76 恋のお悩み
その後、ボートから降りた二人は近くにあるベンチに座っていた。
「延滞料金……かなり取られちゃいましたね」
「今はそんなこと気にもならない」
横に座っているロイドは、さっきからずっとシーラの髪の毛を撫でている。
愛しそうに細められた瞳が、髪を撫でる優しい手つきが、なぜかとても心地良く感じられる。
記憶を全て思い出した後だからだろうか。
以前とは、ロイドに対する感情が違うようだ。
背景の夕暮れがかかり、彼の黒い髪がオレンジ色に照らされた。
「まだ……理解が追い付いていなくて。記憶の整理もしたいし、少しだけ時間が欲しいんです」
「そうだよな……俺も君の気持ちを強要するつもりはないから。ゆっくり考えて、決めてほしい」
ロイドはシーラを馬車で家まで送り、一旦は解散となった。
そしてその日の夜、彼女はあの日の夢を鮮明に見た。
***
次の日、シーラは一人アカデミーの廊下を歩いていた。
ちょうど、教室を移動するために動いているところだった。
「……この先どうしようかしら」
彼女は今、大きな悩みを抱えていた。
教室から教室へ移動する合間にも考えてしまうくらい、深刻なものである。
(……誰かに愛されることが、こんなにも大変だとは思ってもみなかったわ)
前世に比べたら、何て贅沢な悩みなんだ。
「――何一人でブツブツ喋ってるんだ?」
「……サイラス様?」
背後からひょっこり顔を出してシーラに声をかけたのは、サイラスだった。
一体いつの間に近づいたのか、全く気付かなかった。
「一体何に悩んでいるんだ?」
「……いえ、ただヘンドリックとの結婚がなくなったので卒業後どうしようかと思っていたんです」
わざわざ隠す必要もないと思い、シーラはサイラスに悩みを打ち明けた。
「それで、アルヴィンと学園長で揺れてるってわけだ」
「揺れてるってわけではないんですけど……ただ、困惑してしまって。まだ受け入れられてないっていうか……」
シーラは前世で誰からも愛されることなく、生涯を終えている。
そんな彼女がいきなり二人の男性から猛アプローチを受ければ、困惑するのは至極当然のことだった。
「まぁ、あの二人は一度決めたことは絶対にやり遂げる!みたいなタイプの人間だからな……どっちも簡単には退かないだろうな」
「そうなんですね……」
サイラスは横並びの状態から、突然シーラの進路を妨げるように立ちはだかった。
「――いっそ、俺なんてどうだ?」
「……何、言ってるんです?」
彼は自分をアピールするかのように、自信ありげな表情で語り始めた。
「俺はこんな性格だけど一応大公家の嫡男だし?結婚したら流石に女遊びもやめるからさ……奥さんのこと、大切にするよ。絶対に悲しませたりなんてしない」
「面白い冗談ですね」
シーラは彼のジョークを笑って受け流した。
女を口説くのにだいぶ慣れているようだ、次はシーラにまで手を出そうとしているのか。
しかし、彼女はそんなに簡単には落ちない。
「――じっくり悩んで決めることにします。まだ卒業までは時間があるので」
彼女はそれだけ言うと、サイラスの前から立ち去った。
一人残された彼は、彼女の後ろ姿を見つめながら口を開いた。
「冗談のつもりはないんだけどな……」
***
「――学園長様から告白されたですって?」
「……ええ、どうしたらいいかわからなくて」
放課後、シーラは学園長室へ行くことはなく、王都にあるカフェでクレアに恋の相談をしていた。
高位貴族のご夫人も御用達であるそのカフェは、王都で有名なパティシエが経営しており、予約も取れないほどの人気である。
それでも今回入れたのは、クレアが次期王妃でカフェの常連だったからだろう。
二人は今、奥にある専用の個室でお茶をしていた。香りの良い紅茶と、ケーキがそれぞれ一カットずつお皿に載っている。
クレアはケーキをフォークで差し、そのまま口に運んだ。
「ふぅん、それでシーラ、最近思い悩んでいたのね」
「……誰かに好意を寄せられるのは初めてだから、わからなかったのよ」
女の恋の悩みは、同じ女にしかわからない。
婚約者と良い関係を築いているクレアならと思い、シーラは彼女に悩みを打ち明けたのである。
「それに、アルヴィン殿下も最近何だか不思議な行動ばかり取るし……私を助けてくれたり、遊びに誘ったりだとか……」
「へぇ、あのアルヴィンがねぇ……まぁ、そんな気がしてたけど」
「殿下だけじゃないのよ。サイラス様も冗談で俺が婚約者とかどう?なんて言うし……私をからかっているのかしら?」
「冗談ではないと思うけど……シーラ、あなたってものすごく鈍感なのね」
クレアは呆れたような目で、フォークを口に入れたままシーラを見ていた。
「シーラは……そもそも結婚願望とかはあるのかしら?」
「……それもよくわからないの。前世で……いえ、両親が政略結婚で不仲だったから、結婚には良い印象がなくて……」
「そうだったのね」
危うく前世の話をしそうになったが、寸でのところで何とか抑えた。
いくら相手がクレアとはいえ、一度死んだことがあるなんて言ったら頭がおかしくなったと思われてしまうだろう。
「誰を選んでも、別にいいんじゃないかしら?」
「クレア……」
「私はあなたの親友として、ハッキリ言わせてもらうけど……」
クレアが手に持っていたティーカップをソーサーに置き、それがカチャリと小さな音を立てた。
カップからシーラに目を移した彼女は、ニッコリと微笑んだ。
「――あの三人ならきっと、誰を選んでも幸せになれると思うわよ」
「……」
それは、紛れもなく友としての言葉だった。
クレアは適当に誰でもいいと言っているわけではない。誰を選んだところで、彼女は幸せになれることを確信しているから誰でもと言えるのだ。
きっと彼女は、昔から見てきているあの三人を信用しているのだろう。
「クレア……ありがとう……」
やはり、彼女に相談して正解だった。
「でもサイラス様はやめとくべきじゃない?」
「そうねぇ、サイラスはちょっとやめとくべきかもね」
――攻略対象③、サイラス・ヴェントゥール。
何と、土俵に立つ前から脱落。
読んでくださってありがとうございます!
ブクマ、いいね、評価などしていただけたら励みになります!




