命をかけた決意
「えっ、消えた!? どうして?」
目の前にいたはずの国民全員が一瞬にして消えた。まるで神隠しのように。そして誰もいなくなった。
「千尋? それともクリスティー?」
って、冗談を言ってる場合ではない。きっと誰にも通じないだろうし。
私自身、持てる魔力を全て使い切る勢いで魅了の魔法を使ってしまったから、その影響が今まさに出ている。
眠い。間違いなく魔力切れだ。
それなのに、少しずつ神聖国が降下する速度が速くなっているのを感じた。きっと竜神様の御力も限界なのだろう。
うつらうつらと薄れゆく意識の中で、眠気に抗いながら必死に考える。
「あ、私が飛翔の魔法石を使えば……」
私が持つお守り袋の中には、シアちゃん様自らが飛翔の魔法を込めてくれた魔法石が入っている。
今の私には魔法石を発動できるほどの魔力なんて残ってはいないだろうけれど、ほんの僅かな希望でも縋るしかなかった。
急いでポケットに手を入れてお守り袋をつかむ。
「!?」
その時、指先にあれが触れた。私はお守り袋と一緒にあれも掴んでポケットから取り出した。
「魔力の実! これがあれば!!」
つい先日ターミナルに行った時にポケットにしまった魔力の実。偶然オークに向かって落ちたあの一粒だ。
この魔力の実を食べれば、枯渇寸前の私の魔力も復活するはずだ。
だって、魔力の実には多くの魔力が含まれていて、さらには魔力増幅薬の原材料なのだから。
「エレン王子、私、もう少し頑張ります。魔力の実があれば私の魔力も……」
そこでふと頭を過る。
魔力の実には副作用がある。魔力過多症だ。
今までの私にはその副作用が起きることはなかった。それがどうしてかは私には分からない。
もしかしたら、私の魔力が無力化されていたからかもしれないし、偶然に無力化の魔法が魔力過多症にも作用したのかもしれない。
だから、魔力を無力化していない今の私が魔力の実を食べてしまったら、魔力過多症になってしまう可能性も捨てきれない。
だって、魔力増幅薬でさえ、広場に集まった国民全員を魅了できるほど、今までとは比にならないほどの効力を発揮したのだから。
魔力過多症。……怖い。私、死んじゃうの?
ドクンドクンと、胸の鼓動だけが頭に響いて、周りの音がどんどん遠くなっていく。
魔力の実を持つ手が小刻みに震えている。口の中に軽く放り込めばいいだけなのに、それさえも出来なくなるほど。
「……もっと僕を頼っていいんだよ?」
エレン王子の優しい声が私の耳に届いて、ぐるぐると頭を悩ませていた思考が霧が晴れるように一気に飛散していった。
金縛りに遭っているかのように強張っていた私の身体も動いて、周りの音も聞こえてきた。
今までの私だったらきっと、エレン王子のこの言葉に甘えまくっていたかもしれない。
けれど今の私は違う。
エレン王子はガルシア国の王子様だ。絶対に生きなければならない人だ。何よりこれ以上エレン王子を巻き込みたくない。
それに、私は神聖国の姫だから、私の国のことなんだから、私がやらなきゃ……
きっと思い残すことはない。だって、エレン王子が私に会いにきてくれたのだから。
もしも魔力過多症になって死んでしまっても、死ぬ直前までエレン王子のそばにいられた。それだけで私は心置きなく成仏できる。
あの小説のリリーも、今の私と同じ気持ちだったのかもしれない。
前世の記憶を思い出してから初めて、あの小説のリリーと現実のリリーは同じなんだと思えた。
「エレン王子、私、エレン王子のことが大好きです!」
勢いに任せて告白すると、その勢いに乗じて私は魔力の実を口に含んだ。
「!?」
そしてそれは何の前触れもなく突然で。
魔力の実を噛む間も無く、私の唇に柔らかい感触が触れ、そして重なり合った。
何が起きているのか理解が追いつかなくて、何をしようとしていたのかも忘れて。ただ、身を委ねて。
