負けない。
この静かな決戦の舞台で、俺たちの本当の戦いが始まろうとしていた。




