58 初恋の女性 サイラス視点
アルヴィンとシーラがアカデミーを出た後、最終下校時刻を知らせる鐘が鳴り響いた。
テスト期間が始まったばかりだったこともあって、学内に残っている生徒はもう大半が家に帰っていた。
そんな中、一人だけアカデミーに残っていた生徒がいた。
「……」
いつもは束ねている銀色の長髪を、今日は下ろしている。彼は学園中に響き渡る鐘の音など耳にも入らず、ただじっとさっきまでアルヴィンとシーラがいた場所に立ち尽くしていた。
――ヴェントゥール大公家の嫡男、サイラスだった。
カバンを持った彼は、ようやくチャイムに気付き、ゆっくりと正門までの道を歩き始めた。歩きながら、うわ言のようにポツリと呟く。
「テスト期間だから、今日は誰を誘っても来なかったなぁ……」
遊び人として有名な彼は、放課後はほとんど毎日のように女子生徒たちと遊び歩いていた。
見目麗しいうえに、王国で一つしかない大公家の嫡男である彼の誘いを断る者などいない。毎回誰かしらは受け入れ、彼は遊ぶ相手に困った経験がなかった。
しかし、今日はわけが違った。
テスト範囲が発表された当日ということもあって、全員が勉強しないととサイラスの誘いを断ったのである。
そのため、彼はいつものように遊ぶことなく、暇だからとアカデミーに残っていた。
そうして適当に学内を歩いていたら、たまたまアルヴィンとシーラに出会ったのだった。
いつものようにフランクに話しかけようと思った彼だったが、二人は大事な話をしているようで、声をかけることができなかった。
結果、物陰に身を潜め、会話の内容を盗み聞きするような形を取ることとなった。
「シーラ嬢……ホンット、良いこと言うな……」
クレアが気に入った理由がわかるかも――と彼は付け加えた。
アルヴィンが亡くなったヘンドリックの元婚約者を今でも想い続けているのは、オルティネス王国の社交界では有名な話だった。
そのことを未だに引きずり、前に進めていないということも。
『いつまでも後悔していたところで仕方が無いでしょう。いい加減、前に進まないと』
あそこまでハッキリとアルヴィンにものを言う人間は初めて見た。元々なかなか変わった女だったが、あんなに大胆な一面を持ってるとは知らなかったと、サイラスは彼女に感心した。
『殿下も気持ちを切り替えてみてはいかがですか?彼女を失った悲しみ、振られてしまった苦しみではなく、彼女に出会えたことへの喜びや愛を教えてくれた大切な存在として……胸に深く刻み付けておくんです』
シーラが放った印象的な言葉たちが、彼の頭の中をループした。彼女はどんな顔で、どんな気持ちでアルヴィンにそう言ったんだろうな。
自分自身もとても傷付いているはずなのに。そんなふうに他人を励ますなど、簡単にできることではない。
「……俺も、そうすることで気持ちを切り替えられるだろうか」
サイラスはその言葉たちから元気をもらったかのように、口元に軽く笑みを浮かべた。
――先ほど、シーラがアルヴィンにかけていた言葉は、彼にも言えることだったからだ。
「悩んでいても仕方がないな……行ってみるか」
アカデミーを出て馬車に乗り込んだサイラスは、そのまま王宮へと向かった。
***
王宮へ到着した頃には、すでに空がオレンジ色に染まり始めていた。
サイラスはクレアの婚約者である第一王子に挨拶を済ませると、そのまま本宮を出て行き、隣にある王女宮へと足を踏み入れた。
緊張した面持ちの彼を、赤髪の美しい女性が出迎えた。ちょうど庭で花の手入れをしていた彼女は、サイラスの来訪に気付いて頬を緩ませた。
「――あら、サイラスじゃない。久しぶりね。急にどうしたの?」
「……スカーレット」
――彼が訪れたのは、オルティネス王国第一王女・スカーレットの元だった。
サイラスにとってスカーレットは幼い頃からの友人の一人であり、姉のような存在でもあった。
『サイラス!女の子を泣かせないの!』
兄弟がおらず、両親からも放置されていた彼にとって、スカーレットは唯一の家族だった。いつだって自分をしっかりと見てくれて、叱ってくれる。サイラスはそんな彼女に深く感謝していた。
――そして、彼女は彼の永遠の憧れで、初恋の人だった。
サイラスはスカーレットの前に立つと、真剣な表情で彼女を見下ろした。
スカーレットはそんなサイラスの行動に疑問符を浮かべながらも、彼を見つめ返した。
「――俺、ずっと前からお前のことが好きだったんだ!俺と付き合ってほしい!」
「……」
スカーレットは目を丸く見開いて、彼を見た。
突然の愛の告白に、二人の周囲にいた使用人たちがビクッと肩を上げた。
「……彼氏いるから、ごめん」
「……」
彼女の返事を聞いても、サイラスは特別驚いた様子を見せなかった。
スカーレットが隣国の王子殿下と交際していることは、王国にいる誰もが知っていた。それも政略的な交際ではなく、お互いに惹かれ合ってからの付き合いだった。
「急にどうしたのよ……」
「いや、ただちょっと……お前がもうすぐ他国に嫁ぐことが寂しくなってな……」
「あなた、そんな理由で私を引き留めようって、告白したわけ?」
相変わらず子供ね――とスカーレットはサイラスの頭をポンポンと撫でた。
そのような行動が誤解をさせてしまうということに、彼女は当然気付いていない。
「そうだな、俺はまだまだガキだ……だけど、たった今ほんのちょっとだけ大人になれたような気がする……」
「何言ってるのよ」
サイラスはスカーレットの手を優しく振り払うと、そのまま彼女から背を向けた。
あと一ヵ月で、スカーレットは隣国の王子の元へ嫁ぐこととなる。彼が彼女と二人で会うのは、きっと今日が最後になるだろう。
「じゃあな、あっちでも元気でやれよ」
「ええ、あなたもね。いい加減、一人の女の子を愛せるようになりなさい」
「……そうだな」
彼はスカーレットとの最後の挨拶を済ませ、そのまま王女宮を出て行った。僅か数分の間ではあったものの、嫁ぐ前に彼女に会うことができてよかった。
「予想はしてたけど……やっぱダメだったか……」
帰り道、サイラスは悲しそうにボソッと呟いた。
彼が女遊びを繰り返していたのは、自分を男として見ないスカーレットへの当てつけだった。
彼女に恋人ができた今は疎遠になってしまったものの、悪評を流していればそのうちすっ飛んできて叱ってくれるのではないか。そんな淡い期待を抱いていたが、結局スカーレットは彼のことなど眼中にもなかったのだ。
「俺の十年間の想い、呆気なかったなぁ……」
だが、なぜか悪い気はしなかった。
――彼女にキッパリ振られたおかげで、これからは気持ちを切り替えて生きていけるような気がするからだ。
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