そして、ゆっくりと唇が離された。
「魔力は、キスで増えるんだよね?」
至近距離でにこりと笑ったエレン王子を目にしたせいか、くらりと倒れそうになりながら、
ーーキスじゃ、魔力は増えませんから。魔力……
そう思った瞬間、あるはずの物がなくなっていることに気付いてしまった。
けれどその時にはもう手遅れで。
私の意識は暗闇に落ちた。
「もっと僕を頼って欲しかったな」
僕の腕の中で眠るリリーに向かって、僕は一人呟いた。口の中にある魔力の実を傷付けないように細心の注意を払いながら。
最後まで僕の飛翔の魔法を頼ろうとしなかったリリーを前にして、いかに今までの自分が弱い人間だったのかを思い知らされた。
塔が崩れ落ちたあの日に僕は死ぬはずだった。いや、あのパーティーの日に、エレン王子という存在はガルシア国にとってないものとなったはずだった。
そんな僕をリリーが助けに来てくれた。
塔が崩れ落ちて自分も巻き込まれて死んでしまう虞もあったというのに。
犯した過ちに後悔するだけだった僕に対して、リリーは自らの過ちを認め前に進んでいたのだ。
しかも、自分の人生を犠牲にしてまで、僕が王族として残れるように計らい、そして一人神聖国へと旅立っていった。
僕はその後も王子として存在することになった。本当はとうの昔に王子という立場を自らの意思で放棄していたというのに。
リリーに頼られていることに胡座をかいて、僕に魅了の魔法をかけてこないと嫉妬して、挙句の果てに、自ら無力化の魔法石を外して魅了の魔法にかかった。
“王太子候補”という重圧と後ろめたさから解放されることを選んだのだから。
前国王陛下が定めた婚約に関する極秘事項ーーイアンとエレンのうち、立太子した方がセレスティア・ボールドウィンを妻として迎えること。
このことは、前国王陛下と僕の両親、アリシア叔母上、イアン兄様とボールドウィン侯爵しか知らない。
そしてそれは、イアン兄様が神聖国に旅立って時間を置いてから発表された。セレスティアと王子の婚約が結ばれた、と少しだけ言葉を変えて。
誰しもがその相手は僕であると信じて疑わなかった。
だって、イアン兄様の存在はほとんど知られていなかったし、知っている者でさえも、母子で神聖国に旅立ったイアン兄様が王太子になれるわけないと思ったから。
けれど、僕は王太子になんかなりたくないし、イアン兄様とセレスティア嬢は結ばれるべきだと思っていた。
だから、あのパーティーの日にわざと衆人環視の中で婚約の破棄を宣言したのだ。
立太子した方がセレスティア・ボールドウィンを妻として迎えること。逆を言えば、セレスティア嬢を妻にできる者が王太子になれる。
セレスティア嬢を妻に迎えられないような状況を作り上げれば、王太子になることもないのだろうと考えたから。
リリーの魅了の魔法は、そんな浅慮な考えに至った僕の行動を後押ししてくれた。そして、見事に失敗をして、リリーに逃げられて。
最後の手段として、塔が崩れ落ちる直前の僕は死ぬことを望んだ。
僕がいなくなればイアン兄様が王太子になるしかなくなるのだから。
けれど、僕に嫌気が差して逃げたと思ったリリーと姿を眩ましていたはずのイアン兄様が手を差し伸べてくれて、僕は現実から逃げることをやめた。
今度こそきちんと自分の意思を伝えようと決めた。
王はおろか王太子にさえなりたくない。僕よりもイアン兄様が王位を継ぐべきだと。
僕は自分の決めた相手と添い遂げたいと。
そんな自分勝手な僕だからこそ、リリーに相応しい人間になって、リリーを迎えに行こうと決意した。
だから、罵倒されるのも覚悟である人に会いに行った。
そして今、
「エレン殿下、本当によろしいのでしょうか?」
パパ様が僕に確認する。
