悪役令嬢と言われた私
「婚約が破棄されていない? そんな……嘘、ですよね?」
お父様に呼び出され、そう告げられた私は頭が真っ白になった。
「ああ、ティアも心配していたのに伝えるのが遅くなって申し訳なかったね。婚約は継続しているから安心しなさい」
「で、でも、パーティーでエレン王子自らが宣言なされたのですよ? それがなかったことにだなんて……」
学園のパーティーという公衆の面前で、婚約者であるこの国の王子に婚約を破棄すると宣言され、私、セレスティア・ボールドウィンはそれを素直に承諾した。
恥ずかしい思いをしたのは事実だけれど、彼との約束を果たすためだと思えば、犬に噛まれたように些細なこと。
今後は傷心を装って、お父様が持って来るであろう婚約の申し込みを断り続けながら、彼が帰ってくるのを待っていれば良かった。……良かったはずなのにどうして?
予想外の展開に、さすがの私も戸惑いを隠せない。それなのに、お父様は心なしか嬉しそうに話を続けていく。
「ティア、よく考えてごらん。エレン殿下が王子だからと言って、国王陛下の決めた婚約を勝手に破棄できると思うかい?」
「それは……普通に考えたら無理ですけれど……」
「しかも、この婚約を決めたのは前国王陛下だ。現国王陛下にだって簡単に破棄できない手筈が整っているに決まってるじゃないか」
「で、でも、お父様も私があのような目にあって怒ってくれたではないですか?」
「そりゃ可愛い娘があのような目にあったって聞いた時には、腑が煮え繰り返るくらい腹立たしかったよ。でも、エレン殿下には相応の罰が与えられ、その後の処遇についても話し合いが持たれている。エレン殿下は人が変わったように自分のご意志を述べられてね。だからティアは安心して待っていなさい」
相応の罰、それはきっと、リリー様が幽閉塔と呼んでいたあの塔に幽閉されたことだろう。
エレン王子は可哀想な人だ。ただリリー様と愛し合いたかっただけだというのに。その純粋な気持ちを利用され巻き込まれただけなのに。
……その気持ちを利用したのは、紛れもなく私。
一か八かの賭けに成功したと思っていたのに、最後にどんでん返しが待っているなんて。
「お父様、婚約が破棄されていないのなら、どうにかこの婚約を解消する方法はないのですか?」
こうなれば正攻法で行くしかない。お父様を通じて王家に婚約解消の申し入れをするしかない。
もちろん侯爵家からそんな申し入れをすること自体が許されないんだ行為で難しいことだというのは重々承知の上で。
けれど、王家に申し入れる以前にお父様が素直に了承してくれるわけがなかった。
「ティア、この婚約はティアにとっても我が家にとっても願ってもない良い機会なんだよ? ティアだって、今まで王妃になるために頑張ってきたじゃないか?」
「そう、ですけど……」
王妃になるための努力はしてきた。王となる人に政務や外交の才能がなかったとしても、代わりに私が担えるようにと。
それはエレン王子と結婚したいがための努力ではない。王妃という立場に魅力を感じたわけでもない。
全ては彼のため。私の心を救ってくれた彼のために、ガルシア国に彼の居場所を取り戻してあげたかったから。
あの事件があってすぐに神聖国に行ってしまった彼ーーアンのために。
あの事件はそもそも全てはお父様のせいだ。お父様のせいなのに、いつにも増して嬉しそうな顔をしているお父様を目の前にしてしまったら、今まで我慢していた気持ちが抑えきれなくなってしまった。
「それに今回の件で婚約……」
「もういいです。それなら私にも考えがあります!!」
お父様の言葉を遮って、私は声を荒げた。
「どうしたんだい? ティアらしくないな? まあ、色々と思うこともあるだろうし、この話はきちんと結果が出てから話そう。それはそうと、今月分のノルマは終えたかい?」
「はい……」
「そうか。いつもすまないね。でも、ティアのおかげで誰も不幸にならないで済むよ」
「っ……もう話がないようでしたら私はこれで失礼します」
誰も不幸にならない、そんなのは嘘だ。その言葉が私を苦しめる。
私は涙を堪えるために唇を強く噛み締めながら、お父様の部屋を後にした。
婚約は破棄されたものだと思っていた。それなのに継続している。お父様に願い出ても聞き入れてくれない。
私はこんなにも苦しみながら侯爵家のために動いているというのに。
「……もう家を出るしかないのかしら?」
逃げるしか私が解放される道はないのかもしれない。彼女みたいにとりあえず逃げてみたら、もしかしたら何かが変わるかもしれない。
もちろん無計画に家を出るなんてそんな浅はかなことはしない。私が頼るのは彼女ーーリリー様だ。
リリー様が神聖国に旅立って一ヶ月。彼女ならどのような地でもうまくやっているはずだ。自分の手で自分の信じた道を切り開いていく彼女なら、きっと笑って暮らしているはず。
……笑って暮らしていてほしい。その姿を一眼見ることができれば、私の罪悪感も少しは薄れるかもしれない。
「それに、リリー様ともっとお話しがしたかったのよね」
そんなことを思う資格なんて私にはないのだけれど。
学園に入学する少し前、私の前に突然現れたリリー様は、天真爛漫という言葉が似合う可愛い女の子だった。
表情豊かでとても素直で。エレン王子を好いているということが一眼見れば誰もが容易に分かってしまうほど。私とは真逆なとても可愛い女の子。
前世の記憶だと言い出した時は、触れてはいけない人だったと少しだけ慄いてしまったけれど。でも彼女の言葉に嘘などなくて、妙に説得力があって、運命が変わっていく気がした。それに、
「私が悪役令嬢だなんて、本当に言い得て妙よね」
セレスティア様は悪役令嬢だ、と言われたあの時、その言葉はすとんと私の中に落ちてきて、正直言って納得してしまった。
私を含め、このボールドウィン侯爵家が今までやってきたことは悪の所業だ。
家業について、お父様は詳しいことは何も教えてはくれない。それなのに私の魔法を頼るお父様は狡い。私の持つ魔法を利用して、お父様は未来ある子供たちを……
「お父様のバカ! もう侯爵家のことなんて知らないんだから」
私は何も知らない子供じゃない。ボールドウィン侯爵家の家業がガルシア国にとって何を意味するのかも知ってしまっているし、あろうことかその悪事を利用してリリー様を神聖国に送り出してしまった。
もう私は戻れない。それならこの悪事を私の代で終わりにする方がいいのかもしれない。
逃げて、全てを終わりにする。
「そうよ、そもそもアンが向こうにいるのだから、私もさっさと神聖国に移住すればよかったのよ。アンの夢を叶えてあげられなくなってしまうけれど、きっと許してくれるわよね? よし! そうと決まったら、荷造りしなくてはいけないわね!」
名案が思い浮かび、善は急げと立ち上がったその瞬間、ガタッと天井から物音が聞こえた。
その音にも心当たりはある。
一度もその姿を見たことはないけれど、お父様が付けてくれた私の護衛なのだと思う。
いつもなら「お父様ったら心配性なんだから」と笑っていられたけれど、私にだって限界がある。
「盗み聞きなんて本当に最低!! 決めたわ! どんな手を使ってでも神聖国に行ってみせるわ!!」