「もちろんです。もう時間がありませんし、今さら計画を元に戻すことはできませんよ」
「我が国のために、ありがとうございます」
「僕の大切な人の国ですから」
僕が会いに行った人。それはリリーのお父上、パパ様だった。
会ってすぐに謝罪をすると、返ってきたのは“リリーが神聖国に行くことは必然だった”という言葉。
初めは王子である僕に気を遣って言ってくれているのだろうと思っていたら、それだけではなくて。
ーーもしも申し訳ないと思って下さるのなら、私共の計画に協力してください
と、当初の計画ーー魔法石に飛翔の魔法を込める計画を聞かされた。
すぐにその計画を打ち明けるあたり、パパ様も切羽詰まっていたのだろう。
魔法石に飛翔の魔法を込めるはずだったアリシア叔母上もイアン兄様もーーイアン兄様は本当はガルシア国にずっといたのだけれどーー神聖国に行ってしまったから。それも僕のせいなのだけれど。
もちろん僕はその場で協力する旨を伝えた。
リリーを助けるためなら何だってやるつもりだった。リリーの笑顔を守るためなら何だって。
それなのに、その計画の中でどうしても納得がいかない点が見えてしまった。図々しいと思いつつも、きちんと自分の考えを伝えた。
「エレン殿下が、まずは国民だけでも先に安全を確保するべきだと進言して下さったおかげで、国民全員が無事にターミナルに転移できたようです」
「そうですか。それは良かったです。生きてさえいれば未来は開ける。それを僕に気づかせてくれたのはリリーなんです」
会えるはずがないと思っていた竜、リリにも会うことができた。
リリーとは二度と会えないかもしれないという覚悟はしたけれど、生きてさえいればチャンスはゼロではないと思えたから。
「イアン兄様が魔法石に込めた空間魔法で皆さんが一瞬で消えた時は、正直言って僕も驚きました」
「はい。さすがはイアン様です。ボールドウィン侯爵の後ろ盾があったとしても、幼い頃にアリシア様と別れて今までお一人で切磋琢磨されてきただけのことはあります」
「イアン兄様もセレスティア嬢とターミナルへ逃れられましたか?」
「はい。鑑定の魔法を使い、魔力のない者に声をかけてターミナルに誘導することも終え、お二人ともターミナルで待っておられると思います」
「良かった……」
あくまで神聖国は他国のことだ。他国のことでガルシア国の王子が二人して命を落とすことだけは避けなくてはならない。王太子になることが決定しているイアン兄様は絶対に。
そして何より、二人が無事に再会できたことが一番嬉しかった。
「竜神様が結界を解かれた時に神聖国に飛翔の魔法をかけてくれていたアリシア様も、今はターミナルに避難しました」
「アリシア叔母上はそれほどの魔力を持っているというのに、王位を父上に譲ったのですね」
いや、正確には魔力を持っている事を隠して、王位にふさわしくないふりをしていた。周囲に国王に相応しいのは父上だと思わせて要らぬ王位継承権の争いが起きないように。
息子の僕が言うべきことではないけれど、現国王である父上よりもアリシア叔母上の方が国王としての器量を持った人なのは歴然だから。
「そろそろパパ様も逃げてください。あなたもリリーの大切な神聖国民の一人ですから」
王族は時として命をかけてでも“自国民”と“自国”を守るべきだ。
それは神聖国の姫であるリリーも同じで。
だから僕の最後のわがままで、リリーの代わりに僕が命をかけて神聖国を守ろうと決めた。
だからこそ、まずは国民の命を最優先に考えた。
そして今、僕は王城のバルコニーに立っている。
好きな人の大切な国を守るために、何よりも大切な人ーーリリーの未来を守るために、僕は今から用意していた魔力増幅薬ではなく魔力の実を使う。
より確実に守りぬくため。
その結果、この命が尽きることになったとしても。




